森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

薔薇の履歴書 その1 【薔薇の画像と雑文と】

2016-05-20 11:24:51 | お散歩&写真日記

薔薇の季節がまた巡ってきました。

日光にご一緒した、星子さんと愛子さん、そしてこのワタクシ花子で、ご近所の薔薇園を散策してきました。

この季節になりますと、毎年代わり映えのしない画像を載せているのではないかと思いますが、同じだなと思っても写さずにはいられない載せずにはいられない薔薇たちなんです。

毎年見に来る割にはちっともその花の名前を覚える事もない私ですが、たまにはその名前もしっかり見ながら花を見ようと思いました。

小さい画像はクリックすると大きくなりますので、興味のある薔薇が出てきたら、詳しい花の履歴書を読んであげてくださいね。

 

調子の乗って、またもたくさん撮って来てしまったのでしばらく薔薇の画像が、私のブログを飾ると思います。

 

ところでこの日のランチは東大の学食で頂きました。

星子さんが

「梶田さんも同じものを食べていたりするかしらね。」と言いました。

梶田さんと言うのはノーベル賞の梶田隆章さんの事です。

話の流れで、先日「そうか~」としみじみと思った「日本の女性受賞者は居ない」と言う話を私がして、これからの日本女性には頑張って欲しいねと言う結論で、三人で頷き合いました。

 

ところが昨晩お友達のブログで、こんなことが話題になっていました。

>「アイドルグループHKT48の新曲の歌詞が、ひどすぎる」(この記事も読んで!!))

そのお友達の記事は→がんばれ☆女の子!!

 

そのアイドルグループの事を貶めているわけではありませんよ、念のため。ただ昼間の私たちの会話の真逆すぎて印象に残ったのです。

私は思います。

― あのね、頭が空っぽだと、ずるい男の都合のいい女にしかなれないし、大事なキラキラすることが目の前にやって来ても見逃すよ。

それにたくさんお勉強したって、お顔立ちが悪くなるわけでもないし性格ブスになるわけでもないじゃないのねぇ。きゃぴきゃぴ音は、ちゃんと時代の風を感じる感性があれば聞こえるよ。感性とはもともとその人に備わっている才能の部分もあるけれど、もし磨くヤスリがあるとしたら、それは知性だよね。ー ってね。

 

学べる時には寝食惜しんで学ぶべし。

ああ、もっと学生の時にそれに気が付いていたらなあ、あの時の10倍勉強していたらなあって、おばちゃんになってしまった今は思うの。

悔いがあるから「もっと勉強した方が良い。」って若い人に言うんだけれど、なかなか伝わらないのよね。

 

まあ、おばちゃんになってもガンバロー。

出来る範囲で(弱気)。

花から勇気をもらいながら・・・・・。

 

元気色の黄色

 

 

 

 

春まだ早く、それは淡い青春…そんなイメージがする。

 

では、今日はこの辺で~♪

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「生誕300年記念若冲展」 

2016-05-19 02:16:42 | お出掛け日記

5月12日に、東京美術館で開催されている「生誕300年記念若冲展」に行きましたので、その観た絵の感想などを少々書かせていただきます。

 

この「若冲展」がすこぶる人気で観るまでが大変だったことは「若冲地獄」と言う記事内で書かせていただきましたが、入場するまでの姉とのおしゃべりで、

「なんでこんなに人気があるんだろう。」という話題になりました。

この人気ぶりは、絵の魅力に引き寄せられると言うのは確かにそうですが、それだけではなくNHKなどが解説などの特集番組などを組み、力を入れていると言うのも一因のような気がします。更に加えて言うと、ずっと以前に嵐の大野君が、「お前が好きだ。」・・・は彼主演の某テレビドラマのセリフですが、そうではなく「若冲が好きだ。」と彼の絵画について熱く語ったと言うのも、若冲ファンの数を密かに増やしていたのではないかと思われます。

少なくても姉の若冲好きは紛れ間もなく大野君経由ですし、その私はそんな姉経由と言えるかもしれません。

いったいどのような縁で、何かを好きになるかは分からない事ですよね。

 

でも私はどちらかと言うと、姉に引っ張られたような感じがしていて、NHKなどで少々の予習をしてきた姉などと違って全くの白紙で見ました。

それはそれでも面白い思うのですが、ところどころで姉の解説が入り、またそれが面白さを増したように感じました。

 

そして翌々日に「行ったよ。」という話をお仕事仲間に話したところ、

「あの絵のどこが言い訳?」とその人気ぶりに驚く彼女は、その疑問を投げかけてきました。

 

それで私は、自分の思うままの感想を言いました。

「彼の絵は見る事によって、何かを学んだなと言う気持ちになりましたよ。詳しく言うと、それは『何かを成し遂げたり仕上げる事にコツコツは重要。創意工夫は常に大事。そして観る者の気持ちに寄り添っている。』と言う所かしら。」と。

