flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

久保城

2007-12-10 00:00:15 | 城郭・城下町

(小代城 稲荷屋敷 愛知県岡崎市石原町)
 中金城の東、男川に沿った丘陵上に位置し、標高は約180mである。
昭和54年に訪れたとき、辺りは山林であったと思うが、現在次郭跡とされる場所は、自動車部品メーカーの研修所となっていて、それにあわせて城跡が整備され、史跡公園にもなっている。これは平成15年に造られたものである。
   
 郭は地形に合わせて階段上に配し、主郭跡には模擬櫓が造られている。主郭背後は土塁を配し、その向こうは堀切となっていて、堀切の男川側には石積みがみられる。現在、整備された城跡にある石垣は、その整備の際積まれたものであるが、堀切横の石積みは以前からのものであり、昭和53年調査の「額田町中世・近世城郭調査表」には、これを石垣としている。然し、この地域特有の「猪垣」の可能性もあり、判断は難しい。
  
 久保城は、永正初年(1504-)頃、奥平貞昌によって築かれた。
元亀元年(1570)武田勢に攻められた奥平氏一族が、「久保の密談」を行い、奥平貞勝が武田方に、その子貞能と孫信昌は徳川方に付くことを決めたという。また、額田郡誌には、「天正元年より武田家浦野源之亟を置く」という記述がある。
 天正十八年(1590)徳川家康の関東移封に伴い、廃城になったという。
また、城の南側の稲荷沢及び稲荷社を隔てて、奥平貞昌の創建という臨済宗月光山聞桂寺があったが、昭和10年(1935)男川対岸に移転している。

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