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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

日米共同統合実動訓練ドーンブリッツ2013参加部隊に岩崎統幕長より2級賞状

2013-08-21 23:53:35 | 防衛・安全保障

◆水陸両用準備部隊創設も来年度予算盛り込みへ

 海上自衛隊及び陸上自衛隊により六月に米西海岸において実施された日米共同統合実動訓練ドーンブリッツ2013参加部隊へ、統幕長岩崎空将より8月5日付で2級賞状が授与されました。

Img_2447_1 ドーンブリッツ2013は、カリフォルニア手キャンプペンドルトン及びその周辺で実施され、予てより課題となっていた島嶼部防衛を主眼とし、陸上自衛隊西部方面普通科連隊と海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、ミサイル護衛艦あたご、輸送艦しもきた、の連携による島嶼部での独立した行動の演練を米軍の支援下で向上させる目的で実施されたもの。

Img_2421 訓練へは海上自衛隊護衛艦や輸送艦への米海兵隊MV-22の発着などが話題となりましたが、それ以上に両用作戦能力の端緒が正しく進められた意味が大きく、岩崎統幕長からの訓練参加部隊への2等賞状授与は、この訓練の重要性を端的に示している、といえるのかもしれません。

Img_2035 今回の訓練は、イージス艦による防空網の支援下での、ヘリコプター搭載護衛艦からの戦闘ヘリコプターと輸送ヘリコプターの連携による空中機動、輸送艦からの陸上部隊展開、という一連の行動を実働したもので、この分野では高度な能力、もともと第二次大戦中の対日戦により培われたものですが、有する海兵隊の支援を元に行われています。

Eimg_7436 イージス艦とヘリコプター搭載護衛艦に輸送艦、合計では三隻と、規模こそ大きい物とは言えず、むしろ小さいものですが、我が国が想定する島嶼部防衛は大規模着上陸が難しいところでもあるため、離島の面積から逆算される防衛力の水準や着上陸の規模を考えた場合には、妥当な規模ともいえるでしょう。

Img_0198 多数の島嶼部を以て構成される大洋の大陸外縁に位置する弧状列島を国土とする我が国において、その島嶼部防衛の重要性が冷戦期における北方防衛の重要性への比重により後回しとせざるを得なかった状況への改善努力が一定の水準に達したものといえる訓練でした。

Aimg_2533 一方で防衛省は、来年度予算概算要求へ水陸両用準備部隊の発足を盛り込む方針を定め、島嶼部防衛の実動部隊創設への準備を急ぐ方針を示しました。これは、我が国周辺における特に南西諸島への着上陸事態が現実味を帯びてきたための対応と考えられ、関連装備などの調達も要求されるとのこと。

Img_09_84 関連装備としては水陸両用装甲車AAV-7が今年度予算での4両調達に続いて更に2両が調達される方針とされ、AAV-7は基本設計が古く、災害派遣や水陸両用車運用研究等に用いられる性格が強いともいえるものですが、これによりヘリボーン以外に上陸第一波の構成を可能とすることとなるでしょう。

Img_4749 現在、西部方面隊直轄の緊急展開部隊としての運用を想定し創設された西部方面普通科連隊が、海兵隊との共同訓練を積み重ね、その能力強化を急いできましたが、来年度予算で想定される水陸両用準備部隊は、この西部方面普通科連隊を中心として編成され、将来的には拡大改編することで創設する方針とも考えられています。

Aimg_0154 西部方面普通科連隊を中心に編成、という背景には、中央即応集団のような部隊を想定しているのか、かつての第102装甲輸送隊のように、第101水陸両用装甲輸送隊を創設し、西部方面普通科連隊と西部方面航空隊を統合した水陸両用混成団とするのか、現時点では想像以外はできませんが、関心を以て今後の展開を見守りたいですね。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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横須賀基地日常風景 清水みなと祭り参加のイージス艦あしがら逸見桟橋へ停泊の情景

2013-08-20 22:27:56 | 海上自衛隊 催事

◆お盆前に撮影した日常風景 

 今年も清水みなと祭りへ行こうと思いきや、千歳基地航空祭と同日、残念、と思っていたのですが。

Yimg_0594 何とか時間を捻出して横須賀へ立ち寄った際、清水みなと祭りに参加していたイージス艦あしがら、が入港していました。佐世保が母港ですので、横須賀入港の様子を望見できたのはある意味幸運です。いや、思う存分舞鶴展示訓練で観たのでは、と言われるかもしれませんが、それはそれ、これはこれ。

Yimg_0593 奥には、ひゅうが型護衛艦や、あきづき型護衛艦も入港していまして、あきづき型は、これまた千歳基地航空祭と同日、名古屋港にて護衛艦あきづき一般公開が行われていました。横須賀軍港めぐりへ、続いて足を運びたいところですが、中々それだけの時間は無い。

Yimg_0599 横須賀滞在の時間は僅かではありますが、もう少し情景を写真として記録に収めたい。次の列車までの時間をカメラを米軍方向へ。横須賀米軍施設側のアーレイバーク級ミサイル駆逐艦ステザム、イージス艦です。奥にはタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦と思われるマストも見えていました。

Yimg_0597 艦番号は見えないのですが、アーレイバーク級が更に一隻、そして隣に見えるのは海上保安庁の放射能測定船きぬがさ。撮影場所はヴェルニー公園、花壇あり遊歩道あり喫茶施設もあり、時間さえあれば、なにか入港してこないかじっくりと待つのですけれども、ね。

Yimg_0600 そうりゅう型潜水艦と、おやしお型潜水艦が並んで停泊しています。ここからは船越地区が見えず、吉倉桟橋の一部と逸見桟橋を短時間眺めたのですが、横須賀探訪、前回は五月の練習艦隊入港時、荒天だったので文字通り眺めるだけでしたので、快晴の横須賀を見ることが出来ただけでも満足し、駅へ向かいました。

北大路機関:はるな

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来年度防衛予算概算要求発表は間もなく 防衛装備体系の大きな転換点

