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父は67歳で亡くなったので、還暦をまじかに控えた私は、最近父のことを時どき想い出す。
父子関係は、当たり前だが本人しか判らない主観的世界である(いつものことだが、他人の父子関係はよくわからないので、自分のことを書いている)。成育史の中で、父のイメージは様々あるが、それは客観的なものというより、幼ければ幼いなりに思いこんだ・・・そんな思い込みで出来たカンズメのようである。
一例であるが、10歳のころ、夏の海水浴で溺れかけたときに、父は恐らく死を賭して私を助けたのだが、私は父を恩人だとは到底思えなかった(当時は)。まあ、心の防衛機制などで父が生きているうちは、本当の姿とはかなり違った父をイメージしていたようだ。
父は67歳で亡くなったが、亡くなる前の1年は、いろいろ思い出深い。大病を患ったということを年末に聴いてから、10カ月位で亡くなった。当時は、余命を告知することは、殆ど行わなかった。父の時も、無理してもと考えた。ただ、父は鋭いので、周りの嘘をすぐ見抜くだろうとも思っていたが、やはり周りに気遣って知らないそぶりをしていたようだが、すぐ知ったようだ。後日死後に見つかったメモ帳に、死の恐怖を書いたところを見つけたのだ。
そんな父であったが、亡くなる2カ月前に、退院して父の郷里で夏休みを過ごしたりした。親戚と瀬戸内海の島々(大三島など)を廻ったり、楽しい想いでである。その中の一日、父と二人きりで、瀬戸内海が一望できる岬に登ってことが忘れられない。荒れ果てた神社があり、そこで二人で祈った。
その神社は、戦争中は戦勝祈願で、父の友人や家族たちがよくお参りをした場所だったそうだ。父は、当時の亡くなった友達のことを想ったようである。そして、その神社にまつわる神話というか、伝承というか・・・もその時に話してくれた。
・・・昔、夜襲があって、ここを守る兵士が必死に戦ったが、苦戦を強いられた。もうだめかと思った時、夜があけてきて、鳥が鳴いた。その声に驚いて敵が退散し、なんとか守りとおすことができた。それで、ふと戦った刀の柄を観ると、柄の中の目貫の鳥が血を流していた。目貫の鳥が守ってくれたのだと判った。
そんな内容であった。
その後父は、会社に無理をして何回か出社した。当時、父のかかわっていた会社で大問題があり、正面をきって戦っていたようだ。そして、その後まもなく亡くなる。鳥の目貫のような死だと、私は感じた。
自己実現とか生きることを考えることは、死を考えることかもしれない。黒沢映画の「生きる」も癌を患った市役所の課長の話だった。闇に飲まれていくような中で、消えないで残るもの。
メメントモリ 1/10