「ふーん。なるほど。」と彼女は言いました。

もちろんこれから書くような事を加えて、もう少しは詳しくお伝えしたわけですが。

 

コツコツー。

 

  

彼の絵は、本当に細かくてその細部を見ようとするだけで引き込まれました。(このブログ記事内の画像は、一筆箋、絵葉書、チラシなどを撮影しています。)

 

創意工夫ー。

姉の解説によれば

 もみじの葉の色が濃いものや薄いものがあって、それは裏から同じ絵を貼ってある部分とない部分があるからなのですって。

 買ってきたファイルです。

目玉でもある鳳凰図。この絵には金色は使われていなくて、裏から黄色を張ってあるのだそうです。〈間違えている部分があったら教えてくださいね。〉

このファイルにはその部分が写っていないのですが、尾の部分がくるくると踊っているのも、凄く素敵なんですよね~。

 

観る者の気持ちに寄り添うー。

 これはチラシを写したものなので、見づらいと思いますが、「果蔬涅槃図」です。

私はこの絵を、何も解説を聞かずにパッと見た時には、ユーモアのある漫画のような絵だと思いました。だけど借りた音声ガイドで横たわっている大根が釈迦で、周りにある野菜は嘆き悲しむ弟子たちを描いた涅槃図である事が分かりました。詳しい事までは覚えていませんが、この絵は亡くなった家族のための供養に描かれた曼荼羅です。

若冲の生家は青物問屋です。彼らの生を支えてきたお野菜たち。彼や彼の先祖、または家族にとって、大根はただの大根ではないのだと、私はしみじみと思いました。

この絵を見た彼の家族はお墓の中でお休みしている先祖の魂も含めてさぞや嬉しかっただろうなと、私は思いました。

 

私の好きな絵はー。

 良いですよね。 月に梅。後、雪の絵も好きだなと思いました。

最後にお土産のお話です。

 

絵葉書も素敵でしたが、一筆箋は、若冲の絵が30パターンでそれ×2。

大事に使おうと思いました。

(今回は、ファイル・絵葉書セット・一筆箋です。)

 

でもなんだかんだと言っても、絵画に理屈は無用ですよね。

今回の目玉のひとつ、釈迦三尊像の衣服の色合いはポップで可愛いなと思ったり(不謹慎?)、動植綵絵の30幅の迫力と美しさに酔いしれました。

 

後、もう一つの私のツボ作品。

 この象さん、かわいい♪  好きっ!

(この画像だけはHPからお借りしました。)

お借りついでに

 やっぱり、尾の踊るくるくると可愛いハートは切っちゃいけないと、私は思いますよ^^

美術館のHP→ここ

もう少し詳しい「若冲展」のHP→ここ

 

 

 

 

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5月16日は、

2016-05-17 23:58:05 | 梢は歌う(日記)

流れ的に言えば「若冲展」の感想を書きそうなものですが、その前に5月16日の日の日記を書きたいと思います。(告別式の事に触れていますが詳しく書いたものではありません。すみません。)

 

この日、私は日中ほとんど…いえ、まったくテレビを点けませんでした。

こう書くと、きっとこの人は悲しい映像を見る事を避けたのかと優しいお気持ちで思ってくださる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はそうではありません。この昼間テレビを点けないのは、この数か月の私の習慣なのです。

この習慣ゆえに、タイムリーで流された蜷川さんの告別式の様子を見る事もなかったのです。

夕方、ツイッターにてその事を知りました。

「ああ、そうだったか。」とは思いましたが、知っていてもテレビを点けたかどうかわからない事だなと、私は思いました。

やはり一人で、それもテレビで告別式を見ると言う事を、私はしようとしたかなと言うような気持ちがしたからです。

その後夫が帰って来ると、夫=テレビなので、すぐにテレビが付きました。すると夕方のニュース番組で藤原竜也さんの弔事が流れてきました。私はその時、夕方からの仕事の為に急いで夕食の準備をしていた所でした。だから包丁を持ってネギを刻みながら、背中で彼の言葉を聞いていました。

だけど包丁を持ったまま、リビングにフラフラとやって来て、私は思わず言いました。

「泣ける~。」

すると夫は振り向きもせず

「だなあ。」と一言しみじみと言いました。

 

心は多角経営。

悲しいと思いつつ、私はなぜか夫の一言が嬉しくも感じたのでした。

 

夕食を作り終えると、私は急いで夜のお仕事に(注:お水の花道ではありません。)。

その日の9時半になる前に、茨城を震源地とした大きな地震がありました。

お仕事の場所で

「あっ、地震だね。」とある人が言い、言ったとたんにさらに大きく揺れ始めました。

既に揺れているのに、スマホの警報が鳴りました。

あの「ぎゅう―んぎゅーん」と言う警報の音は、恐怖心を増す嫌な音ですよね。

同じくバイトをしている大学生の女性が、すこぶる冷静に扉を開け落下物に気を付けるようにみんなに声をかけていて、その時は何も思いませんでしたが、後になって冷静になると、その人はなんて素晴らしい人なんだろうとしみじみと感心してしまいました。

