イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

日本文化の特性と縄文時代!(古代人は美を大切にした 5/10)

2015-06-21 | 第九章「愛」

 歴史を勉強していると、日本史の中でも大事なときに当時の政治の中心人物が、縄文人の系譜を強く漂わせるような集団と交流する場面があるのが気になってくる。持統天皇と役小角など。足利義満と観阿弥・世阿弥。そして、その集団の文化が花開いていく。縄文時代を勉強すればするほど、10,000年以上の歴史の重みが精神文化という意味で、日本の中に復活していくように思える。しかも、それが根のある文化として。

 その背景にある、宗教や哲学。縄文文化は文字が無かったようで、その思想は直接的に残されてはいない。しかし、何等かの形で伝わり継承されているのだろう。「幽玄の美」、「侘びと寂」、「もののあはれ」、「恥の文化」、「汚れと禊」、「甘えの構造」。日本の文化を象徴しているような6つの言葉であるが(U先生に教えていただいた)、これらと縄文の文化、どのように繋がっているのだろうか?

 まだ、勉強不足で判らないことばかりだが、解明していきたいと。日曜の朝から元気に妄想させていただいている。

古代人は美を大切にした 5/10

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ヒトの感情は不安が先か平安が先か?(古代人は美を大切にした 4/10)

2015-06-20 | 第七章「光と復活体」

 人の基本的、根源的な感情は何か?不安か平安か?生き甲斐の心理学では不安であると言っている。勉強して15年くらいたつが、今は確実にそうだなと思っている。

 朝起きてから寝るまで、感情はどう変わるか?感情というものに気を使わない仕事もあるが、私は幸か不幸か気を遣う仕事に若くしてついた。そして、青年時代の一日の感情が、激しく揺れ動くことに気づき、驚いたことがあった。今、思うと当たり前なのだが、当時は新鮮だった。

 少し前であるが、よく動物園に通った時期があった。動物園では動物をじっくり観ていてもヘンに思われない。それで、動物の不安感とか結構眺めた。ストレスで半分病気のようなシマウマがいたり、ヒトを威嚇するチンパンジーに同情したりもした。動物の世界も、不安が支配的だ。

 世の中には一方、平安感や幸福感に溢れている場所もある。祭りの場や、コンサートなどの行事、宗教行事もあるかもしれない。そういう場所や時もあるのだ。天国の窓がちょっと開いて、光が差し込むような時というものも主観的かもしれないがあるのである。そんな、心地よい場所の価値を知ったのは、意外と人生の後半であった。これまた、感情の世界の不思議なところである。

 昨晩は、縄文時代のことを学者の書物を通して考えていた。縄文時代。それは、狩猟・漁撈・採取文化でありながら、定住を初めてした文化だ。そして、定住により、旧石器時代の純粋さを失い、富の偏在や階級が生まれてきたのだと思う。もちろん現代のストレスとは違うが、生きるためのストレスは、定住により豊かになった分増えたのだろう。本音と建て前みたいなことが増え、時にはオフェリアのように、悲恋があったり自死もあったかもしれない。

 そして、その不幸な分だけ、こころの世界は深まり、宗教や哲学は高度化したのだと思う。光は影があって輝きを増すようだ。

 感情の機微、もののあはれの文化の起源は、縄文時代に遡るように思うがどうなのだろう。そして、機微ができるほど美は深まるのだろう。

古代人は美を大切にした 4/10

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風のように軽やか・・・(古代人は美を大切にした 3/10)

2015-06-19 | 第八章「魂と聖霊」

 梅雨も盛りというか、雨が結構降っている。アヤメやアジサイなど水滴がつき、何とも味わいがある。日本は四季があり、この梅雨もまもなく明け、夏が来て、春夏秋冬が駆け巡る。年をとると、その速さがなんとも加速してくるように感じる。

 今朝は、宮沢賢治の風野又三郎を読んでいた。これも不思議な小説だ。又三郎という風の精といったらよいか、その又三郎が科学的に風を説明したりする。ちょうど、縄文時代の美を考えていたが、風のように過ぎ去る賢治の世界は何か縄文的なのだ。

 縄文時代。世界的に珍しく、農耕を本格的にやるのではなく狩猟・漁撈・採取を延長しながら定住をする祖先。その在り様は大陸の定住と違い、なんとなく狩猟・漁撈・採取の旧石器時代を引きずるようであり、大きな石の家に住むのではなく、定住といっても当初(15000年くらい前)から「ウサギ小屋」と揶揄されるような狭い空間に家族寄り添いながら暮らすのだ。祭祀の空間等は別にして、縄文人たちは6畳とか、そんな狭い空間を大切にしたようだ。そして、火山が爆発したり、状況がかわると軽やかに引っ越ししてしまう。

