(森城 愛知県安城市安城町 市指定史跡 1991年2月9日の日記から)
「安城」の所以でもある安祥城跡へは、昭和54年に訪れて以来、何度も訪れている。今月、歴史博物館が開館し、開館記念特別展「安城の文化財展」が催され、講演会も行われた。開館前より史跡公園であった城跡は、主郭跡に永正十年(1513)松平親忠が創建した浄土宗安祥山了雲院大乗寺(現在地へは寛政四年(1792)に移転)、次郭跡に八幡社が建ち、当地で行われた安城合戦で亡くなった姫を葬る、史跡安祥城姫塚がある。そして歴史博物館と同じくして、地域の公民館も別棟で設けられ、理想的な歴史文化広場が構成された。
(1983年撮影)
(1986年撮影)
(1991年撮影)
(2004年撮影)
安祥城は、永享十二年(1440)和田遠江守親平によって、それまでの「安城古城」から移り、「森城」として築いたのが始まりである。然し、文明三年(1471)松平信光が攻略し、親忠、長親、信忠、清康と続く安祥松平氏の城となった。
その後は今川氏や織田氏との戦いが5度にわたって繰り広げられ、天文十三年(1544)織田信秀が攻め入り、織田氏の城としている。(第二次安城合戦)そして織田氏は竹千代(後の家康)を人質にし、今度は今川氏が安祥城主織田信広を人質として和議を成立させ、竹千代と信広を人質交換している。その後「桶狭間」によって今川義元が討死し、清洲同盟が結ばれたことによって城の必要性が薄れ、永禄五年(1561)廃城となり、天正元年(1573)になって、破却されたという。
安祥城の北側には、天文十四年(1545)第三次安城合戦の際討死した、松平方の本多忠豊と、天文十八年(1549)第四次安城合戦で討死した、本多忠高の墓碑が建てられている。
この日はこの後、安城市場神、上条遺跡群、別郷廃寺跡等を巡った。
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