イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

五感の窓を開けて世界を感じ、希望力をつける・・(6/10 年末年始に理想と現実を考える)

2022-01-05 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

昨日の夕方は外にでて寒いけど五感で正月を味わった。写真は残照の西の空だが、遠い山の際に丹沢山系の最高峰・蛭ケ岳の山頂がちょこっと顔を出し、月も三日月。縄文人も喜ぶような夕方だった。

人・生命体のセンサーは五感(視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚・・)をベースとした感情だと思う。この感情が正確にとらえられ、さらに前向きに解釈されていくと好循環がうまれるようだ。自己否定的な解釈に陥らないのがこの作業のポイントでもある。

感情には意味があるとU先生の「生き甲斐の心理学」ではよく言われる。明るい感情もそうだが、暗い感情も大いにそうである。何故そんな感情が湧いたか、感情を悪意ある誰かからの贈り物とせず善意の贈り物と考え、それを肯定的に解釈するかが好循環になるポイント。もちろん、感情を吟味する環境にも注意したい。素晴らしい話者の講演会を受講するにも、素晴らしい芸術鑑賞をするのも相応な準備が必要ように、リラックスできる環境が大事。できれば幸福曲線の状態が良いようだ。要はリラックスというか自然体でいる方が感情の解釈はうまくできる。

そんなことを考えていくと、朝、目覚めたときに温かい布団の中で感じたこと、あるいはその日の気分が大切なことが分かる。そして、前向きな解釈がすぐにできることもあるが、いつもの散歩のときとか、お風呂に入っているときなどに・・良いアイデアが生まれ、思考や行動にむすびつけていく。

好循環に居るときは、自分の想いもはっきりしている(例えば縄文小説を書こうという想い、笑)ので、出会いやアイデアも豊かに生まれ、「人は考えたような人間になる」というインドの諺ではないが、いつの間にか想いの方向に向かっていたりする。現実吟味力もさえてきているのだろう。そして生活や仕事も程よい防衛機制(補償、知性化・・)の中で守られ快調に進んでいく。

しかし、今の季節は散歩コースの大栗川では夕日が真正面に落ちてくるようで(日没の位置はすでに北側に向かっているが)美しい。

6/10 年末年始に理想と現実を考える

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       縄文小説 森と海と月   五千年前の祖先の愛と魂
       森 裕行

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五感の窓を開けて考える・・(5/10 年末年始に理想と現実を考える)

2022-01-03 | 第一章「意識と知覚」

元気がないときに部屋で静かに座していると同じようなことを何度も考えたりで、ますます暗くなっていく。反対にちょっと外に出て、五感の窓を開けて、のんびりと鼻歌でも歌いながら、「何のために生きているのか」の難問を考えると、回答は得られないけど、新しい何かが入ってくる。それは青春時代から無意識にやっていることだったが、意外に意識化されていなかった。アイデンティティの問題は大事なこころの健康の問題でもあるが五感とも大いに関係が深いのだ。

年末から縄文時代の後期のことをずっと考えている。一般に中期の全盛期と比べ冷涼化が進んだりし生きにくい時代と言われている。今の世相も決して良いとは言えない時代に、この後期を考えることは追い打ちをかけるようなところがある。

そんな中、元旦に寒いが空気の澄んだ大栗川に散歩に出かけた。そして、いつものように富士山と蛭ケ岳を望みながら上流に向かって歩いて行った。縄文時代の中期はこの周辺も栄え、美しい芸術的な土器やヒスイ製品なども作ったが、後期になるとぐっと人が減る。3500年くらい前になると殆どいない時代と言っても良い。

橋の欄干のそばで立ち止まり、後期の時代を想うと富士山を見ても少し憂鬱になってしまう。そんなことで、思わず反対方向の下流を見た。視点が変わると世界が変わる。古代の神々を見る上流方向の視点から、逆に神々が人々を見る下流方向の視点。そういえば、大栗川の下流域は後期や晩期でも人はしたたかにまだ住み続けているところも。

