flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

長山城

2007-02-24 00:30:20 | 城郭・城下町
(長山屋敷 豊川市下長山町)
 私が豊川の城屋敷跡をまわり始めた頃、市教委や郷土史家の方たちから「長山城、岩瀬雅楽助(うたのすけ)居城、天文元年築城、堀、土塁残る」をご教示いただいた。
上善寺南側、旧吉田往還南側(新道北側)の字北側にあって、宅地の裏、畑地のうち一部分残る堀と土塁の部分が藪地となっていた。
現在は東側にアパートが建ち、遺構も以前より小さくなっているが、土塁と堀の窪みが確認できる。
 長山城は、砦とも屋敷ともいい、三ヶ所の跡からなるといわれる。
享禄二年(1529)牛窪城を築城した直後の天文元年(1532)に長山城は築かれたといわれ、牧野氏臣である岩瀬氏定、氏則、山本市左衛門がそれぞれ居住といわれるが、築城者は明確ではない。
字中屋敷には、岩瀬氏屋敷跡に氏定(雅楽助)の墓所であるとされる「春光塚」があって、後に地主が堂宇を建て嘉竹居堂としたという。
 古来、苗字を持つ者は、遺体埋葬場所(最期の場所)~遥拝所(宝筐印塔・五輪塔=定期参拝)~位牌(日常参拝)があって、その習慣によるものであるのか、雅楽助の墓は牛久保光輝庵や下五井満光寺にありと、移転したのか複数あったのか、この点もはっきりとはしない。
 この他、寛文三年(1633)から元禄十年(1697)まで小笠原長定が知行した長山陣屋があったという。
  
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