2013-08-19 12:11:12 | 国際・政治

◆八月末の宿題とRQ-4&AN/AAQ-33&MV-22

 八月末に発表される防衛予算概算要求まで僅かとなりました。一応、インフレ率等を含め2.8%の増額が予定されているもようです。

Gimg_6610 防衛予算は、民主党政権下での経済政策を欠いたばらまき政策に無計画な震災復興予算が加わり、此処に金融政策の欠如による過度な円高と代替案なき原発全停止による化石燃料大量輸入が国際価格の高騰を招いたことで、国債依存が強まり、我が国財政赤字は記録的悪化、ここに外交政策の欠如が安全保障環境を悪化させ、有事に日本を近づけたという現状、なんともなりませんがなんとかせねばなりません。

Nimg_8657_1 来年度予算の関連では、2014年度以降いよいよ高高度無人偵察機RQ-4グローバルホークの導入が開始されるとの報道がありました。RQ-4は攻撃力こそありませんが旅客機高度よりもさらに上空を30時間以上飛行し滞空監視するもの。特に東日本大震災における福島第一原発偵察などに威力を発揮したRQ-4の自衛隊導入は今後の南海トラフ地震などを含め、自衛隊情報優位獲得の転換点となるでしょう。

Img_1267 このほか、航空自衛隊はF-2支援戦闘機用照準ポッド選定にAN-AAQ-33スナイパーポッドを選定、ノースロップグラマン社製ライトニングとの選定の結果で、同種の装備は国産開発も行われていましたが、レーザーJDAMのような精密誘導爆弾との連接関係上海外製装備を取得することとなりました。米空軍のF-16にも近年搭載され、岩国などで地上展示されていましたが、この装備を航空自衛隊も導入することとなりました。

Timg_70820 このほか、MV-22の調査費用も計上されるとされ、文字通り百花繚乱というところでしょうか。しかしその反面、予算は十分確保できるのか、という素朴な疑問がわいてこないでもないところです。MV-22は導入するならばF-35と同じ取得費用であり、RQ-4は機体価格よりも地上情報伝送設備が高く、必要な装備とはいえ実行すればヘリコプター搭載護衛艦よりも高い費用を要するでしょう。

Img_4423 我が国の防衛を考えた場合、師団旅団通信体系の刷新、護衛艦の老朽化に伴う代替、戦闘機一部の深刻な老朽化、早期警戒機の代替、対戦車ヘリコプターの代替が急務であり、現状の輸送ヘリコプター代替や普通科部隊の装甲化、新輸送機と新哨戒機の取得、新戦闘機国際共同開発の展開、国産戦闘機技術実証機の開発、新自走砲の開発、課題は多々に渡るところ。

Himg_4858 こんなところで、MV-22を導入するくらいならば現在陸上航空自衛隊が運用している70機のCH-47を100機に増勢し、“百機のチヌーク”、という水準を示した方が抑止力にはなりますし、RQ-4も必要でしょうが、MQ-9のような汎用性の高い航空機を揃えたほうが良いのではないか、とも考えます。

Img_3638 防衛装備調達は文字通り冬の時代で、護衛艦の延命予算に加え哨戒機の延命予算が過去数年順次計上されていますが、このままで推移した際には場合によっては除籍戦車の延命と重装甲車転用や一部装甲車両の延命予算計上なども考えてゆかなければならなくなるかもしれません。

Eimg_3230 ただ、現代戦の革新点というべき情報共有に関する設備投資をここ数年間の厳しい防衛予算から基盤を整備し、技術研究を進めてきましたので、この結果、防衛予算には正面装備への充当できる部分への負担は多少なりとも緩和される部分が考えられるようになってきました。

Gimg_6136 他方で、圧縮されたとはいえ、その分延び延びになっている既存装備の代替予算は先送りになった分、分かりやすく例えるならば八月三十一日の宿題状態となっており、山積した装備品の調達を如何にして行うか、というのならば、実際には新装備として取得する装備は予算を上乗せするか、思い切ったコンパクト化を行うのかが大きな課題となるでしょう。

Img_1244 防衛装備体系の大きな転換点、と銘打った表題ですが、防衛力を起きく向上させる革新的な装備が導入される、という期待感が予算増額に裏打ちされていなければ、装備種類が大きくなりすぎ必要な数量を全ての装備で調達できなくなり、防衛力破綻へ転換する点ともなり得る、こういう意味も含んでいる、ということ。

Jimg_0903 年末には新しい防衛計画の大綱が画定する方針であり、他方でコンパクト化を進めた場合、従来型有事の可能性や巨大災害への政府対処能力の重要な位置を担う自衛隊の役割を考える際に、どう対応するのか、という疑問にも打開策は考えられません。こういう意味でも難しい判断を強いられることとなりますが、この八月末の宿題、旧式装備刷新と新装備取得に将来任務への対応、大きな関心を持って見守りたいところです。

北大路機関:はるな

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防衛産業、我が国防衛力を構成する重要要素の将来展望? 防衛力再編と防衛産業

2013-08-18 23:36:50 | 国際・政治

◆目処が立った情報基盤整備と新装備時代

 防衛計画の大綱改訂へ向け、議論が進む中、そろそろ結論に近づかねばならなくなってきましたが、今少しお付き合いください。

Img_1359 防衛産業、元々国産装備は高い、という論点の下で安い海外装備を、という主張を行うのが一時期の識者の潮流でした、これは当方は湾岸戦争の頃からの論調と思っていましたが、聞けばさらに昔からの論調だった、という事です。しかし、例えばシグマ級コルベットやヴィズヴィ級コルベットといった小型艦が、むらさめ型護衛艦よりも高価であるなど、実情を鑑みれば、これは妥当ではありません。

G12img_7248 すると今度は、国産装備は海外製と比較し、性能が劣る、実戦性を想定していない仕様である、というような批判が識者の一部で行われました。しかし、勿論これは実戦経験を経ていない以上如何ともしがたいものではあるのですが、多国間演習で運用された実績を見る限り、とりたててそういう実情は聞きません、多少の不具合はどの装備でもあり、顕著ではなかった、ということ。

