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日本の聖地、飛鳥・吉野を体感する(1)!(歴史から自分を知る 3/10)

2013-05-11 | 第二章「五感と体感」

 3月に伊勢神宮を参拝してから旧竹内街道のルートで飛鳥に行った。そして、天武持統天皇陵の近くの飛鳥資料館で山田寺(持統天皇の祖父である蘇我倉山田石川麻呂の菩提寺)の東回廊を見学した後、峠を越えて殆ど人の訪れない吉野宮滝遺跡から、吉野金峯山寺を訪れ、また飛鳥に戻り飛鳥寺周辺を散策し、最後は天香久山を登り畝傍山に落ちる夕日を眺めた。

 伊勢、吉野、飛鳥、天香久山という聖地を五感で堪能したことになる。

 この地は、天武・持統天皇に縁の深い地である。

 いろいろな説があるが、倭の国が対外的に日本と名乗るのは、持統天皇の祖父母である、舒明天皇、皇極天皇の時代から天武天皇、持統天皇のころとされている。そして、この時代は飛鳥が政治の中心であった。飛鳥は日本の母なる土地なのであろう。

 飛鳥は天香久山の南に位置し、南の山を越えると聖地・吉野にも近い。飛鳥や吉野に対する当時の人達の五感・体感を表現した情報として素晴らしいのは和歌だと思う。

 有名な持統天皇の天香久山を歌った歌。

 春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香久山 (万葉集1-28 日本古典文学全集より)

 次の歌は、持統天皇の行幸を歌った宮廷詩人の柿本人麻呂の歌である。

やすみしし、我が大君の 聞こしをす 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内と御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太しきませば ももしきの 大宮人は 船並めて 朝川渡り 舟競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆる事なく この山の いや高しらす みなそそく 滝のみやこは 見れど飽かぬも  (万葉集1-36 日本古典文学全集より)

 写真は三輪山の麓から天香久山、吉野方面を望む。

 尚、この文章を書くにあたり、千田稔氏の「飛鳥ー水の王朝」を参考にさせていただいた。感謝している。

 歴史から自分を知る 3/10

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