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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

リモート時代?にこそ生き甲斐を(リモート時代と縄文と私 1/10)

2020-06-04 | 第四章「愛とゆるし」

 緊急事態宣言後の今週。久しぶりに東京都埋蔵文化財センター・縄文の村を見学させていただいたり、本当に何ヶ月ぶりかで新宿に行ったりした。展示を見るにも入り口で体温測定をし、記名を求められるものものしさ。昔は気楽に入った家電屋さんも、入り口でフェースシールド姿の方に案内を受けたりで、少し過剰なまでの防疫体制を見せつけられてしまったようだ。

 電車で日中に移動すると、少し前まで沢山乗られていた年輩の方は激減し、全体的にガランとしている感じ。少し前まで、今年の2月くらいまで見慣れた風景はどこにいったのだろうかと淋しく思う。
 「生き甲斐の心理学」の勉強会開催も会場が急遽閉鎖されて中止になったりで残念。ただ、暗い話ばかりでなく希望を感じる出来事も最近は増えだした。それは情報社会の本格化だ。リモートワークとか、オンラインXXという言葉が当たり前になり。先日もオンライン会議をやりたいと招集すると直ぐに応募をいただける。特に仕事でオンラインになれている方は打てば響く。

  

 しかし、電車の中で急に見かけなくなった高齢者世代。私も法律上は前期高齢者であるが、オンライン会議などはかなり抵抗があるようだ。メールやLINEをされていてもZoomはちょっと・・。特に退職されると仕事でどうしてもやらなければということもなくなり、閉じこもってしまう。

 最近知ったZoomの世界。ちょっと抵抗はあったがやってみると、遠方の知人や友達に気楽に合えたり、気楽な寄り合い的会合では歌や踊り?まで楽しめる。

 別に仕事だけでなく趣味や生き甲斐の世界にも充分使え、知った人は皆喜んでいる。かつて、私も高齢社会の為に何か役にたてばと欧米で普及している、高齢者自立支援のグループリビング建設に憧れたことがあり、福祉の世界に入ったことがあった。その時。障がい者自立支援団体でIT技術に関して非常に積極的であったことを思い出す。障がいを持つ人にとっても、社会とのふれあいは生き甲斐を持つ上でも極めて大事。当然、IT技術を使って人生を豊かにすることは重要なのだ。今のリモート?の状況は、当時の記憶と重なる。

 とは言え、オンライン会議などは無いよりはよっぽど良いけど・・・と、ちょっとした躊躇いの気分が残る。実際にやってみると、良い面はあるがライブではない悲しさがそこにある。「生き甲斐の心理学」で学ぶ、人間の五感・体感に関係する問題なのだ。

 生命体には身体がある。そして人間にも五感・体感を捕まえることができる感覚器がある。最近はセンサー技術が進んで、日常の中でもいろいろ応用されているが、テレビ会議を通じて視覚・聴覚で懐かしい人々を拝見したりはできるが、やはり実際に観たり聴いたりするようには行かない。さらに視覚・聴覚と同じ遠隔感覚である臭覚は残念ながら全く使えない。会場の香りや熱気は臨場感を生むが、それは望んでも無理な話だ。リモート会議ではいつもの自分の家の匂いしかかげない。
 臭覚は「香水」を作る調香師のように研ぎ澄まされている人もいらっしゃるが、例えば魚のサケは数千Kmの海の彼方にある生まれ故郷の川の匂いを察知すると言われる。そして、その不思議とも言える機能は今でも科学的には謎につつまれている。このほか味覚、触覚など、生身の人間のもつ五感・体感の感覚器もリモートでは満足できない。会議を終えてからの美味しいビールや、皆のリアルな気配は望めないのだ。

 こうしたことで勿論無いよりよっぽど良いが、何となく物足りずストレスになるように思う。それ故、私だけでなく家で自粛している方々は、意識して外にでて散歩するなり、自然に触れたり、あるいは美味しい料理を作ったりしたほうが良いかもしれない。そして、身体を持つ生命体としての新型コロナの生活/リモート生活のバランスをとるのである。

 さて、こうした日常の世界/リモート世界から、今日はちょっと飛び出してみる算段をしてみたくなった。

 まず達成感と五感・体感の関係を考えてみよう。例えば、ビールが好きな人であれば、あのときのビールはうまかったとか。美味しい料理が好きという方であれば、あのときの料理は美味しかった・・・そんな名場面を2,3つ思い出してみては如何だろうか。名場面の主役であるビールや料理の裏に、自分の想いが達成されたというような喜びも入っているのではないだろうか?幸福というと、五感・体感からの感情世界もあるが、婚活とか就活、仕事の目標などの計画の達成の具合具合といった面もあるように思う。