大栗川の上流を見る

大栗川の下流方面

そんなことで、今年は縄文時代に関しては大栗川下流域や多摩丘陵の西側をもっと見つめようと思った。何となくだがはっきりと。

昨年から考えていた、善意の問題もこのとき明確になったようだ。哲学的な善の問題を本を読んだり静かに考えるのも大事かもしれないが、人と人とが楽しく接するリアルな世界のほうが何か核心を突くようだ。上流をみるのも大事だが下流を見るのも大事。もちろん下流を見下ろすと言う傲慢な視点ではないことは言うまでもない。

5/10 年末年始に理想と現実を考える

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湧きおこる感情を大切にして健康的に‥今も縄文時代も (4/10 年末年始に理想と現実を考える)

2022-01-01 | 第二章「五感と体感」

縄文沼に入ってしまった年末。多分、今年いっぱい頭の中は「縄文」だらけ。不健全な精神状態になるのはいけないと、元旦の今日早朝に寒い大栗川に沿って散策をした。水鳥もあ元気に餌を探している姿を見つつ、感情の大切さを振り返った。健全な現実吟味力、アイデンティティの統合、防衛機制はこころの安定と自己実現への道には大事なのだが、今の世の中感情の処理の仕方を誰も教えてくれないため、結構辛い目に陥ってしまう。

感情を大切にするとはなにか。U先生に教えていただいたことで一番印象深いのは好き嫌い、怖い怖くないという原初感情を時々意識することだった。それを機に感情の大切さに近づいていく。もちろん湧きおこる感情を他人にそのまま伝えることではないし、湧きおこる感情を倫理道徳や常識で裁くことではない。学生時代、私は数学や統計が好きであったが、よく独立変数とか従属変数など独立とか従属ということを考えたものだ。この考えからすると、感情と理性との関係は従属的ではなく独立的であり、独立性を意識して対応すべきということだろう。ある状況で喜んではいけないのに嬉しいという感情が湧いたりする。あるいは、親や他者の期待を裏切るかのように嫌いという感情が湧く。このようなことは結構あるが、湧きおこる感情を抑圧したりすると、こころの健康を損ね、大事な決定に禍根を残すことになりかねない。ああ自分は今嫌っているとか、喜んでいるとか・・・それをいったん感情の真実を認めることが大事。それから感情は変わるものということを理解していた方が良い。覆水盆に返らずは事実のことを言っているだけで、感情は返ることがある。夫婦の関係や子弟の関係でも好きだったりきらいだったりいろいろ変化するものだ。基本的にはどんな感情が湧いても良いとし、行動としては自分も他者も大事にするというスタンス・構えが大事。ビックワードを使う危険があるが、が愛は感情ではないというのはまんざら間違っていないかもしれない。

さて、昨年は縄文時代の土器や土偶などを良く見に行った。江戸博の縄文2021は5回も行ってしまった。そんな中で五感でじっくり味わううちに自分なりの湧きおこる感情が良く見えるようになってきた。縄文後期の土器や土偶にドキドキするようになったり。世の中の評価とか言説に振り回されず私は私と湧きおこる感情を楽しむ。そんな中で必要な判断力や創造性のスイッチが入っていくのでは。

巻頭の写真は大栗川から丹沢の最高峰の蛭ケ岳と富士山を見た写真。縄文時代の人は神奈備形の山を神聖視していたようだが、正月・元旦に見ると何とも言えない感情が湧きおこってくる。私の家は大栗川下流域の小高い尾根近くにあるが、そこから富士山は見えないがこの蛭ケ岳の頂上がのぞける場所にある。何年か前に調べたら、近くに縄文早期~後期の遺跡がある。きっと縄文時代の人はウキウキする場所だったのではないだろうかと想像してしまう。ウキウキする景観、ウキウキする土器や土偶・・。真善美に対して湧きおこる感情。それは今も縄文時代も変わらず生きる力に直結しているのだろう。昨年は大栗川の上流や境川の上流に関心を持って調べたり見に行ったりしたが、最近大栗川の下流域(多摩市、日野市)にも美しい土器を見て興味が湧くようになってきた。忘れられない美。それは大きな原動力(縄文小説への)になるように思う。 

4/10 年末年始に理想と現実を考える

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