それに比べて、私なんかは

「ちょっと怖いですね~。」などと言い、もしかしたら一番動揺していたのではないかと情けなく思いました。

地震はいつ来ても怖いものですが、やはり外にいる時に来ると、不安も大きく感じるものだなと思いました。

 

家に帰ってからも、その地震の話になりましたが、猫のもも吉は全く動じていなかった模様。ただあんずはとっても不安がっていたみたいで、抱いてあげたら、ようやくホッとしたみたいだと夫が言いました。

子はかすがいと申しますが、飼い猫なども十分にその役目を果たしていると思います。

 

5月15日、じっとカレンダーを見ていて、その日は藤原竜也さんの誕生日だなと気が付きましたが、ふともう一つの事にも気がついたのです。

「パパさん。知ってますかね。明日は結婚記念日なんですよ。」

すると夫はわざわざあんずを抱いて言いました。

「にゃんと結婚記念日なんですってよ~、あんずちゃん」と。

うちら夫婦は、この結婚記念日にはかなり鈍感です。

たぶん、二人とも「この人と結婚できて、チョー幸せ。」なんて思ってないからだと思います。別に違う人と結婚したかったと言うわけではなくて、これもたぶんですが「自分と結婚できて良かっただろー。」ぐらいにお互い思ってるんですよ。

別な言い方をすれば、似たもの夫婦なのかも知れません。

それで私も言いました。

「あんずちゃん、あのね。世の中には腐れ縁と言う縁があるんだよ。」ってね。

「しかし、その腐れ縁…何年になる・・・・えっ、35年か。えーっ、35年.なんか、『腐れ縁』の一言で終わっていいのかいな。」って言ったのは、もちろん私です。

 

そんな「腐れ縁35周年」は、朝一番で歯医者、その後引きこもり、夕方泣いて、夜は地震で震えると言う一日でした。

 

だけど、数字と言う物は不思議なもので、これが34でも36でも、たぶん何も拘らなかったと思うのですが、35と言う数字だとこのままではいけないような気がしてしまったのです。

それで一日遅れで買ってまいりました。

ささやかながらケーキです。

結構おいしい・・・・・。

そこで夫が一言。

「あんずや、ホラお前の誕生日ケーキだって。」

 

・・・・・だからさっ、違うって!!!!

 


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若冲地獄

2016-05-16 00:39:43 | お出掛け日記

5月12日の木曜日、上野の東京都美術館で開催されている「生誕300年記念若冲展」に行ってまいりました。

この記事は、その展覧会の感想ではなく、美術館の中に入るまでの顛末記です。

 

はっきり言って、「えれえこった。」でした。

あなどっちゃあいけませんて、若冲人気。

 

それにくわえてですね。

数日たつと、過去の些細な出来事などお忘れかと思いますが、12日の朝は川崎周辺で変電所で異変が起き、その影響でJRの運行に大きな影響が出ました。数字で言うと24万人の人の足に影響が出たらしいです。普段はその時間には家にいる私たち。よりによってその日はその数字の中に含まれてしまいました。 (そのニュース記事は→こちらです。

なんと言っても若冲さんは人気があるらしいと聞いたので、美術館が開く30分前に上野で待ち合わせをしたのです。家を8時ちょっと前に出ても普段は私の方のバスの遅れ具合が、待ち合わせに少々の影響を与えてしまう事が多いのですが、その日はまあまあの時間にやって来たので、最初の電車に乗った時に

「まあまあ順調です。」とメールを送りました。

姉からすぐに返事が来ません。

おかしいなあと思っていたら、私も次の電車がほんの少し遅れている事に気が付きました。

その時メールが返ってきました。

「川崎手前で電車が止まった。通勤時間帯なので電車の中はぎゅうぎゅうだ。」

 

大変です。ぎゅうぎゅうの電車の中にいるのに、その電車が川崎駅に着く前の途中で止まってしまっている事が分かりました。

私の乗っていた電車の電光掲示板には「川崎の停電の影響で南武線・東海道線・京浜東北は運転見合わせ中」と流れてきました。

しばらくすると

「先に着いたら、チケット買っておいて。」とメールが来ました。

―今日は止めようと言うわけじゃないんだな・・・・・。

 

予測不能のアクシデントが起きてしまっても、ずっと行きたかった若冲鑑賞の予定は決行と言うわけです。

この若冲に絶対に行こうと言っていたのは、姉の方だったのです。ひとたびその魅力に取り込まれたら、落ちていくしかない蟻地獄のような若冲地獄なのかも知れません。

アクシデントでなんだか落ち着かないJRの運行。

だからなのか日暮里に着いた時に、上野で緊急停止ボタンが押されたとかで、私の乗っている電車も8分遅れになってしまいました。でも、もうどんなに遅れても、姉は未だに川崎手前の電車の中にいるのですから焦る必要はないのです。

