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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

美しい夕焼けを見つつ縄文を想う!(五感・体感と縄文 6/10)

2015-07-14 | 第二章「五感と体感」

 昨日の夕方、美しい夕焼けが観られた。ちょうど車で移動していたのだが、思わず車を降りて写真を撮ってしまった。

 FaceBookをみると、この美しい夕焼けをアップしている人が何人かいらっしゃった。美しい夕焼けに魂が震えるほど感動するのは、私だけでなかった。そして、現代だけでなく、昔の人も、例えば縄文時代の祖先たちも感動したのだろう。

 昨晩は、新月(16日)も近いので夜空の月は望めなかったが、「フェルマの最終定理」(新潮社 サイモン・シン著)に出ていた数学者オイラーのことを考えていた。オイラーは数学解析では有名な方であるが、若くして20歳台で片目を仕事のしすぎで失い、そして、60歳台になり白内障で失明する。しかし、見えなくなってからも数学の探究を中止せず、その後17年間活動をする。そして中でも、失明時代に月の運行計算を完成させたそうだ。耳が聴こえないのに第9交響曲を作ったベートーベンもいるが、月も見えないのに月の運行計算を完成させたオイラーも素晴らしい。

 さて、この月であるが、縄文時代の祖先にとっても、その運行は大きな神秘として映ったようだ。死(新月)と再生を繰り返す月は、光始めの時(宵)と光終えの時(暁)にその軌跡をとってみると、蛇のように渦を巻くように見える。また三日月が蛇を連想させることもある。こんなことから、蛇は月の象徴としても土器などに描かれるようになったという説があるが。納得してしまう。月は地球の衛星で、月の動き(見え方)は、太陽を含めた3体の計算からなり、その軌道計算がニュートンでもできなかったくらい大変だったようだ。運行の真理は科学的にはそうかもしれないが、次の萬葉集の歌は、縄文をどこか彷彿させる。

天橋も 長くもがも、高山も 高くもがも 月よみの持たる変若水(をちみず) い取り来て 君に奉りて 変若得(をちえ)しむもの

詳しくは、Wikipediaなどを。

 そして、昨日の夕焼けは今日の快晴を伝えていたようだ。暑いので一瞬ためらったが、昼前に外出し、富士山の定点観測を久しぶりにやった。

  雲から顔を出している富士山。久しぶりの富士山は、もう夏の衣装であった。

 

五感・体感と縄文 6/10

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