京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「紫絵巻」

2009年06月16日 | 日々の暮らしの中で

杉木立の中に五千坪と言われて広がる大庭園は、約30種、一万株のあじさいが咲き乱れている。「紫絵巻」とたたえられる、あじさいの海は圧巻だ。

西国観音霊場第10番札所の三室戸寺。山門をくぐり、なだらかな道続きの先に60段ほどの階段が見えてくる。やはり、ご利益は“苦行”のあとと決まっているのだろう。保育園児がかけてくれる「こんにちは」の声に励まされながら上った眼前に、大きな本堂の甍が迫る。あじさいには雨。しっとりと濡れたあじさいめぐりも、粋なことでっしゃろな。

女三人、宇治散策。必要以上の暑さに見舞われた。例によって、久しぶりの再会を喜んだあとは、一方的にご無沙汰だった時間を埋めるべく一人しゃべりが炸裂。勝手にしゃべっていても、人の話には適当に相づち?と見えながらも、案外人の話も聞いている。うんうん、だんだん成長の私たち、女三人組。

お腹がすいた、ってまだ十一時過ぎ。のどが渇いた、宇治金時がおいしそう、ソフトクリームはのどが渇く、茶団子食べなきゃ……。早昼にありついてお腹もふくれ、平等院鳳凰堂へ。

平安貴族の生活に関心大であった昔、何度訪れたことか。30年ぶりに近い再訪となる。
鳳凰堂の彩色がはげ落ちていること!うるわしき浄土を思い浮かべながら念仏を唱えた頼道たち貴族。さながら「極楽絵巻」の世界であったろうに。

宇治十帖の最終章「夢の浮橋」。薫・匂宮・浮舟。霧深い宇治川をはさんで此岸と彼岸、夢のようにはかなく流れやすい浮橋の暗示か、夢の浮橋。ちょっと昔を懐かしみながら、一人の世界に入っていても、ちゃんと二人の声は聞こえてくる。

      「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまへ」(『扶桑略記』)
コメント (4)
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