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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

四ツ谷の怖い場所を避けてきた私!(愛ある問いかけ ③ 8/10)

2014-01-26 | 第十章「今ここでの恩寵」

 今月の29日の勉強会のあと、ミニ四ツ谷周遊を実施するために先日、四ツ谷の名所をまわった。

 四ツ谷育ちの四ツ谷知らずで、有名なお岩稲荷田宮神社に行ったことが無かったのは自分ながら呆れた。でも、これが普通ではと先日、兄弟に訊いてみたところ。皆何回も行ったとのこと。やはり、私だけのことのようだ。

 私がお岩稲荷田宮神社に行かなかったのは、小学生のころ夏に祖父母の家でテレビで四谷怪談の怖い恐ろしい映像を観たことも一因のようだ。そして、その恐ろしさゆえに、自分のどこかでお岩さんに蓋をしたようだ。

 U先生から教えていただいたのだが、暗い感情には原初的な好悪の感情と怖い怖くないという感情が含まれているそうだ。そして、エリクソンの暗い8つの感情(不信感、恥辱・疑惑、罪悪感、劣等感、自己混乱感、孤立感、停滞感、絶望感)を考察しても、これらの感情に怖いという原初感情が全て含まれているようだ。

 四ツ谷で育った私は、私の暗い感情をお岩さんの話に投影し、お岩稲荷田宮神社を避けてきたようにも思う。昔の私は可愛かった!

 さて、先日のお岩稲荷田宮神社訪問をきっかけに。中沢新一氏の「アースダイバー」、縄文時代まで掘り下げた名著を何回も読んだり、神社でいただいた資料や鶴屋南北の東海道四谷怪談の話を調べたりした。

 真冬のお岩稲荷田宮神社は中沢新一氏の指摘通り、乾いた高台にあり体感上ちっとも怖くなかった。調べると本来は怪談とは無縁の幸せなお岩さんの神社だったので当たり前なのだ。

 鶴屋南北がイメージした怪談を思わせるのは、近くの坂を下った鮫河橋付近の、縄文時代であればフィヨルドの海底だった湿地帯のようだ。昔、ここにはスラム街があったとも聞く。

 先日も元文化放送のあった通りの坂を下り、須賀神社方面、鮫河橋付近に行ってもみたが、そちらのほうが体感上ずっと怖い。お岩さんとつながる土地柄のように感じる。鶴屋南北が創作した話は架空な話であったそうだが、四ツ谷という響きも何か湿地帯をイメージする。

 私自身は、四ツ谷といっても三栄町側育ちで、やはり高台から曙橋付近の湿地帯(昔は河が流れていたそうだ)に向かう坂の途中に住んでいた。そんなことも、四ツ谷怪談の怖い話は体感的に響かせたのだろう。

 そして、つらつら想うのだが「生き甲斐の心理学」の学びを深めていくと、自分自身をより知り、その生育史を愛するようになる。そのプロセスの一つとして生まれ故郷の思索(歴史と地理)はとても大事なようだ。

愛ある問いかけ ③ 8/10      

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