(愛知県豊橋市仁連木町)
明応二年(1493)田原城主戸田宗光によって、八名郡境に程近い、朝倉川河岸段丘上のこの地に城が築かれた。憲光、政光、康光、尭光と続き、天文十年(1541)宣光のとき、城郭の整備をし、天文二十二年(1553)東田八幡宮の社殿を造営している。その後、重貞、忠重と続き、天正十八年(1590)康長のとき、徳川家康の関東移封に伴い廃城となった。
現在城跡は、堀、土塁が残るが、主郭が歴史公園「大口公園」となり、次郭が仁連木老人福祉センターとなっている。また、次郭南側には、南郭、東郭が存在したが、現在は住宅地及び道路となっている。そして公園内最高所には、公園所以でもある初代豊橋市長大口喜六氏筆の城跡碑が建っている。
また、西方約100mには、関連城郭と考えられる薑郷城が存在する。更には、宗光が二連木城を築く際、南東隅を守る神として豊受姫命を祀った、「稲荷神社」が廃城後東郭跡に移転し、鎮座している。
明応二年(1493)田原城主戸田宗光によって、八名郡境に程近い、朝倉川河岸段丘上のこの地に城が築かれた。憲光、政光、康光、尭光と続き、天文十年(1541)宣光のとき、城郭の整備をし、天文二十二年(1553)東田八幡宮の社殿を造営している。その後、重貞、忠重と続き、天正十八年(1590)康長のとき、徳川家康の関東移封に伴い廃城となった。
現在城跡は、堀、土塁が残るが、主郭が歴史公園「大口公園」となり、次郭が仁連木老人福祉センターとなっている。また、次郭南側には、南郭、東郭が存在したが、現在は住宅地及び道路となっている。そして公園内最高所には、公園所以でもある初代豊橋市長大口喜六氏筆の城跡碑が建っている。
また、西方約100mには、関連城郭と考えられる薑郷城が存在する。更には、宗光が二連木城を築く際、南東隅を守る神として豊受姫命を祀った、「稲荷神社」が廃城後東郭跡に移転し、鎮座している。
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