(田尻八幡神社 岩田八幡宮 愛知県豊橋市中岩田一丁目)
明治10年(1877)旧渥美郡第二部内(現豊橋市内)の各社をまとめた『渥美郡第二部内神社誌』及び明治8年(1875)『愛知縣第十五大区二小区神社境内其他什物取調書』に掲載されている神社である。
岩田八幡神社は、正保四年(1647)吉田藩主小笠原忠知が、吉田城西側の吉田神社に祀られていた八幡社(誉田別尊=ホムタワケノミコト=応神天皇)を田尻村(後の岩田村)に遷宮し、建立したのが始まりという。その後、昭和24年になって、境内に豊岡中学校を開校することになり、八幡神社北東の字中郷中、琴平神社に合祀されたが、昭和36年に分祀復活し、琴平神社に隣接して社殿が建てられ、現在に至っている。
『愛知縣第十五大区二小区神社境内其他什物取調書』には、以下の記載がされている。
三河國渥美郡村社田尻村
八幡宮
一、境内反別九反九畝拾歩、但無税地、内、壱反六歩五厘、現今境内、八反八畝弐拾三歩五厘、旧境内 一、立木五百三拾本、内、松弐百八拾壱本、内、壱本、現今境内之分但、長凡二間、廻リ二尺、弐百八拾本、旧境内之分、但、長凡一間分五間迄、廻リ一尺ヨリ五尺五寸迄、檜百四本、内、拾七本、現今境内之分但、長凡一間分三間迄、廻リ一尺ヨリ四尺迄、八拾七本、旧境内之分、但、長凡一間分二間迄、廻リ一尺分三尺迄、雑木百四拾五本、内、弐拾五本、現今境内之分、但、長凡一間ヨリ二間迄、廻リ一尺ヨリ三尺迄、百弐拾本、旧境内之分、但、長四△前と同 一、境内建物、三ヶ所、此建坪、弐拾五坪五ト 一、鏡、壱面、安永三年八月寄附氏子 一、神酒錫、二、天保五年正月寄附氏子 一、机、壱脚、文政三年八月寄附氏子 一、幟、弐本、寛政九年八月寄附氏子 一、幕、片方、弘化四年八月寄附氏子 一、大鼓、二、寛政八年八月寄附氏子
(境内図面)
(境内詳細)
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