 

上野駅に着いて駅ナカのチケット売り場の方向に向かうと、そこでいかに私たちの考えが甘かったことに気が付きました。8分遅れと言っても、美術館が開くまでには20分はあるわけです。

ですが既に駅ナカのチケット売り場で長蛇の列をなしているのです。いやな予感がしました。

 

 

でもここでは30分は並ばなかったと思います。この頃ようやく姉の乗っている電車はのろのろ動き出したようです。

 

じゃあ、姉が来るまで上野の動物園前に出来たスタバにでもコーヒーでも飲もうと思ったら、そこも外に人が溢れていてそんな気も失せました。

 

 ちょっと周辺を軽くお散歩をしながら時間を潰します。

ふと美術館の方に目が行くと・・・・・・

なんと傘の花が満開に咲いているではないですか。

そして美術館の人の

「三時間待ちでーす。」という声が耳に入ってきました。

傘と言うのは日傘の事です。

 

気持ちは一気に暗くなりました。

 

たしか昨年のGWにラッタ・ルートで行った鳥獣戯画展もなんだかんだと3時間待ちだったのです。でもそれは5月3日と言う日で11時スタートで、3時間待ちも仕方がないと思いっての行動だったのです。今回は平日の朝からの早いスタートだったのですよ。もしも姉とちゃんと合流で来ていたとしても、3時間待ちの運命から逃れられなかったのです。

 

  

 

空は青く緑キラキラ。

いつもは噴水が出ているシーンしか見たことの無い池だけが静まり返っていて、どこもかしこも人だらけの上野の山でした。

そうこうしているうちに、ようやく姉がやって来ました。待ち合せの9時から1時間半遅れ。だけど思っていたよりも早かったです。

 

「今から三時間待ちだって。すぐに並ぶこと出来る?」と聞くと

「やっぱりちょっと座って水分補給とかしたいかな~。」と姉。

それはそうですよ。

 

これが私と姉が逆の立場だったら、もう止めたいと思ってしまったかもしれません。

私は、高い所も尖がってる物も苦手ですが、狭い所もダメ。電車などは狭い所ではありませんが、ぎゅうぎゅうの状態ででいきなり動かなくなってしまったら、それは閉じ込められてしまったのと同じような感覚になってしまって、息苦しくなったり動悸が激しくなってしまうかもしれません。その状態で1時間なんて恐ろしい事です。

それにトイレに行きたくなってしまうのではないかと言う恐れもあるじゃないですか。

姉は頑張ったなあと私は思いました。

 

気持ちを切り替える意味もあるし、今から三時間後の入場でその後にランチではいつになるのか分からないので、先に食事をしてしまう事にしましたが、ランチ時間には早すぎてデザートプレートでカロリー補給をする事にしました。

 

 糖分もばっちり投入された体は気力も取り戻し、いざ出陣です。

 

係の人は同じく「三時間待ちでーす。」と言っていましたが、列はさらに伸びていました。美術館の外で折り返しの列になっていました。

この外の列が一体どこまで伸びているんだと言うくらい長かったです。

確かに「鳥獣戯画展」でも3時間は並びましたが、敷地内で90分館の中で90分、給水サービスなどもちゃんとしていてあまり辛くはなかったのでしたが、こちらは敷地外はただひたすら並ぶだけです。

だけど、女二人の待ち時間はずっとおしゃべりで退屈知らずと言うものですよ。

 

姉と二人でドラマの話などお気楽な話を延々としていました。

そして並んでいるうちに前後左右にいる方々が同志にさえ見えてきました。

ちょっとおしゃべりなどの交流もあったりしました。

それこそほんのわずかな触れ合いと言えるかもしれませんね、

 

でも近くで並んでいた人の中には具合の悪くなってしまった方もいらしたみたいです。

 

会期が後わずかな「若冲展」です。

平日であっても同じような混雑は予想されます。これから行かれる方は、お天気にもよりますが、5月の日差しは意外ときついものがあります。日傘や濡れタオル、それに水分を補給できるものは必ずお持ちになった方が良いですよ。着いた早々並ぶなら立ちながら食べる事が出来る軽食もあった方が良いかもしれません。

 

あともう少しと言う時に写真を撮りました。

 

 

けっきょく11時から並び始めて、入場は2時でした。

出てきたのは確か3時半ごろだったか。

その時は、すでに外には折り返しの列は無く、係の人も

「2時間待ちでーす。」と言っていました。

でも入場できるのは5時までで閉室は5時半です。

「良くお考えになってからお並びくださーい。」という声も聞こえてきました。

 

 帰りに写した外の行列。

 