Img_15059 次いで出たのは、我が国の装備が特殊過ぎ、結果、防衛装備が一種ガラパゴス化しているため、世界の趨勢についてゆけない、という批判が出されていましたが、これは例えば日本の地形上止むを得ないもので、例え世界の趨勢であっても、車幅が大きすぎ片側一車線道路で必ずはみ出して対向車を破壊するような装甲車では使いようはありません。

Img_6275 ただ、我が国を防衛する装備体系という意味では、その多種多様な装備をすべて国産化しつつ、世界第一線級の装備をすべて国産開発することは非常に難しくなている実情があります。装備の国産には稼働率を高め、有事における部品調達を円滑に行う目的がありますが、国産化を永世中立という観点から維持を試みた国々が、例えばスウェーデンやスイスが装備の複雑化の時代を前に早々に部分部分を断念した実例があり、過度に進める事には難しさもあります。

Img_2632 一方で、防衛産業の位置づけは、特に稼働率維持という観点から、今後もその必要性は下がることはありません、例えば次期戦闘機として導入するF-35は、韓国が現在進行中の次期戦闘機選定にF-15SE以外が脱落し、F-35を導入しない方針が固まりましたので、アジア地域では自衛隊以外導入する可能性が低くなり、すると日本国内以外に整備拠点を構築できない事となります。

Kimg_8314 また、新しい防衛計画の大綱では海兵隊機能の自衛隊付与を目指し、その一環としてMV-22に関する技術資料を来年度防衛予算概算要求へ盛り込む方針が示されましたし、RQ-4高高度無人偵察機の導入など、装備品の種類のみ大きく増加し、その分既存装備の調達費などは圧迫される状況が想定され、展望は明るくありません。

Oimg_0783 こうなりますと、少数導入する装備が稼働率の低いまま維持されては、装備があっても必要な時に稼働できなくなる、という状況に陥る可能性は高くなってしまいますし、装備品を必要数新規調達できない状況となった場合、延命を行う必要がありますが、その部分でも防衛産業の協力は必須となるでしょう。

Img_8408 あたかも高度成長期に大量建設した橋梁やトンネルに道路部分が一斉に老朽化を迎え、意外に高い維持費と想定外の長期間の運用を強いられている実情を行政側が理解せず企業側も応じられない現在の状況が防衛装備にも当てはまっているようで不安にはなりますが、なんとか手段を模索しなければ、防衛力は破綻します。

Gimg_5476 日本が導入する海外製装備は日本周辺に運用基盤が無い装備があり、日本独自の防衛装備品は文字通り日本にしか運用基盤が無い装備がある、それならば国内で運用を続けるのであれば日本国内での運用基盤を維持する手段を模索し続けなければならない、ある意味当然ですが、その手段として防衛産業とどう防衛行政が連携するが、これが重要になってくる、ということです。

Img_5262 もっとも、昨今の防衛装備品調達が低迷している背景には、もちろん我が国周辺安全保障情勢の緊迫化を受けながらも防衛費が削減され続けたという実情はあるのですけれども、それ以上に情報RMA化に伴う共通運用基盤構築、特に情報ネットワーク構築の技術研究と基盤の整備へ予算を多く必要とした実情はありました。

Img_7416 私事ながら、情報ネットワークとなりますと、当方もノートパソコンが中級一眼レフの値段とあまり変わらず、デスクトップパソコンと幾つかのPCをここ十年間で整備した費用にて、所謂白レンズが数本揃ってしまう事に気づかされます、通信費などは、考えたくないほどですが、しかし、基盤を構築すれば、ある程度自由がきくようになることにもきづかされるところ。

Img_2638
 少ない防衛費からネットワーク基盤構築へ少なくない予算を投じた自衛隊、その中で厳しく削られたのは正面装備で、結果として必要な防衛装備品の調達が出来なかったことで防衛産業が産業を維持するに十分な発注が無く廃業してしまう状況はありましたが、ある程度は緩和されることとなるかもしれません。

Img_7676 情報優位基盤の構築、これはかの故江畑謙介先生が著書において幾度も仰られた、情報基盤は目に見えにくいものであるので正面装備に比べ予算を確保しにくく、また正面装備の調達に影響が出るほど予算を要するものであるけれども、その必要性を理解し、実行することが出来るかが重要、という部分と重なるといえるでしょう。

Img_5075 ただ、情報優位の獲得は、これまで質と量の関係で凌駕し得ない飽和点があると考えられていた従来装備の概念を、中枢打撃と分散集中迅速化、つまり相手の土俵をそのまま突き崩す新しい運用概念を構築したことで、これを行う部隊とそうでない部隊とでは比較が出来なくなるほどの際が生じてしまいます。

Img_8999 この部分で厳しい選択を一応通過したわけですので、逆に少数精鋭という装備基盤でも、つまり縮小ではなくコンパクト化、という意味ですが、実現できる基盤を構築したのですから、その分だけに限られた装備を如何に高い稼働率を維持するか、という意味で防衛産業の協力が今後も政策として必要となる事を示しているのではないか、そう考える次第です。

北大路機関:はるな

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在比米軍復活を要望、フィリピン政府が旧クラーク米軍基地・旧スービック米軍基地提供打診

2013-08-17 22:46:43 | 国際・政治

◆抑え切れぬ中国の軍事圧力への対処を主眼か

 時事通信などの報道によればフィリピン政府は、1992年に閉鎖された在比米軍基地の米軍提供と駐留を要望し、米比両政府間で調整に入った、とのこと。

Img_2571 在比米軍基地としてフィリピンが提供を協議しているのは、マニラにほど近く、南シナ海より展開に有利なルソン島に或るクラーク旧米空軍基地、そして同じくルソン島に或るスービック旧米海軍基地で、特にクラーク空軍基地は第二次大戦以前からの米軍基地だったものの米軍撤退後は特別経済区域として再開発され、再度の基地化は不可能である、と考えられていたため、この対応には驚かされました。また、在比米軍はフィリピン側の要望もあり撤退したのに対し、風向きが悪化するや再度駐留を求める日和見の姿勢にも驚かされました。

