来週5月21日と28日に八王子市由木東市民センターで開催予定の「八王子ワークショップ」のテーマについて、この数週間考えていた。ユージン・T・ジェンドリンの開発したフォーカシングについて触れたいと思っていたが、この二日でいくつかの閃きがあった。
一つは、自己分析のときに、エリクソンの8つの分類から、例えば罪悪感という感情が自分のどこかに隠れているはずだというようなアプローチをこのところやりがちであったが、あらためて、もう一度自分の実感を正直に研究したいということである。カウンセリングを勉強するものにとって、もっとも基本的なことがらを、もう一度見直したいということである。
二つ目は、これは、心理学とはことなるが、宗教における実感の意味をもう一度、勉強したいということがあった。聖書の日本語訳などでは、うまく表現されていないということだが、例えば憐れみのギリシャ語の一つの原語がスプランクルゼスタイの意味が「はらわたする」といった意味合いであるということで、内臓的な五感溢れる言葉なのです。
自分自身の生き甲斐を研究する立場からも、今月は実感を勉強してみたい。
一つは、自己分析のときに、エリクソンの8つの分類から、例えば罪悪感という感情が自分のどこかに隠れているはずだというようなアプローチをこのところやりがちであったが、あらためて、もう一度自分の実感を正直に研究したいということである。カウンセリングを勉強するものにとって、もっとも基本的なことがらを、もう一度見直したいということである。
二つ目は、これは、心理学とはことなるが、宗教における実感の意味をもう一度、勉強したいということがあった。聖書の日本語訳などでは、うまく表現されていないということだが、例えば憐れみのギリシャ語の一つの原語がスプランクルゼスタイの意味が「はらわたする」といった意味合いであるということで、内臓的な五感溢れる言葉なのです。
自分自身の生き甲斐を研究する立場からも、今月は実感を勉強してみたい。