中はかなりの見応えがありますよ。少し人が引くかなと午後からというのはかなりの危険じゃないかと思いました。

 

あんなにおしゃべりしたのに、翌日も姉と電話しました。

「いろいろと大変だったけれど、かえって楽しさが増したような気がした一日だったね。」と姉は言いました。

 

そうですよ、あれです。

「逆に、楽しい。」と言うアレです。

 

 

ところで中でのささやかな触れ合いのお話を一つだけさせてくださいね。

外がこんな状態なので、中に入っても人は溢れ、時には人の陰の前後を体を右左に振って絵を観なければなりません。それで

「右と左に分かれてしまった絵のパーツを、頭の中で接続しなくちゃいけないなあ。」と思わず呟いてしまいました。

すると前にいた人が(簡単には退けない状態。)、体を斜めにして

「この角度から一気見して。」と言ってくれたのです。

普通に立っているだけで、どれだけの人とぶつかったかというような会場の中で、そんな譲り合いって素敵な事と思いませんか。

 

この記事を書くのに、ちょっとだけ時間確認で検索しました。

それで知ったのですが、同じ12日の日の夜、皇太子夫婦が鑑賞に訪れたみたいです。

まあ、同じ日に行かれて光栄だわ…なんて気持ちにはもちろんまったくなりませんが(意外にも皇室好きなんだけれど、私)、人の頭越しに絵を見るなんて事は絶対にないんだろうなって、その時のニュース画像を見て思いました。

つまりこの方々には「逆に楽しい。」と言う言葉って、きっと理解できないに違いないと思ったのでした。

 

まあ、とにかく「若冲展」は5月24日までです。

あっ、そうそう。18日の水曜日は65歳以上の方は無料ですよ。

つまり64歳以下の方は行かない方が無難と言うことかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

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7月は「そして、誰もいなくなった」、そして

2016-05-15 15:08:56 | テレビ・ラジオ

そして、今日は藤原竜也さんの誕生日ですね。

いつもはあまり頭に入っていなくて、後から、「あっ、そう言えばそうだった。」程度の私なのですが、何しろ蜷川さんの訃報を受けて、じぃぃぃっとカレンダーを見つめていたので、

「5月15日、ああ、誕生日なんだなあ・・・」としみじみとした気持ちになってしまいました。

 

この「そう言えばそうだった程度の私」と言うのは、ファンとしてはあるまじきことのような気もしますが(^_^;)

 

ひとつ前の記事で「巡り合わせ」と言うお言葉を、コメントにて頂きました。その言葉にうなずく私。

私は彼らと同じ時代の船に乗り多くの素敵なお芝居を見させて頂きました。

竜也さんと蜷川さんは、また同じ小舟にも乗って同じ川の激流を超えて行ったのです。演劇の世界の親だった蜷川さんは、竜也さんの誕生日の近くにそっと逝き、それは家族以外の方がこの日にちの記憶があいまいになっても、彼だけは忘れられないのではないでしょうか。忘れられない事によって、ずっと彼の魂が愛弟子を見守ることを約束したのかと思うのは、もちろん私の考え過ぎなのだと思います。

今日は竜也さんの誕生日、そして蜷川さんのお通夜が行われる日だそうです。

 

ツイッターでは開くと、閉じてあった間に流れた私に関係がありそうなツイートが選ばれて流れてきます。だから12日の夕方、私は蜷川さんの訃報と竜也さんの新ドラマ情報を同時に知ったのでした。

今日は彼の誕生日なので、彼の新ドラマの情報を載せておきますね。

12日に流れてきた情報を今頃載せるわけですから、

「遅い!!!」ってなもんですが、いやいや、知らない方もきっと居るかも知れませんからね。

 

新ドラマは「そして、誰もいなくなった」。

アガサとは関係がないみたい。だけど超本格サスペンスですって。

嫌だなあ。なんかドキドキしそう。

あっ、嫌なら見なきゃいいじゃんって言わないでくださいね。

ドキドキしても、絶対に見ますからね。

「最高に最悪なドン底の主人公」って、、、、、、、

またか~!!!

「登場人物が全員容疑者」

じゃあ、玉鉄も、黒木瞳さんも怪しいって事なの?

