しばらく投稿を怠りました。でもご心配なく。西郷隆盛たっ居跡見学の後、島内北部のさまざまなところを巡ってきて、ホテルに帰りついたところです。距離的には100キロ強というところですが、見学地で歩くことが多く結構疲れました。
気温は何度くらいになったのでしょうか?情報を掴めておりませんが、レンタカーはクーラーを入れて走るほどでした。沿道の街路樹がソテツや椰子の木、タコノアシなど南国特有の街路樹が目立ち「南に来たなぁ~」という感慨を覚えさせてくれました。畑の雑草取りをしていたおばあさんに声をかけたところ、汗をいっぱいにかいた顔で対応してくれました。
今日は嬉しい出会いがいくつもありました。どの人に語りかけてもめんどうな顔をせず、親切に対応してくれるのが嬉しいですね。
一人は龍郷町でのことですが、グランドや野球場、相撲場などがあるのに学校が見えずに不思議に思って、近くで農作業をしていたおじいさんにたずねたところ、土地が狭いために少し離れたところに学校が建っていると教えてくれました。グランドなどはおじいさんたちが勤労奉仕で造ったんだと話をしてくれました。
二人目は海岸の干潟で潮干狩りをしていたやや高齢のご婦人に近くの名所をたずねました。「浦の橋立」というところですが、婦人によると車が発達していなかったころは「天の橋立」のように良い景色だったのだけれど、車の発達とともに道路が舗装されたり、拡幅されたことで昔の面影はなくなってしまったと教えてくれました。潮干狩りの成果はあまり芳しくなかったようです。
その他にも積極的に話しかけたところ、誰もが気持ちよく応対してくれました。その中でもとびきりに嬉しかったのは、最後に訪れた大島紬泥染公園」を訪れたときのことでした。 私が行くと、気難しそうな方が出てきました。「何の用かね」的な態度だったのですが、私が「ガイドブックを見て見学に来ました」と話すと「何だそういうことか」的な対応で中へ案内されました。そうして、大島紬の泥染めの工程を話し始めました。それは想像以上にたいへんな作業の連続のようでした。
部屋の中にはその方が受賞した表彰状が壁一面に張ってあり、私がそのことに素直に驚きの声を発しました。そのことが彼のプライドをくすぐったのでしょうか?説明にも熱が入りはじめました。工房の方も見ていけと案内され、熱心な説明が続きました。 一応の説明が終わったので、お礼を言って退去しようとしたところ「お茶を飲んでいけ」と勧められました。「これは何か小物でも買わなきゃいけないかな?」と思ったのですが、勧められたのに断るわけにはいきません。奥さまがコーヒーとお菓子を出して接待してくれました。そこでは大島紬の話から離れて、雪国と南国の生活の違いとか、私の旅の話などさまざまなことを語りました。まったく商売っ気は感じさせません。
そして私がいよいよ退去しようとしたら、今度は奥さんに指示して採れたばかりのポンカンを持っていけ、と言うではありませんか。辞退しても結局押し付けられ大きなポンカンを3個もいただきました。恐縮して「礼状を出したいので名刺をいただけないか」とお願いしたところ、快くいただくことができました。そこには「通商産業大臣認定資格 大島紬 染色部門(染め分け) 伝統工芸士 ○○○○」と書かれてありました。
こうして奄美大島の人たちとお話しすることで、奄美人の人の良さを感ずることができました。今日は多くの出会いがあり、充実した一日となりました。
奄美名物の「油ソーメン」も昼食で食しました。とても美味しい味でした。
今夜は「島唄」の聴ける居酒屋へ、と思っていたのですが先程電話をすると予約で満員とのことで、明日に楽しみを取っておくことにしました。今夜はもう一つの名物「鶏飯(けいはん)」を食したいと思っています。