Img_7167 1992年のピナツボ火山噴火により、在比米軍は基地機能を喪失し全面撤退に追い込まれましたが、在比米軍はクラーク空軍基地の一個戦闘航空団、スービック海軍基地の空母二隻を中心とする大規模な部隊が展開し、極東地域へにらみを利かせていました。しかし、ピナツボ火山は火山爆発指数8という最大規模の噴火にあり、クラーク空軍基地は全ての地震計が破損し機能を喪失、スービック湾へも艦艇の運用が不可能なほどの火山灰が降り積もり、その代替基地を確保する姿勢をフィリピン政府が見せなかったことから撤退に至りました。

Img_2844 幸いにして米軍は湾岸戦争後の兵力調整期にあり、在比米軍の主力は一応の見通しがあり、加えて在比米軍部隊を在日米軍基地が収容する姿勢を見せたため、北東アジア地域における米軍のポテンシャルを維持し、在比米軍撤退の影響を最小限とすることが出来ました。蛇足ながら、今やミニストップで全国的に楽しめるようになったアジアンアイススイーツであるハロハロは、その昔は首都圏の一部や愛知県のリトルワールドでしか知られていませんでしたが、在比米軍家族が横須賀へ持ち込み、一般化した、という事例の背景にピナツボ火山噴火と在比米軍撤退があったりしています。

Img_7051 しかし、在比米軍撤退の影響は即座に生じました。それは1993年に発覚したフィリピン領ミスチーフ環礁の中国軍による占拠事案です。もともとフィリピンは国内の共産ゲリラ対処に主眼を置き、一定規模の海兵隊を保有していましたが、海軍力と空軍力は非常に限定的で米軍の抑止力に大きく依存していたのです。数少ない戦闘機はピナツボ火山噴火により損傷し、軽戦闘機が僅かに数機が残る程度、海軍は第二次大戦中に建造され、海上自衛隊創設当時に米軍より供与された旧式艦を米軍返還後に再供与されたものを修理し動かしていたほど。

Img_659_2 こうした十分な対抗手段を持たなかったフィリピン軍は索敵手段や哨戒手段さえも有さず、結果、ミスチーフ環礁の占拠事案は日本の商船が航行中、フィリピン領内に中国軍が駐留している様子を偶然発見し、不審に思いフィリピン政府に問い合わせたことでようやく気付いた、というほどです。これを契機に、フィリピン政府は外交手段での中国軍退去を求めますが如何とも出来ず、加えて南沙諸島におけるフィリピンが領有権を主張する海域へも中国艦艇が遊弋するようになり、外冦力での打診が降下を奏しない以上、打つ手が無くなった状況となりました。

Img_0155a フィリピン政府は、これを契機に、アメリカ製初期型F-16戦闘機の導入や韓国製超音速軽攻撃機の導入の模索を行い、近年はアメリカ沿岸警備隊用中古外洋カッターの導入や南米からの欧州製中古フリゲイトの導入を行い防衛力を強化するとともに、2002年からは本格的に米比合同演習の再開を行い、日本へも経済支援の一環としての巡視船無償供与などを打診してきました。しかし、こうした水準の対おうでは中国の軍事的圧力を抑え込むには限界があります、簡単な話ではありません。

Img_7751 在比米軍の再駐留要請は、フィリピン軍では中国軍の圧力を抑えることが現実的に難しくなったため、アメリカへ要請した、という構図です。フィリピン政府が米軍依存の防衛体制を構築し、加えて在比米軍撤退後にも十分な防衛努力を払わなかったため国土の一部を中国軍に占拠され、二十年を経ても打開策を得ることが叶わず、改めて米軍の抑止力を以てフィリピンの防衛を計ろう、という姿勢です。ただ、基地を米軍へ提供したとしても、駐留経費などを負担するフィリピンの財政余力は無く、往年と比して非常に小規模となるでしょう。

Img_1754 他方、鳩山内閣時代に普天間基地国外移転が検討された際、東宝では非常に突飛な案ではあるが、国外移転であれば台湾有事への介入を前提とするならば、台湾に地理的に近いフィリピン北部の旧米軍基地へ在沖米軍部隊を移転させるほか方法はない、という提案を行っています。スービック湾へ両用戦艦艇部隊の一部を移転させ、海兵地上戦部隊の中でも海兵遠征群と海兵航空部隊を移駐させる、日本国が居であれば、まさか台湾本島へ駐留させるわけにもいきませんので、フィリピンを提案したことを思い出します。

Iimg_6660_1 無論、日本より外に米軍を移駐する場合の経費や、航空優勢確保のための空軍部隊を何処に駐留させるのか、両用戦艦艇部隊を移駐させた場合にその護衛の水上戦闘艦部隊をどうするのか、など真剣に考えれば非常に現実味は低かったものだったと認めますが、当時としてはクラーク空軍基地跡地が再開発されていたため再利用は不可能だ、と考えられていたことを挙げますと、時代の変化とともにそこまで安全保障情勢が厳しくなっていることを認識せざるを得ない、というべきでしょうか。

北大路機関:はるな

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平成二十五年度八月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2013.08.18)

2013-08-16 22:49:32 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 五山送り火や花火大会などの記事にも多少の需要はあるのかな、と思いつつそれよりも涼しさを、最後に雨降ったの何時だよ、と思う今日この頃、皆様如何お過ごしでしょうか。

Mimg_7185 今週末の自衛隊関連行事は体験航海IN宇品2013として実施される広島宇品港護衛艦せんだい体験航海のみ、来週は呉地方隊広島湾展示訓練が行われますが、今週も宇品で行事を実施する模様です。なお、体験航海に参加するには乗艦券が必要で、こちらの一般公募受付は終了しています。

Img_9004a それでは乗艦できない場合は、と言いますと出港と入港を岸壁から観覧することが出来ます。体験航海は午前中に0930に受け付け終了後1000に出港、午後の部は1330に受け付け終了し1400時に出港、体験航海は一時間程度を予定していますので、入港の撮影も出来るでしょう。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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8.15終戦記念日、昭和二〇年八月十五日の第二次世界大戦終結より68周年

