昨日は、ひさしぶりに大栗川を散策した。東西を流れる川は今は本当に東西(西から東へ)に流れているが、縄文時代は蛇行していたのだろうか?海進の縄文中期などは、一回りは大きな川で、東西をゆったりと貫いていたのだろうか?そんなことに想いを馳せてしまう。
時代が下がった律令時代以降などは子午線(南北)が宗教上も大きな意味をもつようになったが、例えば寝るときの北枕、その前は東西が幅をきかせていたようだ。先の新宿縄文人も確か東西に伸展葬で葬られていたようだし。
太陽をはじめ天体は東からのぼり、西に沈む。大栗川沿いではないが、近くの境川流域の田端遺跡は、冬至の太陽が丹沢最高峰の蛭が岳に沈む地点で、話題になったことがあるが、大栗川流域でも、同じような信仰があったかもしれない。吉野裕子さんの「隠された神々」を読んでいるが、鹿島神宮から出雲大社まで、主要な神社が東西の一直線上に並んでいると知って驚いたりした。
さて、そんな大栗川であるが、昨日は写真の黒い鳥が羽を広げて異様な様子で、恐らく5分以上同じ格好で川の中にたっていた。何かを威嚇しているようであり、といって、その相手がなんだかは不明。威嚇ではなく羽を乾かしているなど、他の解釈も成り立つ。
生き甲斐の心理学では、傾聴訓練を基本的な訓練として大事にしているが、その中で「理解」という項目がある。普通、理解するとは例えば相手の言わんとしている理路とかを理解し承服したりすることであるが、生き甲斐の心理学では、相手が苦しんでいる感情を理解することを示すことが多い。あいて、とはいは言わず、自分の感情でもなかなか理解しにくいのだが。
この黒い鳥。写真で拡大してみたりし、ネットで調べてみると、初めは黒鳥かなとも思ったが、鵜であった。鵜も大栗川にくるのかと何か嬉しくなる。鵜は魚を捕食するので、縄文人は嫌ったかもしれない。鵜に対する縄文人の感情はどんなだったろうか。とはいえ、鵜の気持ちは何だったのだろう。疑惑感、劣等感、停滞感・・・
こんな風に、自分や相手の感情の理解が深めていくと、受容や共感の仕方が変わってくるかもしれない。もちろん、表現力にも関係するだろう。
感情表現 3/10