(愛知県豊橋市大橋通 2005年7月15日)
豊橋駅に程近い城海津跨線橋脇に位置し、かつては堀、土塁が残存していたが、市街地化により浄土宗清源寺の名以外残るものはない。石塚清助が守った砦とされ、同寺に甲冑が伝わるという。室町時代常陸佐竹村(茨城県常陸太田市稲木町)から三河鍛治村(愛知県豊川市中条町)、後に森村(豊川市森町)に移った佐竹氏の一族がおり、佐竹氏から派生した石塚氏との関係が想像できる。
豊橋駅に程近い城海津跨線橋脇に位置し、かつては堀、土塁が残存していたが、市街地化により浄土宗清源寺の名以外残るものはない。石塚清助が守った砦とされ、同寺に甲冑が伝わるという。室町時代常陸佐竹村(茨城県常陸太田市稲木町)から三河鍛治村(愛知県豊川市中条町)、後に森村(豊川市森町)に移った佐竹氏の一族がおり、佐竹氏から派生した石塚氏との関係が想像できる。