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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代の理系の人はピタゴラスを越えていたか?(五感・体感と縄文 4/10)

2015-07-11 | 第二章「五感と体感」

 梅雨の中、久しぶりの晴れ間と爽やかな風で昨日はリフレッシュできた。そして、府中の本屋さんで夏休みによく見かける、XXXの100冊・・・を眺めていたら、「フェルマーの最終定理」(新潮文庫 サイモン・シン著)が眼に入った。パラパラとページをめくるとピタゴラスのことも詳しくでており、また、300年の長い時間のあとで20世紀にフェルマーの定理を証明したワイルズのお話が詳しく出ているので思わず買って読み始めてしまった。

 そもそも、五感・体感と縄文・・・のサブテーマと対局的なお話なしのようなのだが、私の中では繋がっている。ちょっと弁解がましいが・・・一つは五感・体感といっても、これは知覚の問題に行きつく。単なるセンサーとしての視覚等ではなく、それを受け反応する知性体の問題も含まれるのだ。それ故、関係なさそうな数学の世界も含まれる。

 フェルマーの定理は、ピタゴラスの三平方の定理から容易に類推できる問題なのだが、このきっかけのピタゴラスは今から約2500年前の人である。2500年前というとピントこないが、実は縄文最晩期にあたる。C14同位体で測定した年代測定から、例えば関東地方周辺はまだ縄文時代だったようだ(弥生時代はだいたい2900年くらい前から2500年くらいまで400年~500年かけてゆっくりと日本列島で縄文時代から移行)。因みにプラトンもピタゴラスと同時代人。世界史を日本史に結びつけると何か親しみがわいてくるのだ。

 ピタゴラスといえば、アテネ・オリンピックの時の開会式を思い出す。ワクワクしながらテレビを観ていると、何故かピタゴラスがでてきたのだ。ギリシャ人にとってのピタゴラスの存在感をしり、ギリシャ人の宗教感にも影響があることに驚いた。数には数の論理があり、それは危うい主観や偏見に左右されず、それを深めることで神聖な真理を発見できる。その熱意ゆえにピタゴラスの三平方の定理は証明されるのだが、今でも、その証明方法は世界でも冠たるもので美しい数学の世界の基本にもなっている。

 さて、西欧での画期の時、私たちの祖先は何をしていたのだろう。縄文時代に理系の人は活躍していたのだろうか?

 ご存じのとおり、三内丸山遺跡の巨大構築物、6本柱跡、石版や土偶から、様々な研究がされているようだ。縄文尺の存在。土偶等に記された縄文人の数字感覚。12進法をもっていたという学者先生もいらっしゃる。因みに、私は6という数字に興味を持つ。6が完全数(1を含めた約数の合計が、其の数と同じ。6、28など)だからだ。西欧人と同じように魂を信じていた縄文時代の祖先は、数学的な世界をどのように把握していたのだろうか。

 縄文人の数学は興味があるものの、文献が無いということもあり残念ながらよく判らない。しかし、隣接の技術力は凄い。家の近くにも5000年前くらいのヒスイ大珠が発見されているが、それには穴が人工的に開いている。ヒスイはダイヤモンドに近い硬度があり、穴をあけるのは最新の穿孔技術がなくてはだめで、ヒスイと同じくらいの硬度をもつ研磨剤を使って開ける技術を持っていたことになる。この他、土器づくりのセラミック技術、木材関係の知識など、縄文時代の技術は進んでいたようなので、少なくとも理系の人は頑張っていた。

 しかし、ヒスイに初めて穴をあけるのに成功した先祖は、どんなふうに喜び祝ったのだろうか?ピタゴラスが三平方の定理を証明した時、100匹の牛が捧げて祝ったそうだが。

*写真は、八島湿原で以前撮ったもの、縄文のメッカ信州に行きたい!

 

五感・体感と縄文 4/10

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