イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

藤原鎌足の墓とされる、阿武山古墳に行ってきました!

2015-07-26 | 旅・雑記帳

 今日は、真夏の暑いさなか大阪府茨木市の阿武山古墳に行った。2013年の発見で、藤原鎌足の古墳とする説が真実味をおびたところだ。墓所の南側の眺望が優れ、当時は大阪方面がよく見え、難波京なども見えたかもしれない。

 天智天皇(当時は中大兄)と大化の改新を成功させ、激動の時代を生き抜き、藤原氏の祖として大きな功績を遺した方だ。ヒグラシが不思議な声でなき、また、暑い中であったが梢をわたる風も心地よく、貴重な時間を過ごすことができた。

 六韜を暗記するほど読み、7世紀の激動の時代を、生き抜いた戦略家の鎌足。彼は何のために生き、そしてその人生は満足行くものであったのだろうか。一世を風靡した藤原鎌足、彼は悔いのない人生を生きたのだろうか?最近は縄文時代のことを考えることが多いので、ちょっと不思議な感じがする鎌足である。

  

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新幹線の窓からの湧き上がる感情!(ストレスを楽しむ 6/10)

2015-07-25 | 第一章「意識と知覚」

 昨日は久しぶりに新幹線で関西へ!旅の最中は読書やネットを楽しんだが、今回は窓の景色も意識して楽しんだ。特に古代の日本(今回は縄文ではなく、7-8世紀)を意識していたので、関ヶ原をすぎるころから、ずっと窓の外をみていて、琵琶湖の瀬田付近を通過する瞬間もしっかり写真まで撮ってしまった。

 瀬田付近は、歴史によく登場するが、壬申の乱で鎧を二枚来て橋をわたったツワモノや近くの海底に眠る縄文時代の遺跡(人骨まで出てきた、)を想った。この時の湧き起る感情を振り返ってみると、昂揚感はあったものの、あとの感情もいろいろ、明るい感情だけとは言えない複雑な感情であった。

 こんなふうに、自分の感情を気にするようになったのは、生き甲斐の心理学をとおして、臨床心理学の知識を身に着けだしてからである。私の以前もそうだが、ふつうは、そんな特殊(実際は万人に必要な知識と思うが)な知識は知らないでおり、まあ、珍しかったので瀬田の写真をとった・・・くらいの意識で終わってしまう。しかし、何らかの感情がわくことを実感することで、①自分のこころの状態がプロセススケールは中から高いほうで健康だな②瀬田への新しい体験(今までは、百回以上たぶん新幹線にのっても意識化したことはなかった)として、今後の生活の糧とする。③複雑な感情は何か、何かの兆しか?・・・結構、様々に楽しめてしまう。

 ネガティブな感情も、エリクソンの理論で味わったり、いろいろ研究できると、それだけで自分の傾向が見えてきたりする。これは、妄想といえば妄想かもしれないが(笑)、生き甲斐の心理学も学ぶ楽しさにもなっているようだ。

 ストレスを楽しむ 6/10

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自分の生まれた時代を俯瞰すると何かが見えてくる!(ストレスを楽しむ 5/10)

2015-07-24 | 第一章「意識と知覚」

 自分が生まれたころ。その時代を俯瞰するというのは、とても大事なことだと思う。臨床心理学は、生育史を大事にするが、個人の歴史をいろいろ詮索するのは限界があり、逆に当時の歴史的背景の理解を深めたほうが良いとU先生に言われたことがあるが、真理だと思う。

 孫の世代は3.11と重なったり、私の世代はサンフランシスコ条約や朝鮮戦争のころ、まあ人それぞれであるが、その時代を俯瞰すると今まで観えなかったことが見えてきたりする。

 戦後の歴史を勉強したり、気楽に話せる知人や友人と戦後を語ったりすると、何か違ってくる。昨年だったか、昭和記念公園でピクニック?兼勉強会を行ったが、その時、砂川事件の話が出た。それは今回の安保法制の話でもちょっと出てきたが、大事なことであることが判った。

 ちょっと気になったり、自分の生のストレス曲線をともなった出来事は、自分にとって大切なことが多い。そして、それを意識化していると、つぎつぎと発見があり、点から線、線から面と理解が進んでくる。そして、様々な雑音とは別に何かが立ちあがってくる。それは、自分の生き甲斐やアイデンティティにとても関係し。モチベーションにも繋がってくる。

 もちろん、何でも時がある。私も臨床心理学の勉強をはじめて15年たつが、恐らく初めのころであれば、今の高さでの俯瞰はできなかっただろう(年齢や経験もあるが)。俯瞰することで、当時はごちゃごちゃした感情生活を歩んでいたと思っていても、それが、結構美しい世界だなと見直したり、背景に恩寵を感じたりもする。

ストレスを楽しむ 5/10

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ストレス曲線を思索すると思わぬ発見が!(ストレスを楽しむ 4/10)

2015-07-23 | 第三章「無意識の世界」

 世の中ではよく使われているストレスという言葉であるが、Wikipediaを観てもストレスの定義や意味は生物学的なもの材料工学のもの等と実に多様であるが、心理学的なストレスの説明は英語版はあっても日本語版は皆無。日本の心理学的なストレスに対する混乱を何か暗示しているようだ。

