私の運動会の思い出はあまりいいものではない。運動能力が優れていないものには酷なのが運動会であるが、それよりも9月の暑い日の下で何回も練習するということをやったといういやな思い出しかない。
日に照らされて、暑かったというか日焼けしたというかそういう思い出である。運動会それ自身はあまり覚えていない。友人のH君が理由はなんだったかわからないが、体操の先生にひどく殴られたことを覚えているが、それでH君の親が学校に怒鳴り込んだということも聞いていないから、いい時代だった。
その後このH君はS高校に進み、何回も甲子園出場をした。S高校が全国制覇をしたのはその1年か2年後だった。そのときの優勝投手K君は私の中学校の一年後輩だったと思う。50年以上はるか昔のことである。
とんでもない!
僕らの時代は、「(理不尽でも)絶対先生、絶対学校」「学校を替えるだけでも偏見視される」
授業中の居眠りで殴られて以来、朝昼とコーヒー漬けの日々で、現在、カフェイン中毒的に薬がないと眠れない状況です。
ウルフラムも本田宗一郎さんも、サボりの天才で有ったことを後に知り、
若い頃、”遊びSpielある社会の方が健全だ”を主題に、本の出版を目標にしていたことも。「ゆらぎ(武者利光さんの訳?)理論」を駆使して。
H君は仲のいい友達でちょっと私たちに暴力的に振舞うことはありましたが、体の大きい野球好きの少年でした。彼は野球で立教大学へ入りましたが、その後体を痛めて退部し、大学はどうしたか存じませんが、その後建設業を営んでいました。
サボりということでいえば、一番はアインシュタインだと思います。彼は授業にはほとんどでないで試験だけ受けて合格してETHを卒業したはずです。そのために助手として残りたかったのにどの先生も助手として採用をしてくれなかった。
でもいい友人がいて講義ノートを全部貸してくれたとかいいますね。いい友人がいなかったら、アインシュタインもETHを卒業できなかったかもしれません。