北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】南禅寺(瑞龍山),紅葉朱色彩る京都五山は勅願禅寺と激動の鎌倉史-九州決戦

2019-12-11 20:02:44 | 写真
■激動の鎌倉史-南北朝はじまり
 激動の昭和史-沖縄決戦、激動の昭和史-軍閥、歴史を振り返る東宝映画の名作がありますが京都の名刹には数多歴史が刻まれ、今回はその中で激動の鎌倉史の中を歩みたい。

 瑞龍山南禅寺、左京区南禅寺福地という東山から更に上りますと至る臨済宗南禅寺派大本山です。此処の紅葉いや椛は季節を問わず優美端整瑞景と美しく、中でも晩秋初冬の紅葉は幻想的な朱色と新鮮とさえいえる伽藍にて物毎の始りに思えるほどに絶景を醸し出す。

 紅葉は美しく、また日本最高位の禅寺という南禅寺ですが、南禅寺開山までの歴史を紐解きますと、激動の鎌倉史-九州決戦、激動の鎌倉史-南北朝閥、というような厳しい歴史が垣間見えまして、亀山法皇が此処に京都五山別格を建立した際の心情を考えてしまいます。

 無関普門を招き正応年間の西暦1291年に亀山法皇の勅願により開山となった日本最初の勅願禅寺であるこの南禅寺は、京都五山及び鎌倉五山の別格上位という、最も格式高い禅寺です。亀山法皇、落飾前の亀山天皇は正元元年1260年から文永1274年まで在位しました。

 南北朝時代前夜、我が国権力基盤が揺籃期を迎えた当時、亀山天皇は後深草天皇に次ぐ次男であり、その即位が亀山系大覚寺統と後深草系持明院統との皇統への多様性が萌芽した時代でした。亀山天皇の御世、日本最初の勅願禅寺建立は、有る時代との繋がりに気付く。

 文永年間の1274年と弘安年間1281年、亀山天皇が譲位し上皇の院に昇られた時代に、二つの時代が重なる事に気付かされるでしょう、文永の役と弘安の役、日本本土が海外から直接武力攻撃に曝された、蒙古来襲元帝国大侵攻九州決戦、元寇の時代と重なる訳です。

 フビライカーンの元朝皇帝即位は中国文応元年1260年、我が国では亀山天皇即位の正元元年と同年です。フビライカーンは即位と共に高麗武力侵攻を講和隷属化による懐柔策へと方針を転じ、日本侵攻準備を開始し文永元年1264年には北海道北方の樺太を割譲している。

 蒙古樺太侵攻はアイヌ系民族の北海道退避を意味し、アイヌ系民族大陸放棄はその後の帰還もならず現代も続いています。文永年間1266年に元朝第一回使節が大蒙古国皇帝奉書と共に我が国目指しますが対馬で海象により断念します。そんな時代に北条時宗が着任する。

 北条時宗鎌倉幕府8代執権の治世下、文永年間1268年に大宰府鎮西奉行少弐資能が元朝第二回使節を迎え大蒙古国皇帝奉書を受け取る、しかし当時外交は朝廷と内政は幕府という施策が採られ後嵯峨上皇と亀山天皇とで朝廷評定が連日行われ議論は中々結論が出ません。

 異国警固番役として執権北条時宗は九州防備を固めつつ実に六度目の元朝第使節が隷属化を求めつつ、日本使大都訪問として大陸情勢の情報収集を固める等緊張は徐々に高まります。そして亀山天皇が文永年間1274年に譲位ののち上皇へ上られますその年、彼らは来た。

 文永の役と弘安の役、その戦闘の様子は改めて考えたいところですが同年、後宇多天皇に譲位しますが、亀山天皇の先帝後嵯峨天皇は次代治天指名を鎌倉幕府に従うよう遺言した事から後宇多天皇に譲位した事が幕府と朝廷の大きな摩擦要因となります。敵を前にして。

 後深草天皇、後嵯峨上皇要請で17歳にして譲位の先帝は後宇多天皇譲位に立腹し幕府へ陳情、幕府は朝廷に介入、建治元年1275年に幼い煕仁皇子を皇太子に指名、文永の役として壱岐対馬と九州北部での激戦が繰り広げられるまさにその直後、朝廷が分裂してしまった。

 霜月騒動として弘安の役に再度の元寇を退けた翌年、執権北条時宗没直後の弘安年間1285年、有力御家人安達泰盛と内管領平頼綱が激突する鎌倉幕府内乱が発生、平頼綱が御内人得宗家被官として権力を握った結果、ここに連座して亀山上皇の院政停止が要求されます。

 持明院統伏見天皇即位、同時に亀山上皇は落飾し法皇へ、正応年間1289年の事でした。南禅寺建立はこの際の永観堂塔頭を勅願禅寺としたもの。激動の鎌倉史というべき時代を乗越え、内憂外患の最中に落飾と建立した際、何を想ったのでしょうか。歴史を踏まえると物事の見え方は変わるものですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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自衛隊サイバー戦と自衛官募集難【1】令和の大型免許としてのプログラミング教育強化提言

2019-12-10 20:07:46 | 防衛・安全保障
■自衛隊,二つの難題に処方箋
 将来の戦争は武力攻撃と共にサイバー攻撃からはじまる、とは1990年代の認識ですがこれは2020年を前にというよりも2000年代から現実のものとなっています。

 アメリカ軍のサイバー戦部隊がイランに極秘のサイバー攻撃をサウジアラビア油田施設の攻撃後に実施していた、米軍当局者の発言がロイター報道により報じられました。この問題で重視したいのは、サイバー攻撃は国際法上の武力攻撃とみなされていない点、でしょうか。この部分を留意するならば、勿論イランへの対応は別としまして、新しい視点が。

 自衛隊は平時から攻勢サイバー戦部隊を、師団規模で養成する必要はあると視点を。実際、通信とサイバー戦に無人機運用に特化した部隊として、イギリス陸軍が今年の八月に第6師団を新編しています、イギリス陸軍師団は完全な歩兵師団の第1師団と重装備で機甲師団編成を採るの第3師団だけでしたので、三つ目の師団がサイバー戦専用、となった。

 日本の防衛を考える場合、サイバー戦部隊の強化、それこそ陸上自衛隊の師団を再編してでも一万数千人単位のサイバー戦部隊を創設する事は意味があります、これは武力攻撃の要件と憲法上の自衛権の行使、少なくとも国際法はサイバー攻撃を武力攻撃とみなしていない可能性を示唆しています。そしてサイバー戦部隊は別の意味を自衛隊にもたらします。

 師団規模のサイバー戦部隊を、とは極論ですが、しかしプログラミング人材を自衛隊が組織手kに大量養成する事は意味があります。デジタル器材はアナログ器材と異なりプログラミング書き換えにより用途が無限となりますし、なにより情報端末を含め今後装備品は確実に増える、現時点でも増えている。ただ、複雑機材に対応、という点以外にも利点が。

 募集難対処、という意味で。自衛官の若年定年制、特に陸曹候補学生の昇進見送りを要因とする三十代での定年が自衛官という職業の魅力を著しく引き下げていますが、要員が予算不足である事から簡単に新隊員制度へ戻す事は出来ません。しかしサイバー戦部隊を大幅に増強するならばどうか、自衛官として学んだ経験をそのまま民間企業に応用できます。

 サイバー攻撃部隊での経験は、要するに自衛官としての職務が最先端のプログラミング教育の場となるのですから。国は現在、プログラミング人材の大幅な強化を期していますが、プログラミング言語は短期間で置き換わる為に、大学教育の場では即戦力を養成したとしても、卒業の頃には知識の陳腐化が予想されます、アプレンティという制度がある程だ。

