縄文の遺跡というと、かつては竪穴式住居などの村の跡・・・そんなイメージを持っていたが、勉強すると、工房跡のような遺跡も少なからずあることに気づく。水産物加工施設、黒曜石加工施設、あるいはヒスイ加工工房など。さらにストーンサークルのような特殊な祭儀場も。そして、加工技術とかいろいろ考えると、スペシャリストが縄文時代にもいたんだと考えないではいられなくなる。
縄文時代のプロフェッショナル。ダイヤモンドの硬度に近い翡翠の穴あけに携わったプロ、大規模水産物加工のプロ、火炎土器や土偶造りの国宝級プロ、漁業のプロ・・・天文や気象、数学のプロもいたかもしれない。
今の世の中、特別な才能を持った人は時代のフィルターで眼に着き羨望されたりする。スポーツ選手、経営の天才、数学の天才、文学の天才・・・そういう人も確かにいる。逆に個性が世の中にあまりに受容れられない影の人生を歩む人もいる。平凡だと自他ともに認める人は沢山いる。天職にヒットするような幸運が自分には訪れない。そう諦めている人も多いように思う。しかし、自分は何をするために生まれたのか?そういう問いは実に貴重だ。
私も、考えるだけでは幼いころから今に至るまで沢山ある。そして、年をとると共に天職のイメージは少しずつ輪郭をあらわしてくる気がする。それは、あの時、何故AではなくBを選んだか?という後悔の念を伴ったりで辛い部分もある。また、この世には自分の天職にあたる仕事がまだないのだなとがっかりすることも。もちろん、それは、そうと楽しむこともできるが。
縄文時代のヒスイ加工のプロAさん。ダイヤモンドのように硬い石に穴をあけて30年・・・そんなAさんもいたのだろう。そして、Aさんは自他ともに認める、その道のスペシャリスト。遠い部族のお姫様に喜んでもらえる翡翠の加工品(装飾品だったのだろうか、岩笛という説もあるが)をつくりつづけ悔いなくこの世を去ることができたかもしれない。一方、そんなAさんを支える妻や子供たちは、職人気質のAさんを養うのに相当の苦労をしてたり(そういう、妻や子供の仕事が天職ということもあるが)・・・こうしたことは、昔も今も変わらないかもしれない。
天職を得る、与えられる・・・そういう人は今も昔も実に幸運と考える人が多いようだ。殆どの人は、自分の天職も判らず、時には大切な自分の個性をも受容できず人生を送る。世の中はきびしいから、そんなものかもしれない。そして、こうすれば(XXに合格すれば、□□を獲得すれば・・・)認めてあげる。そんな条件ばかり考えて日常を過ごす人も少なくない(自分もそういう経験は沢山ある)。ありのままの今のあなたを認めよう。・・・そんな愛の思想を持っているひとはまれだ。殆どの人は考えもしない(かつての私も)。
しかし、未熟なありのままの自分を無条件に一旦受容する。それは、実に重要なようだ。そして、きっと本質的に好きなのだろう、天職(判らないなりに)の道を歩み始める。それが、天職の意味を探しだす始めの一歩かもしれない。室町時代の世阿弥の「初心忘るべからず」もそういう解釈をされる方がいる。室町時代の延長の縄文時代・・・その時代から、こうした認識を持つ人がきっといたのだろう。
五感・体感と縄文 5/10