 

と、一人で盛り上がっていますが、このドラマのHPは→こちらです。

「ゆとりですがなにか」の後番組のようです。

 

百合根キャップと赤城さんとの交代ですね。(ああ、「ST」またやらないかなあ…思わずぼそっと-・)

 

― 藤原竜也さま

34歳の青年としてまた演劇人として、この一年に良き縁とたくさん出会い素晴らしい年になることを願っています。

おめでとうございます。- 

 


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ありがとうございます、蜷川さんー。

2016-05-14 16:15:40 | 同じ時代の船に乗る

5月12日、一日お出掛けをしていて夕方帰宅しました。

お出掛け日記を書こうとPCを開けても、とりあえずツイッターでなんとなく世間の風を知ると言うのは日課です。

そこに流れてきた蜷川幸雄氏の訃報。

年齢だってお若くはないし近頃大病も患ったわけですし、いつかはその日が遠からず来るだろうとは失礼ながら思っていました。

でも・・・・・ショックでした。

ひたすらショック・・・・・。

言葉を失いました。

 

蜷川幸雄氏演出のお芝居は、多くは藤原竜也さんが出演されているモノを見に行くことが多かったのですが、ちょっと贅沢に月一でお芝居を見に行こうと演劇鑑賞に嵌っていた2009年に1本だけ、竜也さんが出ていないお芝居を観ました。

それはやはり5月にコクーンで見た「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」です。(感想はタイトルにリンクしています。)

それまでは、いつも蜷川さんは藤原竜也さんと一緒のカッコにくくっていたような気がしますが、このお芝居を見る事によってそのカッコを外すことが出来たように思います。そこに出演していた主演の人たちはもともと大好きな人たちでしたが、このお芝居から司会がすこぶる上手だなと思っているウエンツ君が、芝居上手な役者さんになった日でもありました。

いろいろな演劇人が、蜷川さんと関わりあって、そして大いなる影響を受けていたのだと思います。

その方々も本当にショックな事だと思います。たまたまアメブロで読者になっている内田滋さんのブログにも、その事が載っていました。

ここです。

 

たくさん観に行ってると言うわけではありませんが、お芝居が大好きです。

 

素晴らしいお芝居を世に送り出し続けてくださって、本当にありがとう。

少し老いた方々にも演劇を通して夢を与えてくれてありがとう。

次代を担う若い人たちを育成してくれてありがとう。

シェークスピアを身近なお芝居にしてくださってありがとう。

きっと多くの人たちが「ありがとう。」って言ったよね。

 

そして私の幸せの大事なピースの一つは藤原竜也を好きだと言う事。

その彼を見い出し育ててくださって、本当にありがとうございました。

 

 

私、

下の記事を読んで、ちょっと泣けました。

愛弟子・藤原竜也が追悼コメント「僕を生んでくれたのは蜷川さん」

>事務所によると、亡くなる前日の11日、入院先の病院を見舞った。急に仕事がオフになったため訪ねることできたという。蜷川さんが自らの最期を悟り、自然と呼び寄せたのか。藤原は恩師の手を握り、感謝の気持ちを伝えた。

「急に仕事がオフ・・・・」

そして亡くなる前日に会えるなんて・・・・・やっぱりさ、見えない糸ってあるよね。

 

その竜也さんのコメント。

>「最期に会えて良かったです。僕を生んでくれたのは蜷川さんです。たくさんの演劇人生をありがとうございました。真面目に突き進んでいきます」

 

2015年「ハムレット」の感想の中で、こう書かせていただきました。

「人の命には限りあり。

そしてその命の消え入る時まで本当に生きていられる人はまた限られていると思うのです。

「ハムレット」は心に残るいい作品でした。

だけれどもしも演劇の神がいるならば、決して満足などしないと思います。そしてまだまだ地上にとどまってある男に仕事を続けろと言うに違いないと、ふとそのお芝居を見ていて思ったのでした。」

 

「ある男」と言うのはもちろん蜷川幸雄氏の事です。地上に留まりて仕事をし続けることは出来なくなってしまいましたが、竜也さんのコメントを読んで、私は思いました。

命の灯が消えた後も、その火が消えずに多くの人の心のみならず未来の仕事に灯っていく人は稀なる幸の人なのだとー。

 

どうぞ安らかにお眠りください。

 

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帰り道

2016-05-12 00:02:09 | お散歩&写真日記

GWの前半に近所のちょっと大きな公園に散歩に行きました。その時にたくさん撮ってきた写真に

その散歩をしながらいろいろ思った事を書かせていただきました。(「ひとりでお散歩」など)

 

その公園からの帰り道の道端の花たちです。

上の花は野の花と言うのではないと思います。

自分の庭とそうでない所の土の有る所、区別なく有効利用する方が多いのも田舎だからなのでしょうか。

綺麗なので、道を歩くものとしてはすこぶるありがたい事です。

どんなに綺麗だなと思っても、よそ様の庭には断りなくカメラはむけられません。

道端だからこそ遠慮なく出来ると言うものですね。

 

野の花だって負けてはいない可愛らしさです。

 

 

 

東武野田線(今は東武アーバンパークライン)の沿線の駅名に「藤の牛島」と言う所があって、私がこの千葉県の東葛地域に嫁いで来た頃から気になっていました。気になりながら、何年もと言うより何十年も行く機会がなかったのです。

「藤の牛島」には樹齢が古い有名な藤の木があるのだそうです。

それで私が、この連休中に一人で行ってくると言うと、夫が藤なら家の前の公園にも咲いていると言ったのでした。

 