 アプレンティとはアメリカの民間制度でプログラミング人材枯渇に悩むアメリカのIT業界が苦肉の策として導入したもので、給与を受け取れるプログラミング専門学校、高卒でも中卒でもITに関する資格が無くとも素養があれば受け入れ、プログラミングだけを徹底教育するという方式です。日本では実力よりも大卒という資格が求められる分野はまだ多い。

 大学は専門学校ではない為にプログラミングだけを行う大学は有り得ず、基礎教養を含め学位を授与するのですから。しかしサイバー戦部隊はどうか、文字通り使う知識と技能に特化し延々と教育訓練を行う、いわば若年退職自衛官は先端知識を身に着けた先端企業が高給で雇い入れたい羨望の人材となるでしょう。自衛隊を魅力ある職場とする選択肢です。

 プログラミング、技術と適性の多寡はあり、全てをサイバー戦部隊へ配属、という極論ではなく、平時におけるグレーゾーン事態へのサイバー攻撃とその対処を行うと共に有事の際には増加する戦域情報管理や個人用端末の運用管理を含め、つまり高度なサイバー人材から個人用端末の管理まで自衛隊はプログラミング教育訓練を普及させる必要があります。

 自衛隊においてプログラミング教育を訓練の一環として導入することは、電子通信や無人航空機管制、武器システム全般の整備維持は勿論訓練まで含めて今後の装備運用体系から不可欠になるでしょう。今後普及する車載端末や個人用端末が一線で故障した際に整備大隊へ持ち込むのは難しい。そしてこれが令和時代における"大型免許”となるのではないか。

 大型免許、かつて自衛隊では募集に際し"タダで大型免許が取れる”という、地方強力本部が地方連絡部と呼ばれていた時代の定型句がありました、もちろん職種によっては必ずしも該当しないのですが、退官後の職業を考えますと任期制自衛官には大型免許と退職金は厳しい訓練と制約の多い生活に見合ったものといえます。これの令和時代版を、という。

 さて、プログラミング資格についてはITパスポートなど国家資格が幾つかあげられますが、国家資格であり且つ企業のプログラミング人材に該当する先端知識を自衛隊において教育訓練の一環として拾得できるとしましたら、自衛官という職業、特に任期制自衛官について任期が数年で終了する場合でもその職に対する見方を変えるもの、とおもうのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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検証-首都直下地震【3】危機管理か国民管理か?災害対策の難しい深度と必要な主権者意識

2019-12-09 20:11:10 | 防災・災害派遣
■巨大地震か大地震止まりか
 巨大災害と云いますが何処まで想定するかで国の関与拡大が必要な場合もあれば個人で対応できるものもある、さじ加減次第で危機管理か国民管理かとなる。

 首都直下型地震、最大規模で発生した場合には個々人での防災準備に限界があるように思うのです。これは南海トラフ地震に際しても同様の論理が成り立つのですが、例えば一週間分の食料と水に一定期間の予備電源や耐震補強に家具固定を行おうとも、住宅が大火災で延焼しては意味がありません。南海トラフ地震では津波で根こそぎ流失の懸念がある。

 事前備蓄を行い、避難持ち出し袋で避難するとしますが、一週間分の非常食料と水を最小限度の着替えや貴重品と防災資材と共に梱包しますとかなりの重量となります。普段から登山や予備自衛官として鍛えておくならば別として、充分な準備を行って重量が増大する避難装備一式を以て、火災旋風や津波災害から無事に逃げおおせるものなのでしょうか。

 国家非常事態法制、財産権の制限による破壊消防の実施による火災旋風鎮圧、戒厳令による外出禁止令を通じた群衆雪崩阻止、物資統制による避難者救護物資の徴収や帰宅困難者輸送力提供、想定外の規模の首都直下型地震へ本気で被災者を減らそうとするならば、非常大権というものを考慮せねばなりませんが、これは為政者を選ぶ国民の責任を重くする。

 日本は現行憲法下において国民主権ですので、こうした強権を政治に付与する事で防災を確たることとする選択肢はありますが、現状の通り、既存の現行法で、多少犠牲者は多くなりましょうが、前の戦争程の犠牲者は出ない、その範疇で出来るだけのことを行い、それで不可能な地震被害は、想定外、として諦める。一応そうした選択肢はない訳ではない。

 無論、時間は掛かりますが木造家屋の建築を首都圏で法的に制限し火災被害を局限化、都市部には防火帯整備へ土地収用を進め、ガス火災やガソリン火災を阻止するべく段階的に電気自動車以外を禁止し住宅はオール電化とする、スイスの様に個人住宅にはシェルター設置を義務付ける、首都圏全域でこれを徹底できるならば、地震被害の大半を抑え得る。

 現実的か。上記の施策は全く不可能かと問われれば、やればできるのですが、大変な財投を必要としますし、制限区域内では住宅を持つには相当の掲示的余裕を必要とするようになり、これは残念ながら現実的に支持される施策とは思えません。実現したならば、例えば巨大地震以外に核攻撃の脅威にも耐えうる強靭な大都市となるのでしょうけれども、ね。

 非常事態法制により個人の限界を社会全体で支え合う構造を構築するか。巨大災害には想定外として諦めるか。現実的では無いが数百年後の完成を夢見て暫定的にでも強靭な都市を次の巨大地震は別として整備するか。選択肢はあるように思います。個人的には非常事態法制による国家総動員での防災が望ましい。しかし政府強権付与への不安も理解できる。

 個人防災の限界、勿論すべてを否定するつもりはありません。例えば大阪府北部地震では震度七が計測され、最大震度では兵庫県南部地震と同規模でしたが、マグニチュードの多寡、即ち、地震エネルギーの関係上から震度七であっても激震の持続が短く、2名が亡くなりましたが6500名以上が亡くなったあの阪神大震災の様な被害とはなりませんでした。

 首都直下型地震はマグニチュード8.0規模の懸念もありますが、マグニチュード7.0水準にとどまる可能性もあります、逆にマグニチュード9.0の海溝型地震を誘発する前駆地震ともなり得るのですが。従って首都直下型地震であっても例えば2005年千葉県北西部地震よりも強い程度にとどまる可能性もあり、この場合は個人防災が大きな意味を帯びるでしょう。

 千葉県北西部地震は2005年7月23日に発災、この日は横須賀地方隊伊勢湾展示訓練にて艦上にいまして、丁度洋上から名古屋港に寄港しますと、東京で久々に震度五強の強震が観測される地震発生した報道に接し、幸い死者は出ませんでしたが、阪神大震災から十年目の慰霊の日を迎えた年度であり、地震被害を忘れてはならないと感じましたものです。

 明治東京地震、1894年6月20日に発生した南関東地震で首都直下型地震です。マグニチュード7.0、この規模は1923年関東大震災を引き起こした相模湾震源である関東大地震のマグニチュード7.9乃至マグニチュード8.2よりは桁外れに小規模ではありますが、関東大震災死者数が10万を超えたのに対し明治東京地震は死者31名という被害に留まりました。

 安政江戸地震、しかし明治東京地震に遡る1855年には、当時首都は京都でしたので首都直下型地震の定義には外れますが関東平野において南関東地震に分類されるマグニチュード7.4規模の直下型地震が発生し、火災が数十か所で発生し僥倖にも折からの降雨で翌日には自然鎮火しましたが、それでも江戸市中を中心に最大で10000名規模の死者が出ています。

 首都直下型地震には規模の多寡があり、ここまで議論しました様な巨大地震、最悪の場合は南関東地震である安政江戸地震規模の地震が発生した事で相模湾震源の関東大地震規模の地震を誘発させ関東大震災再来となる可能性も否定できません。過度に警戒しますと小規模なものに留まる可能性もあれば逆もある。これが危機管理の難しさであり、それを班d難するのは政治でしかなく、その政治を選ぶのは我々選挙民としての主権者なのかもしれません。

