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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

塔の軒下に琴が!・・・明るい感情を喚起する場所!(ひびきあう旅① 6/10)

2013-07-20 | 第四章「愛とゆるし」

 飛鳥の山寺である岡寺。先日の奈良の旅行に時に訪れた。仲間と境内を散策したり、鐘をついて楽しみ、そろそろ引き上げる時間になって、ふと、飛鳥発掘物語(河上邦彦著)を思い出し新しい三重塔に一人寄ってみた。

 確か軒下に楽器が吊るされていたはずだと、うる覚えだったが光の関係もあり良く判らない。とりあえず写真を撮って帰った。旅行を終えデジタルカメラの映像をソフトで調整している内に判った。琴なのだ。なんと優雅な。

 創建当時は琴が吊るされていたかは不明だが、飛鳥発掘物語によると心が暖かくなる経緯で、琴が軒下に荘厳されたようだ。今まで、延暦寺で素晴しい声聞を聴いたり、宇治平等院でなんともいえない天女像を観たりしたが、この三重塔も実に優雅で幸せな気分になる。

 岡寺は、草壁王子や義淵と縁が深いお寺だそうだ。生き甲斐の心理学のU先生をはじめ仲間たちも、持統天皇を研究する中で岡寺に並々ならぬ興味を持っている。

 様々な歴史の解釈があるが、長屋王が親王であったという証拠の木簡が近年見つかり、日本書紀の記述と違い高市皇子が天皇だった時代があるのではという解釈をする学者も現れ、本がでていたりする。

 そんな高市皇子が大きな力を持っている時代に、持統天皇は甥の大津皇子を謀略で殺害したこともあり、草壁皇子に皇位を継承しようと藤原不比等と岡寺や多武峰あたりで画策していたようだ。

 持統天皇は、そんな時代に吉野に頻繁に行幸する。天武天皇との思い出の地に回帰するということもあったのだろうが、政治的な天才の持統天皇は、何かを意図していたのだろう。それはなんだったのか。楽しい思索である。

 さて、今も厳しい時代で、人それぞれの夢(立身出世だったり、豊かな生活など)が遠くなる時代である。持統天皇も、恐らく自らの手も汚し辛い時を送ったのではないかと思う。しかし、そういう中にあっても、恐らく岡寺の三重塔の琴ではないが、日々の生活の中に平安や幸福を見つけ楽しんでいたのだと思う。そうでないと、いい仕事(現実吟味力に優れた)はできないものだ。

 

 岡寺の三十塔から、西を眺めると次のようであった!

ひびきあう旅① 6/10

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