そう言えば、家の前の公園に藤棚があるのは知っていましたが、そこに咲いている藤の花を見たことがありませんでした。

昨日今日ここに引っ越してきたわけでもなく、私はこの場所ですでに20年近く暮らしているのです。

 

目の前の公園には真夏の早朝や秋の日には訪れる事も多いのです。

緑の多い公園ですっと伸びた木々を見るのが好きです。

でもこれと言った花も見当たらず、他の季節に足を向けた事がなかったのかも知れません。

 

ちっぽけな公園の藤棚です。

でも良い香り。

強い風が吹いていました。

 

風に吹かれるさまが美しかったです。

 

けっきょく今年は他の用事があったり微熱などを出したせいで、またも牛島の藤を見る事は先送りになってしまいました。

また来年のお楽しみと言う事で良いかもです。

 

 

マンションの敷地内にも花がたくさん植えられています。

これはその花のひとつです。

ボランティアの方が花壇のみばかりでなく痩せた土の所にも手を加えて咲かせてくれているのです。

 

ありがとう。

いつも癒されています。

 

そして

ただいま~。

 

おかえり~。

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『精霊の守り人』

2016-05-11 15:11:17 | ユーモレスクを聴きながら(book)

【夏休みの宿題には何のお役にも立たない感想を書きます。】

 

「精霊の守り人」の原作は、ドラマを見てから読もうと決めていました。先に原作を知っていて自分なりのイメージで世界観を作ってしまうと、ドラマとその自分との世界観とのギャップは必ず生まれ、その比較と言うのが私の場合はですがドラマポイントになってしまう事もあるからです。その比較と言うのが楽しい場合もあるのですが。

今回はドラマを見る事をメインで楽しみたいと思っていたので、後から読むと言う選択をしました。

ではドラマ後に読んで比較をしないのかと言うと、それでもやはり普通はしますよね。

でも大概の場合は、物語の世界が自分の想像力も手伝って広がる場合も多いし、心情的に理解できなかった部分も補完してくれるので後から読むのは楽な事だなと思いました。なんたってイメージを最初から自分で作っていないわけですから。

 

原作をこよなく愛していた人には少々の不満があったのは、ドラマがその作り上げていた自分世界のワクワクするような冒険譚に満たなかったと言う事なのかも知れません。

 

だけどキャストのドラマイメージで読み進めている私には、何の遜色もなく、「ドラマは良く出来ていたな。」と思うばかりです。

〈あなたは浅いのよと言われれば、そうなのかも知れませんが。〉

 

なのでドラマ感想が=本の感想に近いです。

それでも少々、本を読んだ後の補足もしくは比較感想を付け足しておきます。

 

優しくてだけど本当は強いダンダ。

孤独に戦い続けるバルサをどれだけ助け支えているのかが強く伝わってきました。彼女の気持ちに寄り添って、じっと共に同じ時間を共有できる日を待っているのです。

ドラマ的な見せ場の為に、ダンダの活躍がバルサに行ってしまっていたんだなと言うシーンもありました。ダンダは重要なシーンでドラマより活躍するのです。

この男らしいダンダがいるから、誰よりも強いバルサだけれど女性である魅力が引き立っていると思いました。

ドラマでは「復讐」の気持ちが強く滲み出ていましたが、この「精霊の守り人」だけだと、復讐よりも父親代わりだったジグロの為に8人の人を助けると言う難しい誓いの方が前面に出ていて、バルサの魅力が増していました。

 

さてやっぱり気になる帝ですが、私はこの役に藤原竜也をキャスティングしたのは、どうだったのだろうかと思ってしまいました。(悪い意味ではありません。)

本の中では5ぐらいの登場人物をその倍ぐらいの重要人物に押し上げてしまったように感じました。とてもじゃないけれど、本の感想を帝視点で書けと言われても書けるものではありません。

確かに王宮の存続を守るために子殺しを命じる非情な帝ですが、ほとんどが聖道師が背後で糸を引いてるわけですし、建国神話で神のように崇められている帝は民にとっては絶対なる者なのでした。

誰がそのシステムの礎を作ったかなども本来は関係なく、そう言う政治システムは「カリスマ性政治」と言って、帝に本当に神の力があるのか否かなんて事は関係がない事なんですよね。

ドラマの中で戻って来たチャグムに「良く戻って来た。」と嬉しそうに優しく声を掛けたのは、怪しい音楽に惑わされたけれど、あれはやっぱり本心だったのだと思いました。

 

面白かったのでこのシリーズは、来年の次作を待たずに読み進めようと思います。

先に読み進めて、来年、ドラマの感想をブーブーいう可能性があるかもしれませんが、ドラマも好きだったので、それはどうかなと言う所です。

あっ、そうそう。

実は本を読んで、イメージ修正がありました。それはチャグム。彼はもうちょっとドラマよりは年上の少年のような気がしました。

 