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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【07】支援艦とミサイル艇(2009.10.23)

2019-12-08 20:17:12 | 海上自衛隊 催事
■受閲部隊続々海を往く
 本日は十二月八日で私の誕生日なのですが本日は観艦式を少々前回より間が空きましたが紹介しましょう。

 くらま、へ敬礼する掃海艇あいしま。すがしま型はUSC京浜事業所鶴見工場で建造された木造掃海艇で、本型は1991年ペルシャ湾機雷戦という実戦を経て第二次大戦型磁気機雷との性能差を痛感、各国で導入実績あるフランス製PAP-104機雷処分具を初採用しました。

 ペルシャ湾機雷戦は朝鮮戦争以来初の実戦経験となりましたが、40年の機雷技術発展は著しく、機雷処分器具の画像伝送と掃海艇からのソナー機雷探知では新鋭の低視認性機雷には発見が難しく、海底潮流や泥等視界悪環境下では当時日本製の装備は苦戦を強いられる。

 あただ型掃海艇、たかみ型掃海艇、と自衛隊は長く掃海艇を建造し、また第二次大戦中の米軍遺棄機雷や日本軍遺棄機雷処理を通じ長く実戦を経験した自負がありましたが、湾岸戦争、実戦の洗礼を受けて以来、海外装備研究や共同訓練を重視するようになりました。

 ましゅう。満載排水量25000tの総合補給艦で、艦長は品川隆1佐、元砕氷艦しらせ艦長で南極にも行きました。受閲艦艇部隊第6群として補給艦ましゅう(AOE-425護衛艦隊直轄-第1海上補給隊)と輸送艦おおすみ(LST-4001護衛艦隊直轄-第1輸送隊)等やってきました。

 補給艦の任務は燃料や弾薬食料部品等を補給する。受閲艦艇部隊第6群は更にエアクッション艇1号(LCAC-2101護衛艦隊直轄-第1輸送隊-第1エアクッション艇隊)とエアクッション艇2号(LCAC-2102護衛艦隊直轄第1輸送隊-第1エアクッション艇隊)が続いて行く。

 ましゅう、おうみ、と建造された本型は主燃料と航空燃料等燃料10000t、固形補給品は冷凍冷蔵倉庫や弾薬庫を有しており、艦内の補給倉庫群は左右両舷にフォークリフト用レールと大型ベルトコンベア通路を備えており、補給作業の迅速化と自動化に寄与しています。

 いずも型ヘリコプター搭載護衛艦の満載排水量27000tが就役するまで、ましゅう型補給艦は海上自衛隊最大の自衛艦でした。つまり、この2009年の観艦式では本型が最大でした。ましゅう型就役までは砕氷艦しらせ、が最大。品川艦長が前に艦長を務めていた艦ですね。

 おおすみ、艦長田邉明彦1佐が指揮します、田邉艦長は後に護衛艦ひゅうが二代目艦長へ。LST-4001おおすみ、現在は掃海隊群第1輸送隊に所属しています。外見から初見の方には何をするのか分り難い艦ですが、ドック型輸送艦、艦内に揚陸艇を収容するドックを持つ。

 ましゅう基準排水量は13500tで満載排水量25000t、おおすみ型は基準排水量8900tで満載排水量14000t、先程の護衛艦ひゅうが、は基準排水量13500tで満載排水量19000tです。排水量というおのはその船を巨大な水槽に入れた際に押し出されて排水される水の重さ。

 くらま、おおすみ。おおすみ型輸送艦は基準排水量2000t満載排水量4000tの輸送艦みうら型後継として建造されました、当初は海岸線に直接揚陸する方式の揚陸艦で基準排水量3000t程度を見込んでいましたが、この方式は古いとされ、ドック型揚陸艦を目指す事に。

 おおすみ型、5500t程度を考えるも戦車が輸送出来ず、7500t型へ。そこでアメリカ製エアクッション揚陸艇を搭載する方式が示され、8900t型となりました。当初検討では15500t型も検討されたといわれるのですが、流石に2000t艦後継には大きすぎるとして、見送り。

 連隊戦闘団90式戦車14両と人員2000名を、おおすみ型3隻で輸送する計画でした。海上自衛隊へは長年、連隊戦闘団同時輸送力の整備が求められている。ただ、普通科連隊の自動車化や小型化と一定せず、現在は増強普通科中隊戦闘群を輸送する、と説明できる。

 くらま、LCAC。輸送艦おおすみ(LST-4001護衛艦隊直轄-第1輸送隊)に続き、エアクッション艇1号(LCAC-2101護衛艦隊直轄-第1輸送隊-第1エアクッション艇隊)エアクッション艇2号(LCAC-2102護衛艦隊直轄第1輸送隊-第1エアクッション艇隊)が観閲に臨む。

 エアクッション艇1号型は輸送艦おおすみ型搭載艇として6隻が整備されましたアメリカ製の揚陸艇です。当初は搭載艇扱いですが、現在は独立した輸送艇という扱いであり、自衛艦籍にある数少ない輸入艦艇、といえるかもしれません。一隻当たり90億円というもの。

 LCACは標準54t、最大68tの装備を揚陸させるもので、アメリカ陸軍のM-1A2戦車が68t、我が国10式戦車が44tで、96式装輪装甲車は4両載る。速力は回航時70kt、54t搭載時40ktと68t搭載時30kt、航続距離は54t搭載時に35ktで300浬、40ktで200浬という。

 ホバークラフト方式であり荒天時でも航行が可能であるほか、全世界の80%の海岸線に揚陸できるといい、基本的に沖合96kmという地対艦ミサイルの視程外から発進し、上陸します。アメリカ海兵隊はLAV-25軽装甲車3輌とハンヴィー高機動車6両をこれに詰め込む。

 二年後の東日本大震災、LCACと哨戒ヘリコプター搭載艦が無ければ、犠牲者は枚以上になっていた、と当時の吉川横須賀地方総監が回顧するほどに重要な役割を有しており、津波被災地へ巨大な輸送力を発揮し、孤立被災者救助と救援物資沿岸部輸送に活躍している。

 くらま、くまたか。受閲艦艇部隊第7群は哨戒艦艇部隊です、ミサイル艇くまたか(PG-827余市防備隊-第1ミサイル艇隊)とミサイル艇おおたか(PG-826佐世保警備隊-第3ミサイル艇隊)の2隻が展開して参りました。いろいろ言われるミサイル艇ですが、在って良かった。

 おおたか。はやぶさ型ミサイル艇は満載排水量240t、射程180kmのSSM-1対艦ミサイルを搭載し航空機等の情報に連接し一撃離脱を図る。76mm艦砲を搭載し哨戒任務にも当れ、昨今は遥かに巨大なロシア軍ミサイル巡洋艦等周辺海域出現へも監視任務へ当っています。

 くまたか、あたご。大きさは二桁違う。一番艇はやぶさ配備当時、京都新聞は三面に大きな記事を掲載したのを覚えています、あの頃は北朝鮮工作船が跋扈し、対戦車ロケットや対空ミサイルを搭載、海上保安庁巡視船では対処に限界を感じていました、心強かった。

 能登半島不審船事件、1998年に北朝鮮からの国籍不明線2隻が海上保安庁の追尾を振りきり、初の海上警備行動命令が下令、ヘリコプター搭載護衛艦はるな、ミサイル護衛艦みょうこう、護衛艦あぶくま、が追尾し緊張が。ミサイル艇は小型で用途は限定、でも必要だ。

 あぶくま、おおたか。ミサイル艇は用途が限られるとの批判、速力44ktと高速ですが、レーダー等は最小限で単体での用途は限定されます、防空装備は艦砲だけで対艦ミサイルを搭載するヘリコプターからは陸上の地対空ミサイル部隊支援下へ逃げ込むしかありません。

