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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代の自我を超え出る愛の文化(10/10 縄文世界を感じる時)

2024-01-06 | 第四章「愛とゆるし」

昨年は縄文時代に一番触れた一年だった。それは土器片であったり、写真のような縄文のランドスケープだったりである。その中でつくづく感じたことは、縄文時代の祖先達の熱い信仰であった。

何時の時代もそうであるが人が大切にするのは、信仰の対象である。祈りを捧げる対象である。そして、そこには真善美が集中して現れるように思う。古代ギリシャの人々は人間の姿は神の似姿という信仰ゆえに、美しい彫刻が作られた。日本の仏像や神像、神社・仏閣も信仰の対象として心をうつものが作られたのだと思う。ところで、縄文時代はどうだろうか。日本だけでなく世界の美術館でもひっぱりだこなのは土偶が一番だ。しかし、私は縄文時代の土偶だけでなく土器も当時の人の信仰の対象であったのではないかと秘かに思っている。火炎土器や水煙紋土器、勝坂土器をはじめ縄文土器の中には一流の美術品が多い。それは、信仰の対象だったのではないだろうか。

鉢巻をした人の顔がある深鉢(長竹遺跡 縄文後期堀之内1式)
写真は埼玉県立歴史と民俗の博物館
「縄文コードをひもとく」 特別展にて筆者撮影

特に、縄文中期の勝坂期(約5000年前)あたりからでてくる、顔面把手付深鉢は誕生土偶を食物の神を器(うつわ)化した土器であり、本質は土偶と同じ信仰の対象である。そして、その信仰は日本神話での男神イザナキと女神イザナミの国産み、神産み神話や黄泉の国の話でわかるとおり、ハイヌウェレ型の地母神信仰であり、死と再生の思想が底流にある。詳しくは、WebマガジンAMORに投稿した記事、特に10話と11話を参照していただければと思う。
縄文時代の愛と魂 | AMOR (webmagazin-amor.jp)

地母神の死と再生の物語を考えると、それは現代の伝統的な諸宗教の教義にも似ていて、例えばキリスト教の十字架の贖罪を思い出す。地母神の死と再生、めぐみの起源。これは例えば今の泥沼化し出口が見えにくくなっている戦争をやめる思想に繋がる。地母神を痛めつける人間を無条件にゆるし、さらにめぐみを与え続ける神。それはきっぱりとゆるす神であり、無条件に愛す神ではないのだろうか。エリクソンの人格形成論で出てくる、罪悪感や劣等感を解決するバックボーンになっていたのではないだろうか。

縄文時代の殺戮その他は、研究が進みつつある分野であり、かつてのように争いや殺戮がない社会というイメージはどうも間違いのようである。しかしながら、農耕・牧畜型の文化とは違い、戦争用の武器を製造していなかったことはほぼ定説であり、殺人も比較的少なかったということは確かなようである。

10,000年以上続いた縄文時代の文化には、こうした地母神の死と再生の思想があり、戦争を忌避し人々の心を安らかにする、自我を超え出るような愛の文化、ゆるしの文化が育まれていたとみるべきではないだろうか。

巻頭の写真は2023年12月22日(冬至)に田端遺跡より丹沢山系の蛭ケ岳に沈む夕日、残照、近くの境川周辺等
筆者撮影編集

9/10 縄文世界を感じる時

AMOR「縄文時代の愛と魂」に(⑪縄文時代の灯火)を掲載しました。こちら

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       森裕行

 

 

 

 

 



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