 

 あっという間に読めるので、夏休みの読書感想文などにどうぞ。

             ↓

 

精霊の守り人 (偕成社ワンダーランド)
二木 真希子
偕成社
精霊の守り人 (新潮文庫)
上橋 菜穂子
新潮社

 

関連記事

精霊の守り人/第一回「女用心棒バルサ」

精霊の守り人/第二回「王子に宿りしもの」

精霊の守り人/第三回「冬ごもりの誓い」

精霊の守り人第四回/「決戦のとき」


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5月の水辺の風景

2016-05-10 12:01:24 | お散歩&写真日記

連休中に散歩した写真日記の続きです。

連休の毎日、この公園ではバーべキュウなどを楽しむ人で溢れていました。若い人のお仲間たちや、家族連れ。皆楽しそう。

そっとその上空では、何か良い事がないかとじっとしている陰もあり・・・・

 

 

バーべキュウ広場には人が溢れていても、こちらの大きな池のほとりには誰もいません。

あるのは光煌めく水面とひっそりと咲く花たちだけです。

 

 

 

 

 

ここ数年私は、失ったものばかりを数えてきたような気がします。

去って行った友達や、かけがえのない家族の時間とか。

失ってしまった健康とかも。

変化は常ならむ。

そう思ってはいても、気持ちが追い付いて行かない私。

 

 

どうしてそうなってしまったのだろう。

何を間違えてしまったのだろうか。

答えなどないのにそう自問を繰り返すー。

 

いいえ、答えは本当にないのでしょうか。

 

 

花との出会いも一期一会。

多くの人と絡み合い触れ合って、それはずっと続くように見えたりもするけれど、やっぱり変化していくことは否めません。

家族であってもです。

出会えたことに感謝しよう、私。

 

 

隆起した木の根。

気持ち悪いと言えば、気持ち悪い。

でもまるで野の仏のようにも見えなくはないですね。

 

 

【新緑の中を歩きながら、私は何を想う・・・】

「ひとりでお散歩、その4」でした。

 

「ひとりでお散歩」って書いているけれど、たいがい散歩って一人じゃないのかと、「その4」まで書いて気がついたが、気が付かなかった事にしようと思っている「今」です。

コメント (6)
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「母の日」に。

2016-05-09 00:28:26 | 梢は歌う(日記)

ここ数日、ブログ更新をしなかったのは、なんとなく先に貼っておいた、この数枚の画像にどんな言葉を付けたらいいのか迷っていたからです。そんな事で止まるのかと言われればその通りなのですが、自分で設けてしまったハードルは小さくても越えなくてはいけないような気がします。一つずつ越えなくては、何も前へは進めないものなんですね。

 

「つつじ祭り」などが始まる今の季節は、本当につつじの花が綺麗な季節です。でもそんな「つつじ祭り」などと言う所に出かけて行かなければ、あちらこちらの庭先や生垣、または街路樹のように道を彩っているこの花をそんなには注目して見る事はないんじゃないかしら。

 

この平凡な花に、どんな言葉を付けたらいいのだろうかー。

何も閃かずに時が過ぎていきました。

 

なんともつつじに対して失礼な事ですね。

カメラを向けて写真を撮っていること自体、実はこの花が好きだと言う証だったのに。

家の近くに立派に咲いている花をしっかり見ると言う事も、素敵な事なのですよね。

 

 

 

 

 

ところでトップ画像の東屋は、いつも素敵な雰囲気を醸し出しているような気がして好きな所です。

 

「あずまやで  待っていてねと 文渡す 白きブラウス 初夏の風受け 」

 

最初はそんな歌を思いついたのですが、この画像を見ていたらそうじゃないなと言う気がしてきました。

 

そこにはゆっくりと時を刻んだ二人の人が向き合って座っているような気がしたのです。

そういうのって、いわば心象風景って言うのでしょうか。

それとも、実際に中にいたのは老いた人々で、それを私は何気なく見ていたのでしょうか。

 

 

ここ数日体調が思わしくなく、いろいろと持病を持っているもので、金曜日の夜はとうとう血尿が出てしまいました。

土曜日の朝一で病院に行きお薬を貰って飲み始めましたが、病院で待っている間に喉も痛くなり、風邪薬も一緒に飲むことになりました。

ひたすらだるくて起きたり寝たりを繰り返していましたが、寝ている間に夫が放置してあったキッチンのお片付けをすべてやっておいてくれました。

「母の日だからね。」と夫は言い、

「何かが違うような気がする。」と私は言い、だけど本当に私は嬉しかったのです。

 

最近ちょっとギスギスしていたかもしれません。

でも優しくされると人にも優しくなれると言うもの。

明日からまた頑張ろうー。

 

病気だったけれど、5月8日の「母の日」は、私的には良い1日となりました。

サンクス。

 

 

 

 

 

コメント (10)
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