 軍艦とは時代の要請が反映されるもの。ミサイル艇に代わり北朝鮮武装工作船へは管制式40mm機関砲を備えた海上保安庁高速巡視船とAGM-114ミサイルを搭載するSH-60K哨戒ヘリコプターが現代は対応し、はやぶさ型ミサイル艇後継には大型の哨戒艦が当ります。

 P-3C哨戒機2機編隊が飛来、閲艦艇部隊第1群として護衛艦部隊、第2群として護衛艦部隊、第3群として護衛艦部隊、第4群として潜水艦部隊、隊第5群として掃海艇部隊、第6群として支援部隊、第7群として哨戒部隊、その式が完了し、いよいよ祝賀飛行が始まる。

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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
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安倍総理在任期間歴代最長と戦後レジーム脱却【3】憲法,見たくない現実に蓋をする戦後政治

2019-12-07 20:05:57 | 国際・政治
■自衛権は諸問題の入り口
 憲法問題は、見たくない現実に蓋をする政治というものを支持する世論が在る為に現在の政治は現状に収斂しているのではないかという印象があります。

 歴代最長内閣となりました安倍内閣ですが、憲法改正、特に環境権やプライバシー権のような日本国憲法制定当時には希薄であった概念ではなく、憲法制定当時から旧憲法との最大の相違点である軍備の否定というものは、やはり改憲が議題となる際には防衛力を、軍隊では無い防衛力として創設された自衛隊を含め、一つの争点となる事は不可避です。

 憲法の問題は日本国憲法制定当時に我が国の防衛は事実上連合国、中でもアメリカ軍により為されていました、イギリス軍も進駐しており小規模な駐留はさらに多くの国々が参加していますが、日本国憲法制定当時には事実上防衛力については警察官の短銃まで規制されており、米軍の庇護は不可欠と言うよりも憲法が機能する上で前提であったわけです。

 戦争放棄を掲げ本当に非武装を貫き経済発展したならば、周辺国が占領して、その統治下で憲法を買えられる懸念が。このため、続くサンフランシスコ平和条約締結により外交自主権が返還されますと、同時に日米安全保障条約が締結され、謂わば国際法上の無主地が如くの状況からアメリカ軍の関与により防衛城の空白地域の問題を払拭する必要が生じた。

 日米安全保障条約により再軍備以前の日本国土が、新しい係争地となる危惧を払拭した構図です。ただ同時に経済力や反戦機運により、世論は自主防衛力整備に積極ではなく、政府も本土決戦のような状況を除けば積極的に防衛力を整備せずとも地域安定化には在日米軍の存在が大きく、これは時間的にも段階的にも政治も世論も意識定着化が進んでいます。

 軍事力の放棄、上記の段階的とは、憲法制定当時はもちろん日米安全保障条約締結当時まで、沖縄県全域、鹿児島県島嶼部、小笠原東京都島嶼部、この三地域がアメリカ統治下にあり、言わば北海道を除けば日本本土に外敵が侵攻する際、確実にアメリカ統治領と米軍を攻撃する事となり、これは現実的に不可能といえるほどの軍事的障壁を為しています。

 日本周辺の離島は全てアメリカ統治下に。憲法制定と安保条約締結当時のこの状況があったため、また時を同じくして緊張下の朝鮮戦争では日本本土に国連軍が、国共内戦激化により台湾海峡危機が深刻な状況にあった際は沖縄がアメリカ統治下でした。国共内戦では大陳島撤退作戦にて民国軍が瓦解せず台湾島へ撤退するべく第七艦隊が支援しています。

 台湾海峡危機とともに、朝鮮戦争では日本本土駐留第1騎兵師団と第24歩兵師団をいち早く投入していました、もし在日米軍抜きに朝鮮戦争や台湾海峡危機が生じていた場合、何らかの措置、再軍備を行っていなければ九州や南西諸島まで飛び火していた可能性は当然あったでしょう。しかし起こらなかった、その結果政府も国民も危機を経験していません。

 核の問題、同盟と自主防衛に関する命題はもう一つの難しい問題として、核エネルギーや核抑止力にも連関します。核廃絶を求める我が国は核不拡散条約や包括的核実験禁止条約の制定に非核保有国としては制定への関与を行っていますが、単純な核兵器禁止条約にたいしては、もちろん核兵器禁止条約には原則宣言にちかい、効力の怪しさはありました。

 核兵器禁止条約はソフトローとしての機能が重視され、核軍縮への効力が薄いというよりも、核実験直前まで北朝鮮が批准の意志を示していたように、核不拡散条約の効力を回避させる懸念がある背景も無視してはならないのですが、アメリカの核抑止力、これに依存せざるを得ない日本政府の、選択肢が事実上ないという実情も無視してはなりません。

 アメリカの核抑止とは。日本国内を戦略核により核攻撃したならば在日米軍と米国市民が巻き込まれ、アメリカからの戦略核による報復があり得る、こうした抑止力に依存する関係から積極的な指針を特に安易なレジーム形成に参画できない難しさがあります。対米追従としてアメリカ寄りの姿勢を批判する方の中でも自主防衛まで踏み込んだ対案は少ない。

 これは核兵器保有を含まない場合やニュークリアシェアリング、も含め、ここの選択肢を閉ざしています。現在、北朝鮮核攻撃の脅威に対してはイージスミサイル防衛システムと新たに導入する陸上配備型ミサイル防衛システムイージスアショアにより対応する計画ですが、日本一国ではミサイル防衛技術の開発ができません、実験さえも幾つかの制約が。

 ミサイル防衛、迎撃実験をしようにも実験弾が無い為です。音速の十五倍で落下するミサイルの迎撃を試験するためには相応の速度を有する実験飛翔体が必要ですが、日本独自に実験飛翔体を開発した場合、衛星迎撃兵器か中距離弾道弾か極超音速滑空兵器の開発と同一視される懸念があり、ミサイル防衛さえもアメリカの協力下でなければ難しい実状です。

 エネルギーとしての核問題、これは若干系統が異なりますが、福島第一原子力発電所事故、ここに繋がる我が国原子力開発の根底が、そもそも第二次世界大戦がエネルギー確保を要因の一つに見いだせる実状を忘れてはなりません。実際、発電用核燃料の到着を現在のリベラルな全国紙でさえ、平和の火、として1950年代に歓迎しました背景には大きな意味が。

 第二次世界大戦への反省、大きな意味とは、これで石油を巡る国際紛争から、発電用核燃料に部分的にシフトする事で距離を置くことできる旨を含むものでした。火山性地形の環太平洋弧状列島に原子力施設を置くことは非常にリスクはありますが、南方資源確保を念頭とした先の大戦の惨禍よりはまともである、として他に選択肢が無かった為でしょう。

 原子力開発か石油確保か、謂わば“ペストかコレラか”の選択を選んだ故といえるのかもしれません。エネルギー、日本国内には天然資源としては、南西諸島近海の天然ガス田を除けば産業基盤を維持できるほどの油田やガス田はありません。再生可能エネルギーも原子力と化石燃料を置き換える程の水準となるには、もうあと数段階の技術革新が必要です。

 脱原子力と安易に掲げましても、化石燃料依存には、ステイクホルダーとして、いわば世界のエネルギー問題には防衛協力と行使を含め関与する、これが現行憲法で出来ない以上、原子力開発を進め一定の動力を確保できることが軍事力を正面に出せない我が国が、経済力を維持し国民生活を支える上での政治の責任として原子力を推進させた背景があります。

 戦後レジームからの脱却、ここに憲法改正による自衛権明記による自衛権の再確認が筆頭となることの背景は、戦争できる国、という事ではなく、戦争を強いられた場合に戦争できないことを理由に国民生命を差し出すという、日本が戦争放棄した状況下で戦争が日本放棄を迫った場合という懸念を払拭する事にあるのですが、歴代最長政権であっても、この問題は簡単ではないようです。自衛権は解決ではなく諸問題の入り口なのですから、実際、危機が迫るまでは難しいのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和元年度十二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2019.12.07-12.08)