2013-08-15 23:55:59 | 北大路機関特別企画

◆鎮魂:戦争と平和の連環を考える

 第二次世界大戦は1945年8月15日、日本がポツダム宣言受諾を公表し、漸くその終止符を打ちました。

Wimg_9747 第二次大戦において我が国は枢軸陣営に位置し、日本、ドイツ、イタリア、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイとともに世界を相手に戦争を繰り広げました。特に我が国は、周辺に枢軸国の同盟軍が無く、中国大陸と太平洋で米軍、南方でイギリスやオランダ軍と戦い、最後にはソ連軍とも戦火を交えた、世界地図で見るだけで厳しい状況にあったことが分かります。

Wimg_3152 先の大戦がその他の戦争や武力紛争と異なる最大の点は、と問われれば、これは国際連合を基本的枠組みとする世界秩序を構成する重要な過程となった点で、特に国連憲章の理念が今日の国際公序を形成したところにあり、言い換えれば二つの国際秩序の試みが衝突した、という点が特異であり、ここに敗北した、という意味が大きかった、と言えるのかもしれません。

Wimg_6428 戦争のできない国、先の大戦の敗戦までは、我が国は戦争を遂行していたわけなのですが、戦後、特に今日我が国は戦争のできる国にならないように、という議論が広がっていることから、逆説的に戦争のできない国である、という事が見て取れます。すると、戦争が出来ない国が戦争が出来る国に侵略された場合はどうなるのか。

Wimg_3162 先の大戦で枢軸国の一陣を担い、そして戦い抜き敗戦を迎えた我が国ではありますが、これは即ち国際公序への挑戦を行った、という意味であることから史上初の国家への無条件降伏を停戦条件として突き付けられ、終戦と共に占領を経て、特に占領軍が国家の基本的法体系に干渉するハーグ陸戦条約への違反とも解釈されうる国家体制の変革を求められたという意味でも特殊でした。

Wimg_3080 ただ、我が国は終戦後68年、と繰り返されるように、68年という今日の世界では例外的に長い平和を享受することが出来たわけで、この間、占領時期は去り、不当な圧制なども主権回復後は無くなり、この点に基本的人権や国民福祉という観点からは価値を見いだせる部分は大きい、と言えるでしょう。

Wimg_3089 他方、平和というものが我が国において日常化されている反面、仮にこの平和を我が国が主体的に努力を行わなければ維持できなくなるというような状況に陥った際には、如何にして武力紛争を長期的に回避するのか、という努力の重要性を、安全保障上の観点から具体的に検討する能力を保持し続けているのか、という疑問が無いでもありません。

Wimg_6457 改めて述べるまでもなく、第二次大戦後我が国は帝国議会において連合国総司令部の協力をもとに作成された日本国憲法への憲法改正決議を経て、戦争放棄を主軸とした新憲法へ改憲を果たしました。この結果、憲法上は国家の交戦権と陸海空軍を放棄し、新しい国家再建の道を歩みました。

Wimg_3510 しかし、国際政治において、武力紛争の可能性は依然として残り、これに対し軍事力を背景とした交渉体系を予め放棄している我が国は、外交政策において採り得る選択肢を制限したことともなり、結果的に外交と防衛力の連環を求められる分野においては、第二次大戦後占領に主導権を採り、主権回復と共に同盟条約を締結したアメリカの支援下で検討せざるを得なくなりました。即ち、安全保障面での外交政策を自ら鎖国した、と言えるのかもしれません。

Wimg_6443 こうした歪な体制は、元来は連合国が日本の再武装を認めない代償に日本の平和を担保するという構図があり、同時に第二次大戦が終結すれば次の戦争は起きないであろうという一種の楽観論、連合国が世界秩序を構築するのだから、全ての国々が連合国に加盟すれば戦争は起きない、という基盤に依拠したものだった、ということにもなります。そして、その根幹が破綻し、日本は世界の求めに応じ防衛力として自衛隊を創設、今に至ります。

Wimg_6432 何よりも我が国は戦後経済的に奇跡的な復興を遂げ、国際経済や国際金融政策において非常に大きな地位を担ったほか、科学技術や学術研究においても世界有数の規模を有するに至りました。例えば経済面では中国に圧迫されているという意見もあるかもしれませんが、通貨が外貨に連動している中国は舞台に立つことも出来ず、基盤面では未だ比較できません。

Wrimg_3488 こうした地位を担った我が国は、少なくとも世界政治、特に安全保障面に責任を持つことが求められているわけなのですが、これが憲法上難しく、外交面でも前述の通り採り得る選択肢を自ら狭めていることから、却って軍事面が絡む我が国周辺の問題を複雑化させています。仮に軍事力を背景とした外交政策を展開できるのならば、こうはならないのでしょうが。

Wimg_6463 結果、戦争が出来ない国日本、という世界でも特異な国に対し、周辺の普通の国が例えば我が国離島を軍事力で奪取する強硬手段を、自衛権が発動出来る状況下に追い込まれるまで、対応をできないという事になり、いわば予防外交と抑止力の中間に或る、武力紛争回避最後の手段をとれないことになっていることも意味し、これは却って戦争を誘発するのではないか、という危惧を抱かないでも、ないところ。

Wimg_9742 これでは爆発するまで決定的な対応を採れず、自衛権発動は国土が戦場となる状況を意味するため局地戦を越えて一挙に本土決戦を行わなければならない、という、いわば日本の戦争を認めない平和主義とは、一旦破綻すれば非常に大きな戦争に展開する可能性を内包しており、それならば、自衛権や防衛に関する政策を修正したほうが、結果的には人死には少なくなるのではないでしょうか。

Wrimg_3495 加えて我が国土は海洋に面した火山性弧状列島に位置し、大陸外縁部の入り口大陸沿岸の防備にも攻撃拠点にもなり得るという、どうしても地政学的に衝突する位置にあるほか、国土は地震災害や津波災害と火山災害から切っても切り離せない位置にあるため、最大限の国富と技術力を常時蓄積しておかねば国民は生き延びることが難しく、好むと好まざるとを問わず、国家は大きくなってしまいます。

Wimg_9748 第二次大戦の敗戦は、こうした意味で大きな変革を我が国強いて、しかし、この変革の背景にあった国際秩序の規範性が不十分であったことから、望む方向へ展開されなかった反面、我が国は安全保障上の脆弱性と歪な構造を抱えたまま、今日に至り、結果として基本となる平和への姿勢が我が国が望まずとも悪い方向へ至っている、というものがどうしても皮肉なものだと感じずにはいられないところです。

