flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

薑郷城

2008-02-05 00:00:44 | 城郭・城下町
(はじかみごうじょう 愛知県豊橋市仁連木町)
 朝倉川に面する段丘端に築かれた城であり、東方約100mには二連木城が存在する。二連木城に程近い城郭であることから、重臣の屋敷跡であると伝承され、年代も二連木城と同時期の明応二年(1493)から天正十八年(1590)の間に存在したものと考えられる。
 以前は一部の宅地を除き、城跡は竹薮に覆われていたが、現在は竹薮も無くなり、宅地化も進んで東側は草生地及び一部が駐車場となっている。城の範囲とみられる東側には、江戸時代以降の墓標が幾つかみられ、その横には土塁の痕跡のようなものがみられるが、これは下方の道路を開削した際の盛り土の一部なのか、明確ではない。また、付近が最近整地されたため、地面の凹凸も殆ど無くなっている。
 薑郷(はじかみごう)の地名に関しては、伊勢神宮領地一覧表である『神鳳鈔』には「外宮薑御園六石」とあり、伊勢神宮へ毎年六石貢納していた。また、『吾妻鏡』建久十年(1199)五月十六日条に、「今日以参河国薑御厨橋良御厨地頭職、令去進太神宮給、兵庫頭広元奉行之云々」とある。よって、神宮荘園であった地ということになる。また、「薑=はじかみ」とは、一般的に「生姜=しょうが」のことを差す。故に天文二十二年(1553)隣接する東田神明宮棟札には「渥美郡姜村」とあるが、永禄元年(1558)全久院文書今川氏寄進状には「参州橋上村」となっている。その後、永禄七年(1564)二連木城主戸田重貞領となり、このとき以降、村名として「はじかみ」の文字がみられなくなるため、二連木村に含まれていったとものと考えられる。因みに、明治10年(1877)『渥美郡第二部内神社誌』東田神明社所在地には、「東田村字姜郷」と記載されている。
 
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