イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大木のイメージで混乱の時代を生き抜く (リモート時代と縄文と私 3/10)

2020-06-22 | 第四章「愛とゆるし」

 緊急事態宣言が終わって前と同じような世界に戻るかと思いきや、なんともシュールな世界に。この3ヶ月で今まで聞いたことがなかったソーシャルディスタンスを意識したレイアウト、暑くなってのマスク、Zoomなどが日常的に使われ、IT技術が以前にまして幅をきかせ初めている。数ヶ月でこんなに変わり、これからも同様に激しく変わっていくのだろうか。

 生命体としての人間は、当然ながら身体を持ち、他の生命と同じく五感体感で、この世を生きていく。しかし、COVID-19のおかげでで物理的に人との距離をとらざるを得なくなり、五感・体感を激しく制限される日々を強いられている。そして、マイクとカメラをもつスマホやパソコンでの仕事、一緒に映画を見るのではなく一人でテレビを見たりする時間が増える。人との出会いも、会話は少なくなり、初めての人との出会いも喜びであったはずなのに、長い自粛生活で鬱陶しく感じたりしてはっとしたり。様々な職種で激変が生じている。ネガティブに捉える人もいるが水を得た魚のように活発に我が道を行く人もいる。

 新型コロナウィルスは人間の身体の外から侵入する。特に鼻や口、目といった粘膜が危険らしい。また身体の外に口や排泄器などからウィルスがまき散らされる。しかも、病識がない状態でまき散らされるというところが実にやっかいだ。そんな変な伝染病は今までにあったのだろうか?体感ベースで理解ができない。

 薬師池公園 亀の3密が気になる!?

 ところが、ウィルスはそれだけではなかった。数ヶ月の全世界的なリモート指向は、日本でも劇的に進みテレワークは当たり前になりつつある。そして、急激な変化の中でセキュリティまで配慮する余裕のなかったのか、コンピュータウィルスが猛威を振ってる。ウィルスとは実によく名付けたものである。攻撃対象が有機体と無機物の差が歴然とあるのに本質を見抜いている・・・

 コンピュータの目や鼻、口の粘膜にあたるところは何処だろうか。それは、メールやSNSで送られるメッセージ、Webでのクリックだったりだろう。最近よく耳にするZoomも招かざる参加者が入室する。そして、8桁以上のパスワードも作り方もあるが破られ様々な悪さをしてシステムを破壊する。遠い昔の銀行の4桁のパスワードは誕生日はやめた方が良いくらいであったが、今は英語の大文字小文字、数字に特殊文字を使って8桁以上など、さらに時々変更しなければならない。それでも安心できないのでスマホをつかっての本人確認までが常識となりつつある。

 LINE, Facebook, Instagram, twitter。 さらにZoomやmessenger roomといったスマホやパソコンでのSNSツールはCOVID19で残された3密?がゆるされる分野であったが、こちらも同じような脅威にさらされていたのである。

 しかし、なぜウィルスがこのように人であってもコンピュータであっても跋扈する時代になったのだろうか。コンピュータは最近だがウィルスの歴史はずいぶん古いようだ。文明化による自然破壊との関係を指摘する人もいるようだが、確かに、人間が自然を破壊していくことが災いをもたらしているのは事実のようだ。コンピュータウィルスの問題も、光があれば陰があるように人間のこころが産んだある側面である気がする。

 ところで、10,000年以上といわれる縄文時代に、私たちと同じようにリモートを強いられた時代があったようだ。文字が使われなかった文化で文献が残っているわけではないが、考古学の世界を調べてみると縄文中期末ごろから縄文後期にかけて住み方がずいぶん変わるのは事実のようだ。環状集落は縄文時代中期(1000年くらい続いた)を中心にして住み方として日本人の2LDKみたいに有名だったようだ。輪のように家族だけでなく仲間と寄り添って暮らす。それが大体4000年くらい前に終わり、どうも離散して暮らし始める。その全容はわかりにくいが本当のようだ。ただ、アイデンティティ(宗教や信条)は後期になっても墓址、積石遺構、環状盛土遺構などを考えても中期の輪の基本は変わらず、引き継いでいるところがある。縄文後期、暮らし方が3密ではなくなり、リモート?になったのではないだろうか。その原因は冷涼化や火山噴火などによる環境の悪化という説もあるが、何らかの感染症があったのではないか私は妄想している。状況は変わっても歴史は繰り返しているのかもしれない。この4000年前後は日本列島だけでなく、世界的にも大変化の時代で大陸では、新石器時代から青銅器時代に加速して向かう。厳しい環境は文明を進展させるが、一方自然破壊によるのか感染症が蔓延したのでは?