Wimg_3511 ただ、一つ考えるのは、我が国は枢軸の一員として先の大戦を戦い抜きましたが、第二次上海事変の時点まで、枢軸国の中核となるドイツは中華民国との関係を深めており、日中全面戦争展開の背景にもドイツ軍事顧問団の影響がありました。これは言い換えれば、中国の敗走を以てドイツが中国を見限り、我が国への接近を強化したわけなのですが。

Wimg_3101 この一本の分かれ道において、ドイツの接近を我が国が拒否し、中国とドイツの関係性を維持する方向で我が国が国際政治を展開したのであれば、日中で常任理事国と旧枢軸国という位置関係は逆転していたのかもしれません。枢軸国中国に対し、我が国はアメリカの支援下で、という構図もあり得たわけなのです。

Wimg_3511_2 このように考えると、我が国の敗戦国としての位置づけというものは一考の余地があるのではないでしょうか。もちろん、先の戦争を正当化する立場をとるわけではありません、仮に先の戦争を正当化する方に対し、先の大戦が良かったというならば、準備出来次第同じことをもう一度やるべきか、と問うたならば、やはり回答は否なのですから。しかし、先の敗戦をことさら重大視しすぎる立場にも、少々一考の余地は無い物でしょうか。

Wimg_3131 戦争が出来ない国が戦争が出来る国に侵略された場合はどうなるのか。先ほどの問いは、普通に考えれば、戦争が出来ない国とは自国を防衛できない国であるので、蹂躙されるに任せるだけなのでしょうから、結果戦争は起きない、一方的な併合があるのみなのではあるのでしょうが、防衛力があり制度上戦争が出来ない国、というのは前例がありません。ただ、これを我が国に当てはめた場合、いわゆる識者を含め問うてみても、そんなことは起きえないの一点張りのみで、論理的な回答はありませんでした。

Wsimg_0339 もっとも、先の大戦には東南アジア諸国においても首脳からは一言物事を言いたい分野はあるようですが、対して現在進行形で我が国の隣国からその主権を脅かされている事象に対し手を殊更一層大きな声で一言述べたい状況下にもあり、この分野についても、単に先の大戦への敗戦の反省から不関与と無視を貫く、という姿勢は、逆に平和への冒涜になるのではないか、こう危惧もする次第です。

北大路機関

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東北地方豪雨災害、秋田県仙北市と岩手県雫石町における自衛隊災害派遣が完了

2013-08-14 23:01:48 | 防災・災害派遣

◆災害派遣延べ895名、車両280両、航空機7機

 防衛省自衛隊は東北地方における記録的短時間豪雨による災害派遣を知事撤収要請を受け昨日までに完了しました。

Iimg_6146 山陰地方での豪雨災害に続いて日本海側からの前線の異常な動きにより8月8日より猛烈な豪雨が東北地方を襲い、8月9日1230時、岩手県雫石町と矢巾町において土砂災害が発生にたいし、岩手県知事より岩手駐屯地の第9特科連隊長へ人命救助と物資輸送及び孤立住民救助に関する災害派遣要請が出されました。

Nimg_0270_1 秋田県でも同様に豪雨による被害が広がり、秋田県仙北市において発生した土砂災害に対し、秋田県知事は生存者捜索に警察及び消防での対応が限界であるとの判断から秋田駐屯地の第21普通科連隊に対し人命救助に関する災害派遣要請を出しました。

Img_1923 岩手県と秋田県という二方面の同時災害派遣を要請された東北方面隊は、岩手県への災害派遣に八戸居駐屯地よりUH-1多用途ヘリコプターを離陸させ情報収集を行うと共に第9特科連隊より初動対処部隊人員30名を車両5両に乗車させ出動、その20分後に第9特科連隊より災害派遣部隊主力が駐屯地を出発しています。

Img_0711 岩手県での災害派遣は、第9特科連隊、第9高射特科大隊、第9飛行隊が出動し、山間部の孤立者救助やヘリコプターによる上野原地区への物資輸送、国見温泉地区での孤立住民救助を実施しました。加えて10日には西安庭矢櫃地区への物資輸送が開始されています。

Img_6307 11日にも物資輸送を実施し、同日1820時に岩手県知事より撤収要請が出されたことで任務を完了しました。今回は宿営地を設置せず、駐屯地からの派遣を連日行った模様で、派遣規模は常時50名と述べ人数210名、車両派遣規模15両と延べ55両が派遣、航空機は1機と延べ7機が派遣されました。

Gimg_8533 秋田県への災害派遣は9日1429時の災害派遣要請に際し、儒法収集を任務として1517時に第21普通科連隊より情報小隊の偵察部隊5名が秋田駐屯地を出発、その9分後に第21普通科連隊初動対処部隊人員25名が車両10両により秋田駐屯地を出発しました。

Img_8037 第21普通科連隊より災害派遣部隊主力部隊は1614時に人員45名が10両の車両を以て出動、1918時には増援として第21普通科連隊より人員50名と車両10両、第357施設中隊より人員20名が車両20両により秋田駐屯地を出発、災害発生地域近くの市内体育館へ部隊は前進し待機しています。

Nimg_8836 災害派遣は10日より本格的に開始され、0440時に第21普通科連隊100名と第357施設中隊20名が土砂災害発生地域での捜索活動を開始、0815時には21連隊が最初の行方不明者を発見し収容しました。1143時、1558時、10日だけで21連隊は3名の不明者を発見し、1800時にこの日の災害派遣を終了しています。

Img_8528 第21普通科連隊は、11日に更に派遣部隊を増強する方針を定め、0400時に人員80名が車両20両により増援部隊を秋田駐屯地より出動させ、0530時に被災地近くの体育館に宿営していた第21普通科連隊と第357施設中隊派遣部隊に合流、人員180名と車両50両を以て行方不明者捜索を開始しました。この日は行方不明者が発見できず12日にも同様の状態が続きました。

