(東田神明宮 愛知県豊橋市御園町)
明治10年(1877)旧渥美郡第二部内(現豊橋市内)の各社詳細をまとめた『渥美郡第二部内神社誌』及び明治8年(1875)『愛知縣第十五大区二小区神社境内其他什物取調書』の掲載神社は、部内最大である旧郷社、東田神明社から始まっている。
東田神明社は、延喜二年(902)に薑御園(はじかみみその=伊勢神宮領地荘園)の奉斎神社として創建したとされる。また、天文二十二年(1553)二連木城主戸田宣光が社殿の造営を行っている。
『愛知縣第十五大区二小区神社境内其他什物取調書』には、以下の記載がされている。
三河国渥美郡郷社仁連木村 神明宮 一、境内反別五反三畝九分、但無税地、内、壱反四畝八分三厘、現今境内、三反九畝分七厘、旧境内 一、立木五百四拾弐本、内、松八拾三本、内、四本内弐本枯木現今境内之分、但、長凡二間ヨリ語五間迄、廻リ二尺七寸ヨリ四尺八寸迄 七拾九本、旧境内之分、但、長凡二間ヨリ五間迄、廻リ壱尺ヨリ四尺迄 杉三本、内、壱本、現今境内之分、但、長凡三間半迄、廻リ四尺マデ 弐本、旧境内之分、但、長凡三間半迄、廻リ弐尺迄 檜四百弐拾本、内、弐拾六本、現今境内之分、但、長凡二百ヨリ五間迄、廻リ一尺ヨリ三尺迄 三百九拾四本旧境内之分、但、前同所 雑木三拾四本、内、拾弐本、現今境内之分、但、長凡壱間(ヨ)リ、廻り三間ヨリ二尺迄 弐拾弐本、旧境内之分、但、長凡壱間(ヨ)リ三間迄、廻り一尺ヨリ三尺マデ 一、境内建物、六ヶ所、此建坪、弐拾七坪、壱ト九厘 一、鏡、壱面、年月不詳、寄附氏子 一、幣、壱本、但、カ子、年月不詳、寄附氏子 一、頭、一、但、木製、年月不詳、寄附氏子 一、馬、壱疋、但、木製、右同所 一、戸張、壱張、但、赤地金襴、明治六年九月、寄附祠官祠掌 一、鉾、二本、但、カ子、年月不詳、寄附氏子 一、額、弐枚、内、壱枚二品、有栖川熾仁親王御深筆、明治七年九月寄附山本一房 一、幟、八本、内、六本、但、木綿、天明六年九月寄附氏子、天保八年九月寄附氏子、内弐本末社秋葉社ノ分、安政四年十一月寄附氏子、弐本、但、緋異呂腹、慶應三年九月寄附、東新町ヨリ 一、机、六脚、三脚年月不詳、三脚明治五年十二月 一、かう櫃、二、但、大小、小ノ方年月不詳氏子、大ノ方明治五年十一月寄附祠官祠掌 一、幕、壱對、内、壱對、紋付、明和元年寄附、仁連木村松坂重寛、斤、緋百布受、明治六年寄附、渥美郡二□□ 一、太鼓、一、年月ふ詳氏子 一、御神楽所用道具類 一、天冠、壱、安永九年九月寄附氏子 一、神鈴、壱、同 一、千早舞衣、壱、同 一、緋切袴、壱、同 一、白丁、三具、同 一、太鼓大小、二ッ壱附、同 一、笛、三本、同 一、幕、壱張、天保十一年九月寄附氏子
(境内詳細)
(境内図面)
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