 生き甲斐の心理学では混乱の多いストレスという言葉より、ストレス曲線という言葉をよく使う(石塚幸雄先生の自己実現の方法 講談社新書がオリジナル)。これは、当事者が感じる暗い感情をモデル化したもので、不安感、怒り、身体的症状、ウツ、錯乱の5つつに分類される。そして、ストレス曲線は当事者の理想(意識されたもの、無意識のもの)と現実(意識されたもの、無意識のもの)のギャップから生じる。ここが単純な公式のようで実に奥深い。このことを知っているだけで、悩みを実感し、それを理論的に解決する大きな鍵となるのだ。

 そして、悩みが解決すると、ストレス曲線の対極の幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感)に移行するという不思議な現象もあったりする。

 眼の前の不安や悩みを解決するのは、日々誰でもやっていることである。ただ、どういう訳か、個人個人によって苦手な分野があったりする。それは人それぞれの生育史に由来したりする。そして、時には、それがもとでストレス曲線の不安が、怒り、さらに身体症状が出たり。ウツ状態になったり拍車をかけていくことも。

 そのとき、自分のストレス曲線を感知し、その理解(理想や現実の把握)を深めるなかで、ポンと解決することもある。外にもいろいろ効用があるのだが、少なくともストレス曲線は、決してネガティブなものではなく人の成長を促したり、社会貢献をしたりするポジティブな意味合いが沢山ある(この意味は先の英語版のWikipediaにもあった)。

 例えば、土器の発見ということがある。10000年以上前に日本または東アジアで発見された技術であり、縄文文化の基礎になったといっても良いだろう。恐らく、当時の祖先は定住しない不安定な生活をしつつ、比較的恒常的に得られる食べ物の採取(例えばクルミやどんぐり)で、火を通することによって(小規模ながら煮たり、蒸したり)食べられないものが食べられるようになる現象を知っていたのだろう。ただ、それをどう実現するかの技術はなく、苦悩していた。

 それが、粘土が火によって(例えば火山などの自然現象や身近なキャンプでの炉辺の現象だったのだろうか)石のように硬くなることを知って、土器を思いついたのであろう。当然ながら無名の祖先の発見により、歴史が変わり、恐らく私たちもその恩恵を被って生まれてきた。実に不思議だ。

 もちろん、こうした発見もあるが、無意識の世界、生育史の問題を克服して、大きな仕事をした方もいると思う。昔のことなので当然推測になるが、7-8世紀に現代日本の原型を建設するのに多大な貢献をした持統天皇もそうかもしれない。こうした天才のような人もいるが、無名の私たちもそれぞれの個性の中で、ストレス曲線をヒントにポジティブな何かをする可能性は大いにある。

ストレスを楽しむ 4/10

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どういう時代に生まれたかを意識してみる!(ストレスを楽しむ 3/10)

2015-07-22 | 旅・雑記帳

 大栗川は私の好きな場所だが、この多摩川の上流の大栗川の歴史は古く、旧石器時代、縄文草創期からの遺跡も出土しているほどだ。私の興味のある縄文時代も遺跡があり、この川の周辺には例えば5000年前とかには多くの祖先が住んでいたことが判っている。もちろん、大栗川も時代と共に変わり、殆ど人の住まない時代もあったり、私の時代に近い第二次世界大戦末期には、この大栗川上空で日本と米国の戦闘機による空中戦も繰り広げられたという。

 さて、人のストレス(本人の理想と現実の差から生ずる悩み)を考える上で、三つ子の魂100まで・・・ではないが、幼少期の時代がどんなものだったかが、人の性格形成、ストレスの傾向等に影響を与えているようだ。

 私の場合は、1951年生まれであるが、自分の性格の研究をする中で、自分の生まれたころの日本の状況を勉強したことがある。1951年というと、戦後というふうにひとくくりに考えられがちだが、1945年8月15日の終戦(敗戦)から1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約(いわゆる日本の主権回復)までの約7年間は、国際的に観て米国による占領時代である。従って、私の0歳から1歳までは占領時代だったのだ。そして、その時代は朝鮮戦争の時代と重なる。日本への特需と朝鮮半島の悲惨。それは、何かとても象徴的で、自分の生育史にいろいろなところで影を落としているようだ。

 1960年台後半から1970年台の初めごろまでの学園紛争時代。そして、1980年台後半の冷戦の終結によるグローバル化の時代。3.11。そして最近の状況。

 自分の感情の原型の多くがつくられていく幼少期。その時代は、現代日本の原型の時代とも重なるようでもある。戦後の研究は実に興味深い。

 ところで、今縄文時代小説を書いているが、今から約5000年前の大栗川周辺。祖先達の時代はどうだったのだろうか?気候が温暖化から寒冷化に移行する時期であり、大陸では西アジアのシュメール文化が栄える。中国は仰韶文化などがあるが、殷はまだ先の先。定住化の中で、縄文時代の文化の一つの最盛期を迎える時代だ。富士山の噴火もあり、自然災害も当然ある。また、貧富の差も生じてきたかもしれない。そんな時代に、祖先たちはどんな幼年期を送り、そしてどのように悩みながら生き抜いてきたのだろう。今日もたのしく妄想している。

ストレスを楽しむ 3/10

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