Img_1767 13日にも第21普通科連隊は第357施設中隊とともに90名の人員と車両40両を以て災害派遣任務を0430時より開始、1608時、最後の行方不明者を第21普通科連隊の派遣隊員が発見、収容しました。こうして1807時、秋田県知事より撤収要請が出され、これを以て派遣任務を完了しました。

Img_6035 この災害派遣へは秋田駐屯地の第21普通科連隊と第357施設中隊より人員90名、延べ685名が派遣、車両は40両と延べ225両が派遣されました。岩手県と秋田県へ災害派遣部隊は人員延べ895名、車両280両、航空機7機派遣を派遣、お盆の時期ではありますが、こうして東北方面隊の災害派遣は完了しています。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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インド初の国産空母ヴィグラント進水式を挙行、2018年就役と空母四隻体制整備へ前進

2013-08-13 23:45:43 | 先端軍事テクノロジー

◆戦後アジアの空母先進国インドの挑戦

 インド海軍は12日、初の国産空母ヴィグラントの進水式をコチ造船所において挙行し、満載排水量37500tの船体が海へと進みました。

Vimg_4089 我が国は世界初の新造空母鳳翔を91年前の1922年に就役させ、世界海軍史における空母運用の先進国として第二次大戦を戦い抜きました。しかし、一時期は世界最大の空母部隊を有した帝国海軍は第二次大戦の敗戦と共に航空母艦運用に終止符を打ち、1970年代より漸く洋上航空部隊の再構築に着手、全通飛行甲板型護衛艦という新しい運用体系確立は2010年代を待たねばなりませんでした。他方、アジアでは第二次大戦後早い時期から海軍空母戦力に着手した国があります。

Vimg_4675 インド海軍がそれにあたり、1961年にイギリス海軍より満載排水量19500tのマジェスティック級軽空母ハーキュリーズを導入、空母ヴィクラントとして運用を開始、シーホーク艦上戦闘機などを搭載し、印パ戦争における洋上航空打撃力の担いなど、実戦経験を積み重ねました。1985年にはイギリスより満載排水量28000tの空母ハーミーズを取得、ヴィラートと改名し、シーハリアー攻撃機の導入などにより空母二隻体制を確立しました。オーストラリア海軍などが中古空母を一時期運用したことはありますが、その後断絶し、こうした中でインドは戦後アジア最大の空母運用実績を有するといっても過言ではありません。

Vimg_2705 インド海軍は1989年に既存のイギリス製中古空母の代替艦建造計画を発表、1991年には予算不足からイタリア製11000t級軽空母の導入計画へ下方修正しましたが、1997年に17000t級軽空母計画を海軍が内閣へ打診、紆余曲折を経て内閣は1999年に24000t乃至32000tの空母建造を承認、2001年に一隻5億ドルの予算で新空母の建造が決定します。加えてインド海軍は良好な関係が続くロシア海軍との間で、火災事故により保管状態にあった空母アドミラルゴルシコフを正規空母へ改修し、MiG-29艦載機を運用する空母の導入契約を妥結、こちらは空母ヴィクラマディーチャとして遠からず就役します。

Vimg_4688 インド海軍の空母ヴィクラントは、先代のイギリス空母ハーキュリーズの後身から二代目となり、国産戦闘機テジャス艦載型やMiG-29艦載型などを運用する計画です。ただ、2002年に空母の概要は決定しましたが、設計などでフランスのDCNS社やイタリアのフィンカンティエーリ社からの技術支援を受けたにもかかわらず技術的困難に直面し起工式は2009年にずれ込み、建造費は22億ドルまで高騰、当初は2015年就役を見込んで建造が進められていましたが早くとも2018年頃に就役する建造度合となっているもよう。

Vimg_1943 これにより、当面はロシアから導入する空母ヴィクラマディーチャが現在のヴィラートとともに二隻体制を構築し、2019年にヴィラートの除籍が予定されていることからヴィグラントがヴィラートを置き換え、空母二隻体制を維持することになります。また、今回進水式を迎えた空母ヴィグラントは、ヴィグラント級空母の一番艦となり、二番艦と三番艦の建造が計画されており、二番艦以降は満載排水量60000t規模へ大型化が為されるとのことですから、拡大改良型となります。ヴィグラントの建造費高騰から、実現時期は未知数ながら、アジア最大規模の空母運用国としての地位を固めてゆくことでしょう。

Vimg_0567 現在、海上自衛隊ではヘリコプター搭載護衛艦いずも型が建造されていますが2012年12月のインド海軍ジョシ海軍参謀長の発言として、インド海軍は中国海軍のインド洋進出を注視しており、必要であれば艦隊を南シナ海へ派遣し、哨戒任務を行う可能性を示唆しました。インドは1950年に隣国のチベットが中国軍に武力併合されて以来警戒を強めており、この危惧は杞憂に終わらず1962年に中国軍の侵攻を受け中印国境紛争が勃発、奇襲攻撃を受けインド軍は三千以上の戦死者を出す事態となりました。

Vimg_4701 こうしてインドは中国に対し最大の警戒を払う中、インド洋沿岸に中国海軍が進出し、パキスタンやミャンマーより海軍基地や泊地の租借を実施、インド海軍はこの緊張下での海軍増強を決意した、というのが今回の空母建造の背景です。インド海軍は前述の通り、自国の技術は未だ途上の水準にあることは否めませんが、同様の中国がロシア製兵器の模倣を行い国際市場に提示したことを受けロシア側より不快感と禁輸措置を受けた事例と対照的に、インドはロシア側との協同により装備開発を進め、今に至ります。

Vimg_4197 他方、インド海軍は昨年、水上戦闘艦四隻と補給艦から成る五隻の艦隊を横須賀基地へ親善訪問させ、我が国との防衛面以外も含めた包括的な関係強化の模索を進めています。海上自衛隊は、満載排水量で4000t以上の外洋航行を想定した大型水上戦闘艦保有数で米海軍に次ぐ世界第二位の規模を維持しており、併せて中国の軍事的圧力に曝されています。防衛協力は我が国の場合憲法上の制約が大きいですが、我が国との関係強化を志向するインドが、航空母艦建造を進めていることは、一つ知識として思考の片隅においても良いかもしれません。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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浜松基地航空祭2012詳報③ 浜松基地のT-4練習機が四機編隊でオープニングフライト

