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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

日本人の感性の母体、ことだま文化を考えてみました!(小説家になってみる 6/10)

2015-08-27 | 第八章「魂と聖霊」

 生き甲斐の心理学をもう15年も勉強しているが・・・。生き甲斐の心理学がベースとしているのは言語療法の部分が大きく、日本語についても勉強するのだが、今になると、言語の理解の大事さが徐々にわかってくる。

 日本人の言葉に関する感性は素晴らしいものがある。文字文化が移入され、8世紀には記紀や萬葉集などが誕生するが、例えば萬葉集は世界に前例があるとは思えない4500句以上の歌が日本中から集められている。文字文化が来る前に、既に甚大な言葉の文化があった証明なのだろう。

 日本人の言葉に関する感性の背後には言霊(ことだま)文化があり、今でも結婚式などでは忌言葉を避けたりしている。今でも言霊文化は生き続けているのだ。

 文字導入が遅かった日本の文化について小説を書きながらいろいろ考えた。例えば巨大なシステム・水産加工場を作った(中里貝塚)縄文中期などを考えると、何故文字を使わなかったか、実に不思議な気がするのだ。しかし、この言霊文化を考えると、いくら社会が成熟しているとはいえ、そして文字があっても全く不思議でないのに、文字が使われなかったかが想像されてくるのだ。たぶん、祖先は無意識かもしれないが文字(言葉のコピー)を拒否してきたのではないかと。

 言霊については、萬葉集の柿本朝臣人麻呂が有名だ。この歌を一つの手がかりに言霊と古代の人の感性について考えてみたい。

 葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 然れども 言挙げぞ我がする 言幸く ま幸くませと つつみなく 幸くいまさば 荒磯波 ありても見むと 百重波 千重波にしき 言挙げす我は 言挙げす我は (萬葉集 3253)

 反歌

 磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ (萬葉集 3254)

( 訳 )

 葦原の 瑞穂の国は 神意のままに 言挙げせぬ国だ だがしかし 言挙げをわたしはするお元気に ご無事でいらっしゃいと つつがなく お元気であられたら (荒磯波)ありてもーそのうちに逢えようと 百重波 千重波のように繰り返して 言挙げをするわたしは 言挙げをするわたしは

 反歌

 (磯城島の)大和の国は 言霊の 助けたまう国です ご無事でいらっしゃい

 以上日本古典文学全集 萬葉集2 小学館を参考にしました。

 この歌は、遣唐使等の官人を見送るときに読まれた祝歌だが、自我を発揮するような言挙げを神意との関係で述べているのは興味があるところだ。神意>自分の言葉、 ゆえに言挙げしない、この感覚が当時の社会通念(言霊文化)だったようなのだが、自分の言葉が自然な波 となり、そして神意=自分の言葉(魂) になっていく。そんな神秘的な感じがするのだ。そして、この歌の外、山上憶良や高橋虫麻呂の歌に、類似する祝歌があり、言霊文化の一端が垣間見られる。

 写真はしまなみ海道の近くの能島である。瀬戸の急流で防御された要塞化された島城だったところで、「村上海賊の娘」の舞台だ。この小説の中でも、たしかあったが、戦国時代の武将たちが、歌会をする。武人と歌とちょっと繋がりにくいのだが、当時は例えば戦いの前の歌会や茶会は普通にあったようなのだ。そして、この中でどのような言葉が飛び交ったのだろうか。

小説家になってみる 6/10

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