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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

想いでの奈良坂のクスノキから・・(縄文世界を感じるとき② 10/10)

2023-08-06 | 第七章「光と復活体」

もう5年経つが、「奈良坂に行くなら、奈良豆比古神社(ならつひこじんじゃ)に行ったら・・」そんなKさんのアドバイスで、般若寺の近くの奈良豆比古神社に寄った。初めは巨木の存在を全く知らないで来たのだが、天然記念物のクスノキを見た時の感動は忘れられない。夕方近くで誰もいない巨木の周辺は普通の空気と違い、なんともいえない優しく神聖な空気に覆われていたようだ。その前年、山陰の三瓶小豆原埋没林を見て縄文小説を一部書き換えたが(2017年)、同じような縄文時代の情景をイメージできる木が目の前にあったのだ。日本人が神聖な仏像を木で作るのが主流になった理由が分かったようだった。木の文化の源流に触れたのかもしれない。

大木というのは世界で昔から神聖視されている。何故なのかよくわからなかったが、M.エリアーデの本を再読していたら、40日ごとに脱皮する蛇と同じように死と再生のイメージが樹木にあるようなのだ。これは別の本から知ったのだが、例えば樹齢5000年(現在の最長か?)といっても樹木全体が細胞レベルで5000年生き続けているというわけではなく、細胞レベルでは30年程度が寿命のようで、過去の遺産を使いつつ(すでに死んではいるが導管として機能している部分など)新たに再生しつつ5000年で大木を形成したというのが本当のところのようだ。

そこに祖先は生命体を象徴する何かを感じたのだろう。昨日も縄文土器に触れたりし鑑賞できる機会があったのだが、特に縄文中期の土器(勝坂・井戸尻式など)は逆さにすると色と言い沈線といい根のような口縁部の装飾といい神木の幹と根の部分ではと妄想してしまった。2-3年前に栗と土偶が似ているとして話題になったイコノグラフィー(この言葉は1984年に発刊された「縄文図像学Ⅰ」に紹介されており決して新しい概念や応用ではない)を軸とした本のようであるが、ここで新しい理論を提示するのではなく(理論を提示するには科学的に誰をも納得させるようなデータの提示と手続きが必要)みたいになってしまったが、根が上方に向かうという発想はとても哲学的・宗教的な気がしていて。何かそういう思いを想定すると見えない無意識の世界に眼を向けている縄文人が見えてくるようでうれしくなる。

最後にもう一つ。このクスノキのいわれについて。このクスノキは志貴皇子の晩年の邸宅に植えられていたという文書があるようだ。志貴皇子は持統天皇が吉野で6皇子が自分の息子でもあるとした吉野盟約を交わした皇子の一人であり、持統天皇が晩年、文武天皇擁立のときに大切な働きをした方である。万葉集巻一(まきいち)は持統天皇が編纂したという説がほぼ定説化されているが、この中に志貴皇子の歌がある。

采女の袖吹き返す飛鳥風 京を遠みいたづらに吹く

神木から女帝と志貴皇子の交流を想ったり、飛鳥の縄文遺跡を想ったり、真夏の朝の妄想は激しい。

縄文世界を感じるとき② 10/10

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       森裕行

 



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