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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

いざというときに桃を投げ、櫛を投げる!(詩歌とストレス 6/10)

2015-08-08 | 第八章「魂と聖霊」

 昨日のブログに書かせていただいた萬葉集の浦島の話にもあるが、世界中の神話によく出てくる話として、女神や女性が「・・・してはいけない」というのに、それを破ってやってしまう男神や男性。浦島子の話でも玉手箱(萬葉集では櫛をいれる箱)をあけてはならないというのに、開けてしまう。

 不信感は、せっかの大切な神や人からの忠告をもやぶる強力な情動につながるようだが、このことが神話という形で遥か昔から祖先が伝えてくれていることに感動する。

 記紀にでてくるイザナギの黄泉の国にイザナミを救いにいく話も、見てはならないというのに見たため、イザナギはイザナミに追われてしまう。その時に、イザナギはお守りというか呪力のあるものを総動員して逃げるのだが、出てくるものは櫛(筍にかわったりする)、桃(追ってを防ぐため3つ投げる)、十握の剣であった。

 写真の桃は、美味しいだけでなく、そのような用途にも古では使われたようで、確か古墳時代か弥生時代の遺跡から桃の種がでてきて祭儀に使われていたということも聴いたことがある。しかし、櫛はさらに古く。縄文時代の初めのころの福井県の遺跡から約1万2600年前(炭素C14で)の赤色の漆で着色された櫛がでてきている。たぶん縄文時代には桃はまだなかっただろうが、美しい櫛は想像を絶してあったのだ。

 先の、浦島子の話では玉櫛笥が開けるなという箱であり、普通は櫛が入っているが、伝説の中では櫛そのものは出てこない(たぶん時代を経る中で消えてしまったかもしれない)。しかし、本来は希望をもたらす呪具。浦島子はこれで助かったかもしれない。

 エリクソンは不信感・基本的信頼と希望の関係を指摘しているが、不信感でずるずるとへんになって行くときに、桃や櫛を想いだし、心を整えて希望を見出すことは理にかなっているようだ。

 しかし、高価な桃を投げるのはもったいない。

詩歌とストレス 6/10

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