 当初私は縄文後期は変な時代で謎だらけ、抜歯の習慣が進行する呪術がまかり通るオカルト的な世界をふと感じたりしていたが、輪の思想が継続していたりすることを見て、そうではなく生き方の根幹であるアイデンティティは中期と同じで健全だったと思うようになった。逆に今私たちが生きているのも、そのときの祖先のおかげではないかとも。

 こうした生活の激変の時代。多くの人は不安な毎日を過ごし、特に仕事をしている人は過酷な現実を突きつけられる。私も例外ではなく、ストレスを感じる日々を送った。急激に変化する環境(ビジネスもあるだろうし、生活スタイルも)の中で、気にかかることが増えてくる。不安なことが起きてもその日のうちに解決し、怒っても身体に来ること(寝られなくなる、食欲などが低下)がなければ問題がないと、自分の心の健康状態を把握しているつもりだが、1-2日同じ問題が頭の中で堂々巡りし始めるのは赤信号である。

 そういうときは、目先の問題もさることながら、あえてリラックスできる時間をつくってのんびりすることが大事なようだ。そして、自分を俯瞰するように①何のために生きているか?②生きがいは何か?③自分を大事にしているか?とU先生が教えてくれた3つの自問自答を思い出しつつ祈りの時を持つ。すると、意外に短時間で方向が定まったりするものだ。今回は夜の電車に揺られて20分くらいだっただろうか。優しいA さんのメールを見ていたら、もつれた糸がほぐれるようにアイデンティティが定まり、目先の問題はどうでも良くなった。不安の解消である。表面的な問題の背後には意外に自分の柱がふらついていることがある。

 不安感は理想と現実のギャップと考えると良い。怒りも身体症状も鬱も錯乱も、その人のもつ理想と現実のギャップである。ただ、怒りや鬱の中にいると、理想や現実を吟味する余裕がなくなる。あくまでのんびりとリラックスして、仕事の終わった電車の中とか、風呂の中・・・そんなときに祈りつつ、自分の身の丈の領域に子猫のようにかわいくなった不安を置く。

 人生は忙しくしていると、いろいろな方向を同時に目指したりする。A、B、C。しかし、能力があり健康で若ければできるかもしれないが、年取った私などはどこかに無理を生じているようなのである。こんな時、Aをあきらめ、B,Cを中心に再統合するといったことは大事なのだ。ネガティブな感情が渦巻いている時はそのような判断はなかなかできないものであるが、のんびりとしていたり祈っていたりすると、不思議にひらめくものである。アルキメデスが風呂の中でひらめいたように何かが頭の中にやってきて、そして統合され一気にネガティブな感情は減少する

 

 縄文時代の中期から後期(4,000年前を中心いして)にかけて、祖先は住み慣れた環状集落を放棄する。よっぽどの理由があったのだろう。数千年の歴史のある住み方を変えていくのである。中期には、家の戸を開けると、向こう側に村の人の家が見え、その間の中央広場には倉庫や家族の墓があったりし、自分の今の命をこえて遙か昔から遙か先の魂の世界まで見通すような生活が広がっていた。それは、現代にも確実に存在する宗教的な世界のひとつであることは間違いない。そして、理想的な生活ができなくなり環状集落が解体する。しかし、輪をなして住むことができなくなったあとも、大事な宗教を思い起こすかのごとく、例えば環状の親族の墓址や配石に祈りをこめながら、二至二分のときなどの聖なる日を目指し、多大な労力をかけてモニュメントを築いたりする。そして祝日には(例えば夏至)かつての仲間が遠方からも顔をそろえる。

 私はカトリック信者であるが、その気持ちは何となくわかるような気がする。青春時代には神を信じていなかったためか、信じている人は理解不能だと感じた時期があったが、一度何かを信じる世界に入ると、その気持ちはとてもわかるようになる。

 最後に、もう一つ大事なことを。

 大きな変化があるときは自分を何かの大木とイメージしてみることは大事だと思う。神社などに行くとしめ縄を張った神木を見ることが多いが、自分が好きな大木を意識し、それを自分と重ねることは大事だと思う。ひょろひょろの木とか風になびく草に自分を重ねてはならない。大木が条件。私は銀杏の大木が好きである。高校の校庭に大木があった印象が強烈だった。そして、何となく自分のイメージと重ねてみる。秋に黄色い葉を風でゆったりと落とす。銀杏の独特の異臭も今ではどこか懐かしい、その匂いが逆に元気にさせてくれるようでもある。不完全だらけであっても大木になれる。大木(写真は奈良阪のけやき)のイメージは自分を自分として成長させてくれるエネルギーとなるようだ。この大木のイメージについてはU先生のDVD「元気で生きる」に詳しい。厳しい環境の中で生き抜く。そんなときはつまらない劣等感や疑惑感を払拭しつつ、大木のように進むのが良いのだろう(傲慢という意味ではなく)。

 きっと、縄文の祖先たちも大木が好きだったのでは。

リモート時代と縄文と私 3/10 

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