2-3日前に来週の勉強会の資料作りのため、近くの多摩ニュータウン72遺跡周辺の公園等に行った。秋が深まり落ち葉が散り銀杏も本格的に色づき始めていた。
72遺跡から、車で10分もかからない多摩境の田端遺跡にも寄ってみた。縄文後期のストーンサークルである。
ついでながら、近くの小山内裏公園にも寄ってみた。
多摩の秋は紅葉・黄葉で美しいが、自分のこころに湧き立つ感情もいろとりどり。U先生の名著「生き甲斐の心理学」53ページの≪感情の曼荼羅という世界≫を思い出す。自分や他者を理解するとき、私もそうであったが、自分の感情を二の次に考えたり、時には感情など面倒くさいと考えがちになる。
しかし、すべての感情を神秘的な曼荼羅と考え、湧き立つ感情に対しすぐに嫌悪感を抱いたり疑惑や恥辱感で反応したりするのではなく、ちょっと俯瞰し否定的でなくその意味をとらえなおしてみるのはどうだろうか。
昨日のブログに書かせていただいた、6歳のころの友達の事故死体験解釈の再解釈も、現場を50年以上して再訪したときに湧いた感情がきっかけだった。感情の発見から自己概念の変更にまで及ぶ例かもしれない。
感情の世界は防衛機制の問題と密接につながっており、感情の世界の発見が良いか悪いかはひとそれぞれだと思うが、感情に対し肯定的になるのは、自他肯定の世界への大事な初めの一歩だと思う。
こころをみつめる方法 9/10