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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

コロナ禍での不安感から温かいものが・・(自己実現、今も昔も 2/10)

2020-10-09 | 第三章「無意識の世界」

悔いのない人生を歩むために何をするか。綿密な事業計画を理性的につくる。20年前の私であればそうしたかもしれない。もちろん、そういうやり方も悪いわけではないが、U先生の生き甲斐の心理学を20年近く学んだ私は、少し考えを変えた。それは、五感・体感も含めた感情の世界のほうが頭で考えることより自己実現には役立つという考えだ。自分の無意識の世界とのつながりが五感・体感も含めた感情の世界のほうが意識の世界・理性よりあるように思えるからだ。

感情。特に、日々の様々な森羅万象から舞い降りてくる不安感。これは、私に何かを伝えようとしているように思えてならない。自分の無意識の世界から、自分の内なる何かが伝えようとしていることが不安感に託される。キリスト教文化的に言えば、それは聖霊からのメッセージと言うかもしれない。

さて、コロナ禍の昨今。親しい人との交流がかなり狭まれてしまった。生き甲斐の心理学の勉強会も新宿でいままで普通に行っていたが、今はZoomに切り替えようと努力している。しかし、オンラインも一見良いようであるが、意識の世界では視覚、聴覚で十分かもしれないが、触覚、味覚、臭覚のないコミュニケーションは同じように創造的になれるだろうか。意識だけでなく無意識の世界まで含めると、私の世界は随分狭まったように思う。臭覚、味覚、触覚といった大事な感官が使えない。サケであったら自分のふるさとの川に帰れなくなるし、指先のパチ二小体を生き生きと使えない触覚不良の日々は心が安まらない。

かつて私は大企業を辞め、職業訓練校で学び資格をいくつか取得して、福祉の仕事を志したことがある。そのころのことを最近よく思い出す。コロナ禍はどうも私にとっては障がい者の世界に似ているようなのだ。高齢者(私もその一員になっている)も障がい者とも見方を変えると言えるが、五感を制限される日々もある意味障がい者の暮らしに近いかもしれない。気軽に一緒に語りビールを飲んだ日々はどこかに行ってしまった。その慢性的になりつつある不安感。障がい感とも言おうか・・・

そして、障がい感の原形という不思議なことを考えてみた。幼い頃は、大人は巨大であり、地面や小石がやけに近い存在であった。歩くのも大人の一歩は巨大で自分は何歩も歩く。私が幼かった1950年代後半は今よりずっと物質的には貧しく。都会の路でも臭い犬の糞がたくさんあり、ハエが飛んでいた。悲惨な光景も結構あったようだ。それは一つの障がい感と呼ばれるような大人になりきらない人間の感情だったかもしれない。

幼少のころ。私の家は普通のサラリーマンであったが、小学校に入ると両親に新しい靴を買ってもらった。住んでいた町の中では私はちょっとお坊ちゃんだったのである。しかし、それが何故か気にくわず、その靴にわざと土をなすりつけて汚くし、登校しようとしたことがあった。その感覚は結構一貫しているところがあり、何となく貧しくなりたいという想いがどこかに隠れ、人生の岐路で自分にささやいていたように思う。まあ、ある時期福祉の世界に飛び込んだのは、その違和感なのだったようだ。そして、今は福祉の仕事をやめてしまったが、コロナ禍の中でその違和感が顔を出し始めているようにも思える。

さて、今は持統天皇と縄文時代のことをいろいろ分析・思索している。

持統天皇の幼少期は恐らく難波津で祖父の石川麻呂や母の越智郎女。時には祖母の斉明天皇と親しく交流したのだと思うが、父の中大兄が石川麻呂を持統天皇が幼少の時に謀殺してしまう。謀殺かどうかは謎な部分があるが母・越智郎女は嘆き悲しみ、それが元で早くなくなるが、渦中で産んだ健皇子(持統天皇の弟)は身体障がいで生まれ、やがて8歳で夭折される。祖母の斉明天皇はこの健皇子を心から慈しんだのであろうか、自分が亡くなる時に健皇子を合葬してほしいと言い残した。やがて斉明天皇は亡くなってしまうが、天皇の意思通りにはならず、現在推定されている斉明天皇と間人皇女の御陵(牽牛子塚古墳)には健皇子は埋葬されていないようだ。いろいろないきさつが在ったと思えるが、持統天皇がどのように健皇子のことを想っていたのだろうか気になる。

ただ、持統天皇は政治家として、日本のさまざまな宗教を大事にされたが、ご個人の宗教は玄奘三蔵に直接あったという道照の影響が強く、仏教ではなかったと私は想像している。天皇として最初に道照和尚とおなじく火葬を選択したというのもそれだ。奈良時代になると仏教がどんどん興隆するが、それはひょっとすると持統天皇。そして、明らかではないが持統天皇の幼少期に原因があるかもしれない。

1300年後の現代にまで影響を及ぼしているという持統天皇の活動の裏に、健皇子の悲惨があったのではないか。そんな気もしている。

(斉明天皇と間人皇女が埋葬されていたとされる)

時代は変わる。縄文時代の障がい者で有名なのは、北海道南部の入江貝塚の入江人骨9号である。札幌医科大学第2解剖学講座の研究で、20歳未満の恐らく女性で、思春期後半にポリオなどの原因で寝たきりになり、数年看病されて生き続けたものの亡くなった方のようだ。文字が残される時代ではなかったので、どのような家族でどのような考えでそのようななったかは全く不明であるが、厳しい環境の縄文時代であって、一人では生きられない人をも大切にされていたということで大きな話題となった。私も衝撃を受け2016年末に上梓した縄文小説に、魂の思想の表れとしてある登場人物に託した。

今も昔も、幼いころの不安感は、何か基調となるような大事なことを知らせてくれるように思う。そして、今のコロナ禍での不自由生活。その中での不安感は何かを語ってくれているようだ。

(自己実現、今も昔も 2/10)

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