2019-12-06 20:09:43 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 十二月となりまして今年も十二月八日がやってまいりますが皆様いかがお過ごしでしょうか。

 那覇基地航空祭、航空自衛隊第9航空団の展開する沖縄県の航空祭です。第9航空団が沖縄県全域の防空を担うとともに南西航空方面隊司令部が置かれる最前線の基地です。また基地は海上自衛隊那覇航空基地と共用しており第5航空群が展開、陸上自衛隊第15ヘリコプター隊と那覇駐屯地も隣接しています。沖縄の玄関。基地は那覇空港に隣接しています。

 那覇空港隣接、別名東京大阪から日帰りが可能である航空祭として長らく親しまれてきましたが、ここ数年間は土曜日と日曜日に開催されることとなり日帰りは難しくなりました。土曜日と日曜日開催されますが飛行展示は同一ではなく、緊急発進の増大にあわせ一日分の飛行展示を二日間に分け、そして飛行展示以外の催しとともに航空祭は実施されます。

 築城航空祭、航空自衛隊第8航空団の展開する福岡県の基地航空祭です。F-2戦闘機二個飛行隊を基幹とする航空団は現在航空自衛隊唯一のF-2のみによる航空団で元々はF-15飛行隊とF-2飛行隊からなる混成航空団でしたが沖縄防空建直しへF-15飛行隊が那覇へ転地、その穴埋めとして青森三沢基地からF-2飛行隊が転地し現在の航空団編成となっています。

 F-2大編隊が名物の航空祭へは北九州市小倉から特急ソニックで45分ほど、普通列車でも一時間と少しで到達します。JR九州は航空祭にあわせ日豊本線に臨時列車を多数運行していますが、航空祭飛行展示の時間帯次第でやはり基地からの出場制限と駅への入場規制が入るほどの大混雑となりますので、お出かけの祭には時間に余裕を持ってお越しください。

 木更津航空祭。陸上自衛隊木更津駐屯地創設記念行事が日曜日に挙行されます。第1ヘリコプター団と東武方面隊直轄の東部方面航空隊第4対戦車ヘリコプター隊が駐屯しており、名物は空を覆う大編隊と京葉工業地帯を借景に展開される第1空挺団との協同による訓練展示模擬戦です。第1ヘリコプター団はCH-47J/JA輸送ヘリコプターを32機揃えている。

 木更津駐屯地は千葉県木更津市、千葉市から快速電車で少し時間を要しますが、千葉市に一泊してみますとお城あり文化財あり、ともいえますね。こういいますのも千葉県は今年台風15号災害と続く台風19号災害により深刻な被害を受けていまして、こうした中の航空祭挙行が少しでも観光客が増え、千葉県南部復興の一助となることを願ってやみません。

 海上自衛隊艦艇広報について。掃海艇うくしま掃海艇とよしま博多港一般公開、福岡県福岡市博多港にて土曜日七日と日曜日八日に執り行われます。掃海艇一般公開は小型艦艇ではありますが二隻揃うと中々に勇壮な艦容をみせてくれるでしょう。この他に舞鶴基地と佐世保基地及び呉基地の週末一般公開については各地方隊総監部HP等をご覧ください。

 さて撮影の話題を。自衛隊関連行事、撮影に際して開門と同時に良い撮影位置を確保した、としましょう。しかし、陣地変換の必要性を感じた際にはどうすればよいのでしょうか。状況は数多考え得る、来場者の増大による視界制約、広報用区画の事後確保、車両待機位置の変遷、撮影が難しくなった場合の選択肢です、朝いちばんに苦労し確保した場所を動くべきか否か。

 経験論から言いますと、早い時間に、それこそ早起きして目指した撮影位置を事後に去るのは厳しいものです。しかし、この位置で撮影できる画角が限られるので在れば、素早く撮影し、特に部隊整列や指揮官巡閲などの行事の一幕と言うべき重要な局面、こうしたものを撮影しましたらば陣地変換する、という胆力といいますか一種の覚悟は必要でしょう。

 撮影位置について、好転しない状況を前にしかし早起きしたのだからと延々と同じ位置に固執することは、結果的に撮影全般に悪い結果をもたらす懸念があります。移動した先に良い撮影条件があるのかは未知数でも、最初の撮影位置に固執した場合の結果を冷静に判断する必要があるでしょう。動く事は勇気がいりますが、動かない結果を見定めるべきだ。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭


・木更津航空祭2019…https://www.mod.go.jp/gsdf/crf/heridan/
・掃海艇うくしま掃海艇とよしま博多港一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/
・築城基地航空祭2019…https://www.mod.go.jp/asdf/tsuiki/
・那覇基地航空祭2019…https://www.mod.go.jp/asdf/naha/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【映画講評】最貧前線(2019)【第三回】太平洋ASW!もう一つの悲劇“特設捕獲網艇”の戦い

2019-12-05 20:13:40 | 映画
■狙うは一発!舶来大物潜水艦
 最貧前線の舞台は特設監視艇の悲劇でしたが、作品にも描かれていないもの、実は民間徴用船がASW即ち対潜戦闘に動員された事例もありました。後篇に続く付録です。

 最貧前線、月刊モデルグラフィックス誌に宮崎駿氏が掲載した作品の舞台化ですが、舞台となった特設監視艇とは別に、今回はもう少し悲しいといいますか方向性が疑問と云いますか、太平洋戦争の混乱が生んだ喜劇のような悲劇、特設捕獲網艇について紹介しましょう。特設監視艇については一定の効果が在った事は示した通りですが、こちらについて。

 特設捕獲網艇、1941年9月に海軍特務艇として徴用されたもので、特設捕獲網艇は終戦までに43隻が徴用されています。海軍は小型の遠洋漁船を特設監視艇、もう少し大きな木造遠洋漁船を特設掃海艇、大きいが金属船については特設駆潜艇としました。そしてさらに大きな小型貨物船が徴用され充てられた任務が、今回紹介します特設捕獲網艇というもの。

 潜水艦脅威の増大とともに日本海軍も潜水艦を重視しており、太平洋戦争、日米開戦が不可避となった時点でアメリカの潜水艦に対抗する装備の強化は当時喫緊の課題でした。特設捕獲網艇はその為の装備ですが、運用がなんというか独特でした。なにしろ捕獲網艇だ。

 捕獲網艇の任務は潜水艦を捕獲する事です。特設捕獲網艇という位ですので、それでは海軍に正規の捕獲網艇が在ったのかと問われるとそうではなく、任務はその名の通り、網を投じて漁船が漁獲する様に潜水艦を鹵獲する、というもの。鹵獲した際に敵の潜水艦が反撃してきた場合に備えて、特設捕獲網艇には57mm砲や75mm砲を搭載していました。

 対潜戦闘といえば、現代ではソナーはじめ様々な対潜機材から敵潜水艦の位置を標定し、真上からアスロック対潜ロケットや哨戒ヘリコプターにより短魚雷を投下する、もしくは対潜爆弾により航行不能状況へ追い込み撃破する、というもの。第二次世界大戦当時は探信聴音装置即ちソナー化襲撃行動前の潜望鏡をレーダーか目視で捕捉し、爆雷攻撃を行う。

 第一次世界大戦では日本海軍が船団護衛へ地中海へ進出した際に、ドイツ海軍のUボート制圧を実施する際、なにしろ日本海軍も潜水艦は研究中であり、その手法をイギリス海軍へ問うたところ、機雷処分用のパラベーン掃海器具により潜水艦を掃海索に巻き込む形で浮上させ、砲撃し破壊する手法を提示された、という歴史がありましたけれど、網、とは。

