■きびしい実情
節分という華やかな話題と共に結構本殿屋根部分とかが朽ちている様子の話題を語るのはさびしいのですが。
下御霊神社、この社殿を見上げますと、京都というもののもう一つの姿が見えてくるのですが。それは政教分離の時代に在って、神社の存続というものを、つまり厳しい意味で考えるというものでして。政教分離、公金は使えないが文化財という。
本殿は寛政3年こと西暦1791年に仮皇居の内侍所仮殿を移築したものということは前回触れていますが、この建物は御所の建物ということで京都市指定有形文化財に指定されています、が、屋根の部分が崩れかけているのですね。応急修理は行った。
幣殿、廻廊、拝所も京都市指定有形文化財に指定されているのですが、やはり予算というべきでしょうか、寺町通という氏子衆が分散してしまう場所に位置していますので、どうしても氏子衆だけでは維持できない建物が多く、神社の建物は危機に曝されて。
京都市指定有形文化財といいますと、京都市が少し支援してくれるのかというとそこまで簡単な話はありません、結局クラウドファンディングによる神輿庫修繕事業が行われたという歴史があります。公金は政教分離の関係から出せないという現実だ。
神輿庫修繕事業については無事に完了しているのですが、江戸時代、18世紀の本殿についてはかなり傷んでいまして、これ、銅板を屋根にのせることで雨漏りだけは回避しているのですが、参拝の際にお賽銭を少し多めにしてしまうほどに、屋根に痛み。
本殿の痛みについては、特に丸太町通り側からみますと顕著となっていまして、耐震補強とかいうまでもなく、恐らく南海トラフ地震が全割れの状態で発生した場合は京都市が震度六ということですから、ちょっと倒壊してしまうだろうなあと寂しく思う。
寺社仏閣は数多あります京都でして、歴史が千年以上という神社も数えきれないほどあるのですけれど、だからといって公金を出せる訳が無く、その維持とともに、日本の経済成長には限界が見えてきましたので、次の災害があった場合には、と考えてしまい。
政教分離は重要だと思います、公金を出せば新興宗教が狙ってきますのでね。それでもこう、朽ちてゆく実情というものを見てしまいますと、寂寥感を感じてしまいます。特に今後は木材高騰など、寺社仏閣の修理維持には負担が大きくなりますゆえ。
歴史を挙げますと、そう、積雪寒冷地域などはその地域が律令制度とともに維持されているところも多いでしょうから、京都だけ特別という事は出来ないのですが、ここ京都であっても自社の維持には、という全国の過疎地域神社の問題の一端がみえてしまい。
氏子衆、結局神社は地域が支えるほかないのですが、何ができるかといいますと、地域を盛り上げて活気づけてゆくほかないのだと。要するにこの寺町通で散策し、買いものしてランチしてディナーしてお酒のんでと、盛り上げるほかないのですよね。
寺町も北の方に来ますと、なんといいますか観光地価格というような厳しさから少し逃れることができまして、御所の方へちかよっているのに観光地価格から離れているのは不思議にも思えるのですけれども、しかし愉しく過ごすことができならばそれはそれで。
下御霊神社、この社殿がどのようになるのかの道筋が、なにか限界が見えているような錯覚を感じる我が国に在りまして、無理に行政用語としての成功や慣性で彩ろうとする五輪や万博準備を傍目に、飾らぬ現実を突き付けているように思えるのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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節分という華やかな話題と共に結構本殿屋根部分とかが朽ちている様子の話題を語るのはさびしいのですが。
下御霊神社、この社殿を見上げますと、京都というもののもう一つの姿が見えてくるのですが。それは政教分離の時代に在って、神社の存続というものを、つまり厳しい意味で考えるというものでして。政教分離、公金は使えないが文化財という。
本殿は寛政3年こと西暦1791年に仮皇居の内侍所仮殿を移築したものということは前回触れていますが、この建物は御所の建物ということで京都市指定有形文化財に指定されています、が、屋根の部分が崩れかけているのですね。応急修理は行った。
幣殿、廻廊、拝所も京都市指定有形文化財に指定されているのですが、やはり予算というべきでしょうか、寺町通という氏子衆が分散してしまう場所に位置していますので、どうしても氏子衆だけでは維持できない建物が多く、神社の建物は危機に曝されて。
京都市指定有形文化財といいますと、京都市が少し支援してくれるのかというとそこまで簡単な話はありません、結局クラウドファンディングによる神輿庫修繕事業が行われたという歴史があります。公金は政教分離の関係から出せないという現実だ。
神輿庫修繕事業については無事に完了しているのですが、江戸時代、18世紀の本殿についてはかなり傷んでいまして、これ、銅板を屋根にのせることで雨漏りだけは回避しているのですが、参拝の際にお賽銭を少し多めにしてしまうほどに、屋根に痛み。
本殿の痛みについては、特に丸太町通り側からみますと顕著となっていまして、耐震補強とかいうまでもなく、恐らく南海トラフ地震が全割れの状態で発生した場合は京都市が震度六ということですから、ちょっと倒壊してしまうだろうなあと寂しく思う。
寺社仏閣は数多あります京都でして、歴史が千年以上という神社も数えきれないほどあるのですけれど、だからといって公金を出せる訳が無く、その維持とともに、日本の経済成長には限界が見えてきましたので、次の災害があった場合には、と考えてしまい。
政教分離は重要だと思います、公金を出せば新興宗教が狙ってきますのでね。それでもこう、朽ちてゆく実情というものを見てしまいますと、寂寥感を感じてしまいます。特に今後は木材高騰など、寺社仏閣の修理維持には負担が大きくなりますゆえ。
歴史を挙げますと、そう、積雪寒冷地域などはその地域が律令制度とともに維持されているところも多いでしょうから、京都だけ特別という事は出来ないのですが、ここ京都であっても自社の維持には、という全国の過疎地域神社の問題の一端がみえてしまい。
氏子衆、結局神社は地域が支えるほかないのですが、何ができるかといいますと、地域を盛り上げて活気づけてゆくほかないのだと。要するにこの寺町通で散策し、買いものしてランチしてディナーしてお酒のんでと、盛り上げるほかないのですよね。
寺町も北の方に来ますと、なんといいますか観光地価格というような厳しさから少し逃れることができまして、御所の方へちかよっているのに観光地価格から離れているのは不思議にも思えるのですけれども、しかし愉しく過ごすことができならばそれはそれで。
下御霊神社、この社殿がどのようになるのかの道筋が、なにか限界が見えているような錯覚を感じる我が国に在りまして、無理に行政用語としての成功や慣性で彩ろうとする五輪や万博準備を傍目に、飾らぬ現実を突き付けているように思えるのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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