 U先生に教えていただきた3Vの法則というのがある。ホップ、ステップ、ジャンプではないが、物事を達成するにはVisualize(見える化というより、五感・体感で目標を夢見ることかもしれない)、Verbalize(言語化)、Vitalize(実行)が必要ということだ。特にVisualizeはこころが躍るようなイメージがあれば、それだけで現実化しやすいと思う。


 最近の拙い私の事例では縄文小説を世に出すことがあった。小説を本の形で出そうと思ったのは2013年のころである。出版というとお金と時間がかかるもので何となく諦めてしまう人も多いと思うが。私の場合は縄文人よろしく、すべてを手作り(外注せず)で安上がりに出版しようと考え電子出版技術を研究し、オンディマンド印刷との組み合わせで画期的に費用を抑えて出版できた。これにより、死ぬまで好きなだけ出版することも経済的にできるようになった。これには、様々な方の温かい支援があり、出版を記念してお祝いをしていただいたときの嬉しさや料理の味は忘れがたい。

 これは私のささやかな事例であるが、日本列島の祖先も研究しているので、こうしたことは祖先にも事例があるのではないかと、この2-3日考え続けていた。

 考古学や歴史で取り上げられている祖先の記憶。3-4万年前には野尻湖近くでチームでナウマンゾウを仕留めて安堵し、キャンプ地で皆で祝い感謝の祭儀を行う。こんなこともあったようだ。その時の味はどんなだったのだろうか?
 縄文時代になると環状集落で石を集めて狩りで得た肉などを石焼きや蒸し焼きにしたりする。集積遺構があるものの、おいしさについては謎だ。あるいは豪華な深鉢などでのお祝い料理を食す。これは縄文中期の装飾性の強い深鉢などを見ると伝わってくる。他にも土偶とか・・能面が感情を抜き取って作られているが、実際に演舞するときは生き生きした表情に変わるように、何か秘密があるのかもしれない。集落のメンバーへの愛しみや神々への感謝・祝福。ただ、残念ながら敢えて文字を持つことを拒否したのではと私は思うのだが、文字のない文化であり、臨場感のある再現はしにくい。

 日本列島できちっとした国ができ、日本の文字表記が完成したのは7世紀末から8世紀になるようだ。大宝律令ができたころなのであろうか。このころの女帝・持統天皇(上皇)は藤原京建設等で今の日本の土台を作った大政治家として辣腕をふるった。しかし、最晩年には壬申の乱でともに戦った東国を訪れて、元の部下達を慰労する。夫である天武天皇と共に伊勢との関係も深かったので、特別の想いがあるのだろうか、次の歌を万葉集に残している。

 万葉集2-162の歌は次である。天武天皇の一連の挽歌の最後に掲載されているが、西暦694年に持統天皇が藤原京で天皇となった時のころの歌だ。

 天皇の崩(かむあが)りましし後の八年の九月九日、奉為(おほみため)の御斎会の夜、夢の裏に習ひ賜ふ御歌一首

明日香の 浄御原の宮に 天の下 知らしめしし やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 いかさまに 思ほしめせか 神風の伊勢の国は 沖つ藻も なみたる波に 塩気のみ かほれる国に うまこり あやにともしき 高照らす 日の御子
 
 後半を訳すと「伊勢の国は 沖の藻も なびいている波に(うまこり)むしょうにおしたいしている(高照らす)日の御子」となる。
この中で、枕詞(あや)にかかる「うまこり」は美しい(美は「うま」と発音するのか)織物の意で、同意の「綾 (あや) 」と同音の「あや」にかかる。「―あやにともしき」(万・一六二)[補説]「美 (うま) き織り」の音変化した形か。とgoo辞書にある。参照:日本古典文学全集萬葉集1(小学館昭和46年)(https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%81%86%E3%81%BE%E3%81%93%E3%82%8A/
千路に乱れた世を整った綾にしてしまう、神のような天武天皇というイメージを歌った歌である。さらに、この中で「うまこり」という言葉に、美味というニュアンスを感じてしまったが考えすぎであろうか?
 当然のことだが伊勢へも行幸している。歌われている感情は五感・体感とつながり、恐らく天武天皇と一緒に食べられた海の幸などの食事までを思い浮かべてしまうのは行き過ぎであろうか。そして、人生最後の東国への旅で亡き夫の戦友と共に宴を楽しむ。これは、持統天皇の思い描いた旅の実現だったのではあるまいか(3V)。

 まあ、妄想はこのくらいにして、このリモートの時代をどう生きるか、どのような3Vを立てるか。これから考えてみたいところだ。リモートを越えていくVisualizeを意識しつつ。

リモート時代と縄文と私 1/10 

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