 パラベーン掃海器具、掃海器具を取り付けた索を海中航行させる為の水中推進装置で、実はテレビアニメーション“ハイスクールフリート”に攻撃を加えてきました所属不明の潜水艦を撃退する際に、爆雷のように相手を傷つけない方法としましてパラベーンが用いられる描写が在り、また古い方法で立ち向かうなあ、と放映時テレビの前で驚かされたもの。

 特設捕獲網艇、捕獲網を2基程度搭載し、また潜水艦を漁網、ではなく捕獲網に追い込むために数発の爆雷を搭載していました。鹵獲できれば大物、その上で自衛用に57mm乃至75mm艦砲を搭載していたのですが、探信聴音装置は簡易的なものしか搭載していなかったようで、僅かに残る特設捕獲網艇写真を観ますと、電探装置、つまりレーダーらしき装備も見えません。

 対潜戦闘を行うのに漁網のような捕獲網を主力装備として、追いかける。もちろん、太平洋戦争前の時点でアメリカの潜水艦には艦砲も機銃も魚雷も搭載されていますので、こんな特設捕獲網艇のような、貨物船を改造した網が武器の特務艇で太刀打ちできる訳ではありません。特設捕獲網艇の訓練に関しては、資料がほとんど失われているだけにほぼ不明なのですが、潜水艦の航路を塞ぐように捕獲網を展開し追い込む様式しか考えられません。

 43隻も特設捕獲網艇を徴用したのですが、まさか駆逐艦と協同する程の速力もありません。重要海峡等に配備し、双眼鏡などで潜望鏡をひたすら探し、潜望鏡を見つけたらば、中世の捕鯨の様に一斉に艦砲で威嚇しつつ敵潜水艦が先行すると思われる海域の周りに、定置網のように網を展開するのでしょう。そして爆雷で潜水艦を定置網へと追い込んでゆく。

 定置網、思い出せば映画“シン-ゴジラ”でもゴジラの生態を調べる為に東京湾に定置網を展開し捕獲できないか、と政府に招かれた不明生物の専門家が首相に意見する描写が在りまして、映画館が失笑に包まれていましたが、太平洋戦争における日本海軍は大まじめに定置網でアメリカ潜水艦を鹵獲しようとしていたのですから、余り笑っては居られません。

 特設駆潜艇ならば戦況に寄与した部分は大きいと云えます。例えばイギリス海軍が大西洋の戦いでドイツのUボート対策に用いたフラワー級コルベットはトロール漁船の設計に爆雷とロケット爆雷に小口径の艦砲と機銃にソナーを搭載したものを大量に量産していました、爆雷を備えた船が見回っているだけでも多少抑止効果はあります、ですが、網ではなあ。

 特設監視艇、本土防空へ大きな成果がありました。特設監視艇黒潮部隊が展開していたのは本州から400浬乃至600浬という遠距離、考えてみますと超水平線OTHレーダーを除けば現代でも600浬以遠の航空機を探知するレーダーはありませんし、実際、相当な犠牲を払いつつも本土防空に不可欠の情報を送り続けていました。そこで、特設駆潜艇、だ。

 特設敷設艇ならば潜水艦を制圧する能力はあったように思います、これは機雷原を洋上に構築するもので、完全封鎖すると自分も通れませんが一部を封鎖する、例えば戦時中のシーレーン防衛を描いた“海上護衛戦”等では重要航路を機雷原で防護し、対馬海峡や津軽海峡に敷設するだけでかなり敵潜水艦の行動を抑制する効果が在ったと回顧されています。

 特設防潜網艇のような用途であれば、これは敵小型潜水艇の軍港潜入を防ぐために湾口などに防潜網を展開する艦艇で、横須賀や呉と佐世保軍港では毎日実施されていたのですが、余り外洋で実施が向かないのに対し、日本本土の軍港では特殊潜航艇による被害を回避しました。実はシンガポール等ではイギリス特殊潜航艇によりリンペット機雷攻撃が在った。

 特設捕獲網艇、資料は残っていないのですが、一番の悲劇は戦闘中に喪失した事例が見当たらないといいますか、損耗が無いならば幸いではないかと反論が来そうですが、それ以上に真面目に戦闘に派遣された記録が見当たらないのですよね。何の為に海軍は徴用したのか、真面目に捕獲網で潜水艦を捕獲できると考えていたのか、意味無き動員が悲劇です。

 特設捕獲網艇は、その任務から排水量1000t前後の船舶を用いていますので、これだけの船舶ならば島嶼部輸送等に用いた方が、まだ戦局に寄与したでしょう。最貧前線は漁民が戦争に動員され大きな成果と共に多大な犠牲を強いられた悲劇ですが、何のために動員されたのかよくわからない徴用の悲劇、行われたというものも、忘れてはならないでしょう。

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【京都幕間旅情】御室仁和寺(大内山)椛が焔の如く染める太平洋戦争末期の極秘終戦交渉舞台

2019-12-04 20:15:54 | 写真
■晩秋紅葉と師走は真珠湾
 美しの椛に彩られる壮大伽藍が実は太平洋戦争終戦の極秘舞台一端を担ったといいましたらば、驚かれるでしょうか。

 仁和寺。大内山仁和寺は衣笠山麓の右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院です。仁和4年の西暦888年に宇多天皇が開基となり法皇として座所を定めた事から御室仁和寺と称されます。燃える様な紅葉ですがこの写真は先週のもの、そして季節は師走となった。

 師走といいますと真珠湾攻撃と忠臣蔵を思い浮かべますが開戦から78年、記憶は記録に還り昨今は余り振り返られぬようになっています。しかし燃えるような紅葉の仁和寺は、実はあの戦争と最後の段階、終わらせるのが難しい時代において実は関係があったのですね。

 御室仁和寺、実は現代史においても御室が再興される可能性がありました、第二次世界大戦末期の事です。昭和20年の最初の月、戦局は最早絶望的であり連合軍は日本が緒戦で獲得した占領地の大半と、重要な通称航路の要点を全て制圧しシーレーンが途絶しました。

 連合軍の本土空襲は間もなく都市部への無差別な絨毯爆撃へ展開し、日本本土の沖縄と小笠原諸島への連合軍侵攻を留める戦力は枯渇しつつあり、そしてその再建見通しもありませんでした。こうした最中に極秘計画として昭和天皇の出家が模索され、御室仁和寺が。

 応仁の乱にて全ての伽藍が失われた仁和寺は一時放棄され衣笠山に細やかな庵を幾つか建て、その状態は復興の江戸時代まで続いたという歴史があります。しかし幕末の騒擾、そして第二次世界大戦では戦火を幸いにして免れ、故に再度御室として注目されたのですね。

 外務省は中立国ソ連との間での講和交渉を目指し、海軍が保有する戦艦長門や残存空母を主要駆逐艦等を提供する見返りにミグ戦闘機数千機とT-34戦車や燃料供給を模索したという研究も在り、如何に当時の日本が追いつめられていたかが如実に示されているでしょう。

 退位し出家、少々時代錯誤のように思われるかもしれませんが、連合国との講和交渉さえも既に多大な犠牲を払った帝国陸海軍には端緒を許さない風潮は強く、最悪の場合を考えての事でしょう。実際、開戦時の首相近衛文麿は、この頃に幾度か仁和寺を訪れています。

 極秘の終戦交渉とは、天皇の出家により戦争責任から免責される事を条件に連合国との交渉に臨むという、天皇大権の維持が実現しなければ陸海軍は軍政を敷いてでも継戦となる事は当時情勢から必至であり、故に国が再建できる内にその見通しを建てる必要があった。