2013-08-12 23:04:28 | 航空自衛隊 装備名鑑

◆浜松航空祭飛行展示の始まり

 エアフェスタ浜松、前回の掲載から少々掲載に間が空きましたが本日再開です。

Afimg_2826 T-4練習機、四機編隊にて浜松基地上空へ進入します。双発の亜音速練習機だるT-4は機体からエンジンまで純国産の練習機として開発され、文字通り純国産の搭乗員を養成しています、戦闘機のような重い轟音ではなく軽やかなエンジンの八連奏、これがオープニングフライト、いよいよ浜松基地航空祭の始まり。

Afimg_2837 航空自衛隊では200機以上のT-4練習機を導入、安定性と不意の故障を想定し双発エンジンを採用するとともに、機体性能を練習機に絞った亜音速機として完成したT-4は低い取得費用と共に安定或る操縦特性を有し、航空自衛隊の信頼を実力で勝ち取るに至りました。

Afimg_2844 四機編隊の航過飛行、さて、お分かり頂けると思いますが、これが航空写真の逆光です。逆光というと空が日射に反射し白っぽく、という印象を持たれる方も多いと思いますが、空が青く映るとも機体が逆光で暗い影だけになってしまいます、これを避けるためには仮装路上を飛行する機体の反対側、滑走路の向こうへ移らなければならない。

Afimg_2847 基地防空用装備、81式短距離地対空誘導弾、陸上自衛隊のものと同じ装備です。基地防空隊には2セットが装備されており、これは高射教導隊の装備です。陸上自衛隊の11式地対空短距離誘導弾と併せ高機動車の車体に装備した基地防空用地対空誘導弾が出ていないか、と期待したのですが、これはまだでした。

Afimg_2854 ペトリオットミサイルPAC-3,高射教導隊ですので、教材としてミサイル本体が展示されています。陸上自衛隊は下志津駐屯地に高射学校を置き高射特科部隊の教育と研究を行っていますが、航空自衛隊も基地防空と都市防空用に地対空誘導弾を保有しており、浜松基地の高射教導隊ではこの研究と教育を行っています。

Afimg_2857 航空自衛隊の高射隊は、前述の通り、歳防空と基地防空を担っていますが、元々は陸上自衛隊に一元化されていました。しかし、都市防空は要撃管制と一体化した防空作戦の一環として行う必要があり、こうして陸上自衛隊が装備していたナイキ長射程地対空誘導弾は航空自衛隊へ移管されました。

Afimg_2873 これは現在ペトリオットミサイルへ置き換えられ、陸上自衛隊には高射砲と高射機関砲が残され、後継装備がミサイルとなって今に至る。と、まあこんな運びですが実はまだ地上展示を撮影完了する前でした、このT-4練習機の上空通過までに地上展示をすべて完了しておきたかったのですが、急ぎ足で。

Afimg_2875 陸上自衛隊のOH-1観測ヘリコプター、外来機として展開です。航空脅威下で防空脅威状況下での強行偵察を含めた高性能観測ヘリコプターとして開発されましたが、開発中に冷戦が終結しソ連も崩壊、当初は250機を導入する計画が八割五分の縮小となり、僅か30機ほどが生産、結果、データリンク研究などが行われるも陸上航空体系への比重が低くなったため近代化改修の予算に踏み切れず、取り残されつつある残念な航空機の一つ。

Afimg_2878 航空消防車、展示ではありますが同時に待機ですね。なお、OH-1を掲載しますと必ずと言っていいほど、川重のOH-1機関部を富士重工UH-1に載せろとか、無関係に毎回同じオレサマ開発案をコメント欄に掲載される方がいますが、お願いですから当該記事で投稿者が問題点を指摘され自身の矛盾点を反論できないので、まだ反論を掲載されていない無関係記事で同じ主張を仕切り直すことはやめてください。当該記事で指摘への反論をコメントしましょう。

Afimg_2885 さて、地上展示機を一回りしたところで、T-4練習機がコンバットピッチ飛行で浜松基地上空へ進入してきました。この飛行は、密集体系で飛行場上空を飛行し目視確認を行ったのち、速やかに一機一機が着陸態勢に移行し、編隊が迅速に着陸を完了させるもの。

Afimg_2887 四機はそのまま旋回し同じ経路を滑走路へと進んでゆく、ここでT-4練習機の着陸を以てオープニングフライトはひと段落するのですが、併せて次の飛行展示までに移動を開始したいところです。しかし、滑走路の向こうは同じ浜松基地とはいえ、もともとは浜松北基地と浜松南基地となっていたところ。

Afimg_2891 航空祭、というと、大混雑、という印象があるようです。実際、コミケか入間航空祭か、と言われるほどの混雑、今年の夏コミは会場内に雲が涌いたりするほどで過去最高の三日間で56万も来場、という話ですが、入間基地航空祭は一日で20万以上が来場します。この浜松基地も航空祭では上位三位に入る来場者が集う航空祭ですが、まだ混雑はこのくらい。

Afimg_2897 航空祭で最も混雑するのは、ブルーインパルスのT-4練習機列機前で、混雑するのはブルーインパルス飛行展示開始直前です。ちなみに、ブルーインパルス飛行展示は航空祭の最後の飛行展示として行われることが多く、ブルーインパルス飛行展示終了後一斉にシャトルバスと駐車場へ人が向かうため、冗談抜きで航空祭終了後駐車場から出るのに渋滞三時間、基地から最寄駅までシャトルバス所要時間四時間、ということが起きる。

Afimg_2907 T-4練習機の着陸、滑走路の反対側へ移動を開始したいところですが、このT-4の着陸は撮影してからいどうしたいです。さて、皆様、ここまで三回に渡り読まれてお気づきになったかもしれませんが、滑走路反対側にどうするといいつつ、この撮影位置で次を撮影して移動しようを繰り返し結局格好良く航空祭慣れを強調しつつ単なる移動失敗教訓特集で終わるのでは、と思われる方がいるかもしれません。まあ、それは次回以降に。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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