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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人は人を無条件にリスペクトできるか?(愛と縄文 6/10)

2015-07-02 | 第一章「意識と知覚」

 先日、私は某所でひき逃げを目撃した。当然ながら、事故にあった人を保護し警察に連絡し目撃情報を提供した。外に誰もいなかったこともある。被害者は軽傷で済んだので良かったと思っているが、何か後味のわるい出来事だった。誰からも見捨てられて路上に放置されたら、人は外傷もさることながら、心も確実に傷つくだろう。

 最近、日本では言論の自由が問題になったり、いろいろ個人の権利等が話題になったりする。日本は平均寿命80歳とかの長寿の国なので、当然人は大事にされているように思えるのだが、何かへんなのである。

 縄文時代。記録もないが、当時の遺骨等から、縄文時代の祖先の平均寿命は30歳程度だったと推定されているようだ。そして、これも遺骨からだが、20歳くらいの障がいを負った人の遺骨も見つかり、障がいを負ったかたでも大事にされていたことが判った。実際は、祖先も人間で他者を殺めることはあったようだが、非人道的な大規模な戦争等はなかったようでもある。

 人が人を無条件に大事にする。大事にするというのはちょっと上から目線であるので、大事というよりリスペクトするというほうが良いかもしれない。これは、実は大事なことなのだが、私はこのことを本当に身をもって考えたのは(思想的に)、わりと最近だ。意外に大事なことを考えず分ったようなふりをしがちなのだ、私は。

 話はちょっと変わるが、7歳のとき1年アラスカで生活をしたことがある。その時の経験だが、自然が厳しいところに生活すると、互助の問題もあるかもしれないが、他者をリスペクトする気持ちは高まるように思う。側溝に落ちそうなときに助けてくれた人・・・。アラスカの人は暖かい。そんな話も何回も聴いた。それは、何か同じ命を持った同志というような感覚に支えられているのではないか。言葉を変えると、他者の善良な魂を信じる・・・そんな感じだ。

愛と縄文 6/10

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