 戦後日本では戦争放棄を掲げつつ、これは本来の戦争という手段を外交から放棄するという意味から飛躍し、戦争について考える事を放棄する方向に向かい、何が戦争を引き起こし何を以て戦争に巻き込まれるのかさえ、考える事を放棄しているようで危惧してしまう。

 ヴィルヘルム二世第三代ドイツ帝国皇帝、第一次世界大戦を決断したドイツ皇帝も、パウル-フォン-ヒンデンブルク元帥とエーリヒ-ルーデンドルフ歩兵大将の軍部独裁体制下、大戦末期に退位しオランダへ亡命する事によりドイツ帝国廃線後の戦争責任を免れています。

 西園寺公望、戦前に最も優れた政治家であり元首相とそして最後の元老を務めつつ第二次大戦開戦直前にこの世を去った西園寺公望公はこの仁和寺を含む衣笠山山麓一帯が西園寺家の荘園であった時代が永く、そして幕末に11歳にして宮中に出仕した経験があります。

 最後の元老として、昭和天皇の輔弼に当った時代が長い西園寺公望は、幕末の孝明天皇治世下に祐宮皇太子の近習として仕えていまして、祐宮皇太子が即位し明治天皇となられた後には昭和天皇の幼少期にも親しく接した歴史があります、影響力は大きかったのですね。

 近衛文麿が首相へ大命降下の際にはやはりその首相就任を強く勧めたのが存命中の西園寺公望といいますので、昭和天皇の出家が模索された当時、既に故人ではありましたが西園寺公望と西園寺家所縁の地に近い仁和寺が選ばれた事は何か歴史の不思議を感じるものだ。

 藤原摂関家と繋がる西園寺家故に、成程最後まで皇室に寄り添うのは結局藤原氏なのか、とも思う次第ですが、平安朝初期開山のこの仁和寺には激動の昭和史に政治の中枢と織り合う機会があったという。真珠湾攻撃開戦記念日前にふと思い出し拝観して参りました。

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検証-首都直下地震【2】自衛隊縮小の現状と火災旋風や群衆雪崩を阻止する非常事態法の整備

2019-12-03 20:02:44 | 防災・災害派遣
■被害局限,平時手続きの限界
 NHK想定の被害は広域停電ブラックアウト無、津波被害無、原発被害無、液状化被害無、という首都直下型地震の想定でしたが確かに平時感覚では大災害に違いありません。

 首都直下型地震にしても南海トラフ地震にしても、2011年東日本大震災の頃よりも予算不足から自衛隊ヘリコプターが相当減少し、災害派遣能力に影響が出る事が無視されているように思います。自衛隊は有る装備で最大限院無を行うだけですので反論は出ません、しかし東日本大震災の頃の様な空輸は航空機が足りない分出来ない事は間違いありません。

 自衛隊の災害派遣能力について。年度末にはOH-6D観測ヘリコプターとRF-4戦術偵察機の最後の機体が耐用年数限界により退役します。災害時には一番最初に離陸し情報収集に当る航空機ではあります。元々はRF-4戦術偵察機はEJとE型が40機あり、OH-6D観測ヘリコプターと前型のOH-6J観測ヘリコプターが180機配備されていたが、遂に最後に。

 災害派遣、OH-6D観測ヘリコプターは川崎重工製の悪天候でも飛行し複合センサーにより情報収集を行うOH-1観測ヘリコプター250機に、RF-4戦術偵察機はF-15戦闘機を元に東芝が開発した先端偵察装備を搭載したF-15偵察型のRF-15戦術偵察機というべき機体に置換えられる筈でしたが、冷戦後の予算縮小機運とミサイル防衛等新任務で頓挫したまま。

 巨大地震が発生した際に空からの情報収集にあたる航空機は、間もなくRQ-4無人偵察機が3機配備、試作機を含め33機有るOH-1観測ヘリコプターが広大な日本列島に広く配備されています。中には定期整備で飛行できない機体もありますし、この他にスキャンイーグル無人機等が配備されますが防災ヘリコプター等との航空管制について未知数でもある。

 東日本大震災、2011年の大災害では全国の防災ヘリコプターが山形空港等の内陸飛行場に集結し空からの救援に向かいましたが、整備員不足や予備部品の互換性を欠く状況に航空燃料の不足により厳しい運用に曝されています。航空行政の一本化という視点での対策は、勿論航空管制などで進んだ部分はあるのですが、まだまだ不十分であり、このままでは。

 航空輸送、理想は自治体防災ヘリコプターや消防ヘリコプターと自衛隊の機種を可能な限り統合する事です。しかし、これは一歩間違えれば官製談合の温床と見做されかねず、国家戦略防災ヘリコプター構想というような大きな視点で、政治が批判を覚悟しなければなりません。自衛隊機後継機取得も含め、政治が批判覚悟し進める気概が求められましょう。

 憲法との関連、条kの政治の覚悟という部分ではこの視点も必要だ。例えば首都直下型地震では破壊消防を組織的に行えれば人命をかなり救う事が。東京消防庁によれば火災運命共同体という、木造家屋密集地域では消火不能となる地域が東京二十三区に複数存在し、倒壊家屋や断水により消防不能となり地域が鉄筋コンクリート建造物地域や車幅の広い幹線道路までは火災旋風により延々と延焼する可能性が。

 破壊消防。火災運命共同体という懸念は避難以外打つ手なしとみえます。しかし、破壊消防を行い防火帯を構築できるならば、救える人命は焼死しないという意味で増えるのですが、破壊消防は財産権が公共福祉という観点から消防法に余地を残している一方、行方不明者が家屋の中にいる限り生存権はじめ簡単には実施できません。実際責任は難しく重い。

 非常事態法を制定し憲法を非常時には例えば12時間でも内閣が緊急に停止させ破壊消防を生存者捜索よりも火災阻止を優先させるならば、つまり焼死か爆死か、この選択を行うことで防火帯を広く採ることが出来るでしょう。問題は、破壊消防という選択肢を消防が採る事で大量の人命を救うという常識を定着させる必要があるところです。無ければ無理だ。

 ダイナマイトで家屋を破壊し延焼防止帯を造る、これを迅速に行うならば火災旋風の移動を阻止する事も出来るでしょう。しかし、ダイナマイトの爆発は油脂焼夷弾と違い延焼しませんし、爆弾と違い致命的破片も生み出しませんが、防火帯を構築する前に退避が必要です。別の爆発やテロ攻撃と流言飛語の原因ともなります。その為に広報が重要でしょう。

 破壊消防、これも消防は一応訓練をしている筈なのですが中々に経験者と出会いません。戦後実施した事例も聞かない。故に消防ヘリコプターの拠点飛行場にダイナマイトを備蓄し、災害時にはファストロープなどでレスキュー資格を有する消防吏員が展開し迅速に行う必要があります。平時から勝田の自衛隊施設学校と協力し訓練を行う必要もありますね。

 群衆雪崩と帰宅困難者。実は冷静に考えればこれを両方とも回避する方策があります、戒厳令です。具体的には幹線道路を避難誘導経路以外の通行を制限し、事実上の外出禁止令を発令する事で群衆雪崩を移動させない、という手段により強制的に停止させる事が出来ます。現行法では災害救助法に基づく警戒区域指定で移動させる事は出来るのですが逆は。

 災害救助法に基づく警戒区域指定、火山災害など。そして原子力非常事態宣言に基づく警戒区域指定、この二つは警戒区域内の住民を罰則と共に移動させる事が可能です。しかし現行法では移動させない、群衆雪崩を阻止する為にその場に留まってもらう、という法的権限は無いのですよね。憲法上の移動の制限、広義の拘束にも含まれる余地があります。

 戒厳令により首都圏外縁部と中心部の中間部に外出禁止を命令し、火災延焼地域には災害救助法に基づく警戒区域指定を行う。火災からの避難者には群衆雪崩の危険が生じますが上述の破壊消防と絡め、震災犠牲者を局限化する上では執り得る選択肢です。その上で、戒厳令発令を24時間とした上で徒歩帰宅以外の選択肢を災害対策本部が準備できれば、と。

