(岡崎市昭和町)
池端村は古矢作川分流の名残、妙覚池ほとりの自然堤防上に形成された村である。
村西部に天満宮、秋葉神社が鎮座する。
慶安二年(1649)の干拓により池は無くなったが、地名は残された。
然し、明治22年(1889)合併により中郷村となり池端村は消滅した。
字高畑の「池端古城」は弓削氏流族上野氏裔とも、小笠原氏裔ともいわれる、足利氏臣後に松平氏臣となった長坂守重居城という。
現在は畑地、宅地となっている。

字神郷の「池端城」は「池端古城」の西側に位置し、長坂氏同族の平岩光吉が居城した。
「池端平岩光吉畠地寄進状」には、明眼寺(後の妙源寺)に畠地を寄進するとあり、「天文参年申午八月九日 池端左京進光吉」とある。
現在は宅地となり、面影はない。
池端村は古矢作川分流の名残、妙覚池ほとりの自然堤防上に形成された村である。
村西部に天満宮、秋葉神社が鎮座する。
慶安二年(1649)の干拓により池は無くなったが、地名は残された。
然し、明治22年(1889)合併により中郷村となり池端村は消滅した。
字高畑の「池端古城」は弓削氏流族上野氏裔とも、小笠原氏裔ともいわれる、足利氏臣後に松平氏臣となった長坂守重居城という。
現在は畑地、宅地となっている。

字神郷の「池端城」は「池端古城」の西側に位置し、長坂氏同族の平岩光吉が居城した。
「池端平岩光吉畠地寄進状」には、明眼寺(後の妙源寺)に畠地を寄進するとあり、「天文参年申午八月九日 池端左京進光吉」とある。
現在は宅地となり、面影はない。