 私の人生を振り返ってみても引っ越しは15回以上経験している。旅も好きだ。映画もトラさん映画などは大好きだ。これも縄文人の血が流れているかも(笑)。

 蛇足ながら、軽やかに引っ越しや旅行で状況が変わり、そして、その時々の新鮮な美を愛でる。「もののあわれ」が日本人のこころの特徴の一つといわれるのも、縄文時代からの文化を背負っているのではないか。涼しい梅雨の季節は、そうした妄想に最適だ。

 

古代人は美を大切にした 3/10

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梅雨の中を楽しく動き回る!(古代人は美を大切にした 2/10)

2015-06-18 | 第二章「五感と体感」

 昨日は、オフだったこともあるが、一日楽しく動き回った。かつてのサラリーマン時代と比べて、幸せに思うのは午前中の時間を好きなことに費やすことができるようになった点がある。年をとると午前の時間がとても大切だと40歳台のときに、70歳くらいの方に教えていただいたことがこの幸せと繋がっているようだ。

 写真は、大賀ハス(2000年前以上の種子から発芽)の葉っぱにたまった雨水。昨日、薬師池公園で撮ったものだ。梅雨になり生育が進み、蓮の花のつぼみも膨らんでいた。

  

 ハスはインドが原産のようで、かつてインドが亜大陸としてユーラシア大陸に繋がるころからあったのかと妄想してしまう。日本人も元はといえばアフリカから流れて3-4万年くらい前に到着したのが起源だと思うが、その日本人がハスを観るということも不思議な感じがする。

 さて、昨日は小説のこともあるが、縄文時代の家族のことを考えていた。私の家の近くの多摩ニュータウン446遺跡も縄文中期は5-6軒の村だったが、50年くらいしてからにわかに消滅したらしい。近くに72遺跡があり、そっちに移住したのではという説もあり、これまたいろいろ妄想してしまう。

 当時の家族は、父系制でも母系制でもなく双系制の家族だったと言われる。自分のルーツをたどると、母方の祖父は三男で養子に出された。亡くなるまで、養子に出された家については殆ど語らなかったし、何か鬱々としたものがあるように思えなかった。父方も、市役所で系図を観たりしたが、家の歴史の不思議さを垣間見たように思う。養子が日本で一般的なのは、双系制の名残という識者もいて、興味が湧く。弥生時代以降はそうでないが、双系制の社会はある意味でヘンな家族のしがらみがなく、結構自由で平等なものであったらしい。

 話は戻るが、梅雨でも公園はショウブやアヤメ、アジサイも綺麗だし、出かけた甲斐はあった。雨で大変かもしれないが外出はなかなか良いものだ。

古代人は美を大切にした 2/10

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縄文人の美的感覚は?(古代人は美を大切にした 1/10)

2015-06-17 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 真善美。どれが好きですか?と尋ねられて、はたと考え込んでしまった。自分の今までの傾向を考えたり、今は殆ど考えていない分野など。そして、悔いのない人生をおくるには、真善美はどう関係させるべきかと。

 そんな中で、今年は大胆にも縄文小説に取り組むことになった。真や善もこの小説には当然含まれるはずだが、美については今まで余り考えたこともなかったこともあり、最大の関心がある。

 縄文時代は、日本の風土が火山灰の酸性の土であるため、衣服や木器等が残りにくい。それゆえ、衣装等については殆どわかっていない。しかし、縄文土器や硬玉、耳飾り、漆が塗られた櫛などの断片から、縄文時代の美も素晴らしかったのではないかと推察している。なお、縄文時代といっても16000年前から2500年前くらいまでの期間があり、草創期と晩期ではかなり違うと思うが、私の今の主な関心は4500年~5000年前の縄文最盛期、中期である。

 当時のハレの日の衣装はどうだったか?どのような色彩の衣服を着ていたか。どのようなデザインの衣服を着て、その意味は何だったか。土偶等から一部は推察できるようだが、殆どわかっていない。だが、アジアや北米の先住民族の衣装、西アジアの残された遺物、そして人の心理から推察すると、かなりのレベルの美しさがあったとのではと思うのである。

 ヒトには本能がある。食欲、性欲、さらに見神欲(デジデリウム)を追加する学説もある。そして、美はそうした本能にも関わるものだろう。当時はいまより豊かな自然があった。そうした豊かな自然を甘受した時代に、豊かな美術があっても全くおかしくないと思う。

 高松塚古墳の壁画で、7-8世紀の婦人像があり、世の中を驚かせたが、縄文時代の女人の具体的な衣装など発掘されないだろうか?妄想は尽きない。

古代人は美を大切にした 1/10

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