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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

一年で二つ年をとる時代を妄想する!(愛と縄文 8/10)

2015-07-04 | 第一章「意識と知覚」

 旧約聖書でのノアやモーゼの年齢。日本書紀での神武天皇などの年齢。軽く100歳を越え、時には数百歳。それをもって眉唾の書であるとする人も多いが、私はそんなことは無いと思っている。最近の歴史学者/研究者の中にも、一歳を冬至から冬至までの一年間とするように、冬至から夏至や夏至から冬至までの半年間、あるいはコータリーに夏至から秋分、秋分から冬至のように一年を3か月間とするような年齢の決め方があったとする説を唱えている方もいらっしゃる。もちろん、月をもちいると一年で12歳ということも。日本では古来から盆(夏至)と正月(冬至)を大切にするので、一年を倍にするような年齢計算があったのではと妄想している。

 五感体感は季節や時間に左右される。ヒトも当然ながら生命体であり、天体の動きに大いに影響を受ける。そして、現代でも時を知ることは極めて大事であり、時計なしの生活は意識しなければ無理だ。今は、パソコンに向かったり、スマホや携帯に向かえば知りたくなくても時間が眼に入る。一日、どのくらい私たちは時間を見るのだろうか。あまりに忙しすぎる。とはいえ分をあらそうことは、そうなかったにせよ古代の祖先達も時間や季節を意識していたと思う。

 時間は、定住とともに極めて重要な情報となったのだと思う。いつ、何の漁・猟をするか、何を採るか、何の準備をするか。自然との対話で時間はとても大事なのだと思う。そして他の生命体と同じように、太陽の位置などを気にしていたのだろう。

 縄文人の遺跡を調べてみても、5000年、10000年前といった遥かなる昔から冬至とか夏至を知っていたことに驚く。東京のストーンサークル、田端遺跡は冬至に太陽が蛭が岳に沈むが、それは4000年前の遺跡だ。

 太陽や月、星が円を描き、サイクリックに運動する。円は実に不思議な形だ。あるいは、縄文中期の遺跡が家の近くにあるが、だいたい中央に広場があり、円を描いて広場の周りに竪穴式住居が並ぶ。また、その竪穴式住居も、柱が円にそって建てられ、中央に炉があるのが一般的だったりする。円は不思議な象徴である。

 そして、日本でも、私が生まれたころは、年齢は数えでというように数え年がまだ使われていた。正月(冬至?)でみな一つ年齢が加算されるということを考えても、その起源は随分古いように思う。そして、二倍の年齢計算の時代があったとすると、夏至か冬至に一歳全員が年をとる。自分の命に感謝をし、また他者の命に感謝をするのが一年に二度もある。今より何かほのぼのと温かい時代だったかもしれない。

愛と縄文 8/10

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