 疎開輸送というべきでしょうか、帰宅困難者を動かさない分を輸送支援で代えればよい。戒厳令と共に都内近県全ての路線バス及び観光バスや社用バスを動員する法整備を行い、総務省警察庁臨時措置によりトラックなど貨物自動車への旅客輸送緊急許可の省令を発令する、その上で戒厳令発令中に近郊への帰宅困難者輸送準備を行い、いわば24時間待てば国が帰宅支援を行う、そうした措置が有効かもしれない。

 現行法では指定公共事業者として有事の際に協力を求める事は出来ますが、総動員で人命救助に充てる法整備までは踏み込んでいません、現行憲法では限界がある為です。無論憲法を変えてまで万一の際の人命を救わずとも、犠牲を甘受しよう、という護憲第一の反論もあるでしょうが、国家の役割を考えるならば、敢えて法整備の必要性はあると考えます。

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検証-首都直下地震【1】中央防災会議の甘い被害想定と想定外震災へ挑む平時法制想定の限界

2019-12-02 20:01:52 | 防災・災害派遣
■NHK:体感-首都直下地震放映
 本日からNHKにより“体験-首都直下地震”が放映開始されまして本記事掲載の時点で正に放映されています。

 東日本大震災は想定外という言葉が免罪符の様に乱発され、阪神大震災に多発された安全神話崩壊という言葉を塗り替えました。政府の中央防災会議は東日本大震災を受け巨大地震想定を見直し、南海トラフ巨大地震が最大規模で発生した際には想定死者32万という数字を想定、30年以内に70%の確率で発生する首都直下地震の被害想定を2万3000としました。

 首都直下地震、NHKにて一週間を投じて巨大災害への対応と危機管理の惹起を啓蒙する番組が今夜から放映開始となりましたが、NHKの熱意といえば“疑似東京を舞台に首都直下型地震の脅威が続く一週間を追体験する”というものですので、毎年この季節のTV話題といえば、忠臣蔵と真珠湾攻撃に関心が集まるだけに驚かされるものといえるでしょう。

 防衛という部分。首都直下型地震についてはから自衛隊や非常事態法制という部分から、幾つか関心事があります。非常事態法の有無により首都直下地震が想定の最大規模に置いて発生した場合にも救える人命をかなり増やすことが出来るのですがこの部分についてまだ世論は人命を遮二無二救う社会変革の強要よりも現状維持を望んでいる印象があります。

 想定外被害に対して。現在の行政基盤が集め得る協力企業や災害時指定公共企業の支援だけで対応可能なのか。現在の自衛隊が有する東日本大震災後のヘリコプター等装備補填が不十分なままの態勢で何処までの災害派遣が可能なのか。破壊消防等の平時には難しいが有用な選択肢は執り得るのか。非常時の指揮権統合強権化を平時にどこまで許容し得るか。

 安倍総理在任期間最長へ、この命題の特集を並行して連載していますが、想定外の災害に備える構造改革には、憲法改正や非常事態法整備とも重なる部分があります。共通点は平時の法手続や組織機構を維持した場合に、災害が行政の防災機能や地域防災力の手に余る“コントロール不能”となるまでに立ち上がりが間に合わない、可能性があるのですね。

 巨大地震、NHKはどの程度の最悪の事態を想定するのかが未知数ですが、当方が個人的に首都圏に及ぶ最大の懸念は直下型地震により被害がでた東京を連動した海溝型地震の誘発により立ち上がった復旧基盤を破壊するという、連動型地震が最悪の状況と考えています。自然災害は容赦ないが悪意はない、これは当方の信条ですが、似た結果がありうる、と。

 ドレスデン空襲のような、あの空襲では小規模な空襲にて防火部隊が動き始めた後に人員殺傷を目的とした攻撃を行い、続いて絨毯爆撃を実施した、つまり巨大地震が時間差で生じ、東京湾臨海部に集結した災害対処部隊が津波被害を受ける、という状況でしょうか。この場合には更に、浜岡原発か東海第二原発が被災する二次被害という想定も含みます。

 最悪の自然災害を想定しますと富士山火山帯の本体である箱根カルデラ噴火により横浜市が火砕流に埋まり東京23区が火砕サージ被害を受け発災一時間で行方不明者1200万、というものもありえますが、こればかりは危機管理の枠外です。ただ有り得ないかと問われれば一万年から十万年以内に起こり得る、この可能性を現実視するか中二病とみるかです。

 日本沈没、SF大家小松左京氏の著作では東京地震により360万の犠牲者が出る、ここで日本政府が既存の巨大災害とは次元が違う巨大災害の警鐘を真に受ける状況がありますが、京浜工業地帯臨海部の石油化学工場連動火災により江東区や墨田区が流れ込んだ有毒ガスによりほぼ全滅し、銀座や新宿に渋谷などの近代ビル群を除く地域で発生した巨大火災が。

 小松左京の視点ではさらにビル群は倒壊を免れた場合でもガラス飛散により屋外避難者を襲い、巨大地割れ、日本沈没執筆時では想定されていない液状化現象を指したものと思う、これにより中層建築物が大被害を受ける状況で、関東大震災から防災整備を進めつつも新建材や可燃物集積により脆弱部分も増えた東京が巨大化した分被害も、という展開でした。

 中央防災会議の想定は2万3000名という。最悪の場合ですが、しかし政府の首都直下地震犠牲者2万3000名という想定は若干甘すぎるように思えまして、防災インフラは自衛隊と消防も含め整備されているのですが、これらをリンケージするインフラが根本から破壊された場合、本領を発揮できるかは甚だ疑問といえるのです。名ばかり危機管理となってはいないのか。

 自衛隊の災害派遣能力は、東日本大震災により酷使したヘリコプターが飛行限界を超えて2011年当時よりもかなり数が減っていますし、ミサイル防衛や南西諸島防衛という喫緊課題を前にかなりの人員と予算を捻出した為に定員割れの師団や旅団と連隊が多い。首都直下型地震で自衛隊は最善を間違いなく尽くしますが、定員割と装備不足が制限を課します。

 政府防災機能は維持できるのか。立川国家防災拠点が立川駐屯地に隣接し整備されていますが、通信帯域や指揮能力については未知数の部分が多く、行政機能では簡単に永田町の中心人物だけを立川に移動させた上で非常時に情報を収集し、的確に命令系統を維持できるか。立川に国会は移動しません、特別措置法を避け政令を連続させるだけで対処可能か。

 平時の平等が非常時にも徹底されないか。全員分支給できない物資については全員分が揃うまで配布を見送る事例、東日本大震災は勿論、熊本地震も胆振東部地震でも継続、一部が不平等に物資を得るよりも全員に配布しない平等が維持される。河川水源が在ろうとも濾過は安全確認できず、古い非常食も安全第一で配給しない。全員平等に欠乏を甘受する。

 非常大権というものを国に付与するならば、例えば地方の空き家等を徴用し、これは戦時中の建物疎開程ではないが財産権侵害だ、都内の被災者を物資供給に余裕のある地方都市へ疎開させる事が出来ますし、破壊消防における瑕疵の規制を非情緩和する事で防火帯構築等犠牲を局限できます。出来る事は多いのですが、これには難しい課題が山積します。

 非常時なのだから平時の人権、財産権や幸福追求権は制限してでも一人でも多くを助ける、という施策には、どうしても憲法に関する考え方を改める必要が生じるのですが、現状では場当たりに手元資材と人員を工夫し、徒手空拳で想定外災害に挑むという、想定外という平時法制があり得ない中でどう挑むか、という議論も考えねばならないのでしょうか。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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