flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

北国街道 上田宿

2007-12-05 00:00:00 | 街道・宿場町

(長野県上田市)
 午前中の松本から、この地に差し掛かる。
当初、戸倉上山田地区を訪れる予定だったが、急遽変更し、この地に降り立った。故に事前の情報を用意しておらず、私の第六感アンテナを使って歩みを進めてみることにした。然し、この地は私の修行仲間の出身地でもあり、大方の地理歴史は理解していた。

 上田駅を降り、城跡の方向へと歩く…天神商店街を通り、間もなくして「長野行新幹線」高架下に建つ上田天満宮の小祀が目に入った。越後高田藩主が祀っていた天神を譲り受け、上田駅前に祀られたものであり、その後駅前整備でこの地に移転したのだという。
 
 この辺りは、城跡の案内板など全くなく、ただ意識する方位へ歩いていった。坂を上ると、上田城二の丸橋前に辿り着いた。橋を渡って城内に入り、すぐ呼び止められた。
「上田の観光についてお伺いしています」…ここでいろいろ質問をされた。
「実は、海野町商店街に何か見所をつくりたいと思いまして…」
私はその商店街を通ったことがないので、具体的にどのようなことを想定しているのか尋ねると、「近くに温泉地があるので、足湯とか…」
…それは容易に継続可能ですか?
この商店街の場所はどこですか?
「駅からお城へ行く途中で反対方向に向いて行ったところです」
…お城に来る観光客が通ってもらえないわけですね。でも、それをこっちに振り向かせても、風林火山で話題になっている上田城の旬が過ぎると、それも期待できませんね。それよりも、上田は街道が通っていませんでしたか?それを材料にするか、商店街の起点と終点に何か起爆剤のような施設を設けるか、誘致する。もしくは前後の商店街にも協力を得て、お客さんに通り抜けてもらって相乗効果を狙うか。東国から善光寺を経て北陸方面を結んでいた街道筋という周辺の通りとは違うことをアピールまたは視覚的に示したらどうか。あと近場の歴史や伝説等を探し、それに因んだ地までの道のりにする。などはいかがでしょう…と取りあえず申し上げておいた。
     (柳町)
 続いて山本鼎記念館、市立博物館、そして真田線の鉄路跡の散策後は、市立博物館で尋ねた、北国街道の町並み保存に頑張っているという柳町へ向かった。
この町は、まだ整備途中といった感じであったが、努力が感じられ、この一角を商業で盛んにするのか、単に町並み保存として進めていくのか、今後の動向が気になった。またここには「保命水」と呼ばれる清水があり、この町の水道というべき、大切な存在である旨を、自治会により紹介されていた。
  
 城下町故の曲がり角の多い街道を東へ向かうと、原町の上田宿問屋跡、そして先程の話にあった海野町商店街に差し掛かった。
現地を見てみると、自動車の通行も多いながら、地元民の通行も多かった。また、商店も端まで連なり、閉店しているような店舗も見受けられなかった。ただ、街道の面影は全くなく、その後拡幅されたであろう道幅と近代的な店舗、これでは風情で売り込むことは難しく、人通りの量で稼ぐしかないと感じた。地図上で見ると、商店街の終点東方で幾つかの役所、文化施設が固まっており、観光客よりは市民にとっての馴染みのある商店街なのだろうと思った。
 (海野町)
「真田坂」
 北国街道から分かれる松尾町商店街の活性化プロジェクトによって誕生した「真田坂」を下って駅へ。上田の商業が思いのほか振興しているのに比べ、信越本線との切り離しで衰退さと不便さを否めない、第3セクターしなの鉄道線に乗って、今夜の宿篠ノ井へ向かった。

コメント
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