講師の丸谷氏は言う。「時の予測」は難しいが、「場の予測」は可能であると…。そして講師は主張する。日本においては「時の予測」をするより「場の予測」によって災害の軽減を目ざすべきだという。「時の予測」とは?「場の予測」とは?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/f2/88aa7ca1bb08237a973f169e3d0e4f59.jpg)
※ 直近の熊本地震で引き起こされた崖崩れの様子です。(ウェブ上から拝借)
今年度も昨日(7月4日)より北大の全学企画による公開講座が始まった。
今年のテーマは「『国のかたち』を案ずる時代の知恵」というテーマである。
このテーマについて若干考察してみたとき、私は“案ずる”という言葉に注目した。案ずるとは、さまざまな解釈が可能だが、一般的にはネガティブな言葉である。北大の大学人たちは、この国の現状、行く末に対して“やや心配している”と解したのだが、どうだろうか?講座を受講する中で、そのことも考えてみたい。
さて、第1回目の7月4日(月)は、農学研究院の丸谷知己特任教授が「自然災害は予測できるか ~攻めから守りの時代へ~ 」と題して講義した。
丸谷氏は自然災害に関わる日本の現状について次のようにまとめた。
(1)日本は4枚のプレート境界にある稀有な国である。(地震が多い)
(2)日本は火山列島である。(110の活火山)
(3)日本上空に強い偏西風が吹いている。(台風の通り道、多雨地帯)
こうした現状は我が国が自然災害を引き起こしやすい条件を備えていると言える。ところが、地震発生や火山噴火、豪雨や台風などの自然災害の発生を現代科学はほとんど予測できていない現状である。
丸谷氏は、自然災害によってヒトが被害を蒙るのは、地が揺れ、山が火を噴き、雨に打たれるからではないという。ヒトの命や財産が脅かされるのは、それらによって引き起こされる建物の崩壊や山地斜面が崩れることだ、と指摘した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/e5/6c198998e96050490c9e975bf6bd384e.jpg)
※ 講義中の丸谷知己特任教授です。
※ 特任教授とは、丸谷氏が定年(65歳)を迎え、さらに大学から要請されて教授の任にある人のようです。
つまり現代の科学において、いつ地震が来るか、いつ火山が噴火するか、いつ大雨が降るかを予測することは困難だが、どの建物が壊れ、どの斜面が崩壊するかは予測できる可能性が大きいという。
言葉を替えると「いつ」という「時の予測」は不能だが、「どこが」という「場の予測」は可能である、ということだ。
「場の予測」が可能なら、ヒトはそこから「逃げる」ことが可能になるというわけである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/ef/aaa99e1166ae8ce1ec9bece51d3925ee.jpg)
さて、ここまで丸谷氏は解説してから、「国のかたち」について論じた。つまりこれまでの日本は、「時の予測」をすることや災害を防御することに研究も予算も注いできたが、「場を予測」する研究や開発に軸足を移すべきではないか、と主張する。
「場の予測」…、どこが崩れやすいのか、どこが噴火しやすいのか、どの建物が危ないのか、etc…。
最後に丸谷氏は、我が国では“国土強靭化”ということが叫ばれているが、それは力づくで自然災害を防ぐということではなく、真の強靭化とは“しなやかさ”ではないかと説く。自然災害列島の日本に住む我々には“逃げる”という思想が必要である、と結んだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/89/3772bd95232cfee68bb9ecff0d51e8e7.jpg)
※ 東日本大震災時の津波の様子です。(ウェブ上から拝借)
丸谷氏の講義はレポした以外についても多々論じられたが、講義の大要については間違ってはないと思う。
講義を聴いて、私は傾聴に値する講義内容だったと思うのだが、はたして現実の科学の世界、あるいは国の行く末を論じる人たちの間で、このような考え方がどの程度の共鳴を得ているのだろうか、という点が気になった…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/f2/88aa7ca1bb08237a973f169e3d0e4f59.jpg)
※ 直近の熊本地震で引き起こされた崖崩れの様子です。(ウェブ上から拝借)
今年度も昨日(7月4日)より北大の全学企画による公開講座が始まった。
今年のテーマは「『国のかたち』を案ずる時代の知恵」というテーマである。
このテーマについて若干考察してみたとき、私は“案ずる”という言葉に注目した。案ずるとは、さまざまな解釈が可能だが、一般的にはネガティブな言葉である。北大の大学人たちは、この国の現状、行く末に対して“やや心配している”と解したのだが、どうだろうか?講座を受講する中で、そのことも考えてみたい。
さて、第1回目の7月4日(月)は、農学研究院の丸谷知己特任教授が「自然災害は予測できるか ~攻めから守りの時代へ~ 」と題して講義した。
丸谷氏は自然災害に関わる日本の現状について次のようにまとめた。
(1)日本は4枚のプレート境界にある稀有な国である。(地震が多い)
(2)日本は火山列島である。(110の活火山)
(3)日本上空に強い偏西風が吹いている。(台風の通り道、多雨地帯)
こうした現状は我が国が自然災害を引き起こしやすい条件を備えていると言える。ところが、地震発生や火山噴火、豪雨や台風などの自然災害の発生を現代科学はほとんど予測できていない現状である。
丸谷氏は、自然災害によってヒトが被害を蒙るのは、地が揺れ、山が火を噴き、雨に打たれるからではないという。ヒトの命や財産が脅かされるのは、それらによって引き起こされる建物の崩壊や山地斜面が崩れることだ、と指摘した。
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※ 講義中の丸谷知己特任教授です。
※ 特任教授とは、丸谷氏が定年(65歳)を迎え、さらに大学から要請されて教授の任にある人のようです。
つまり現代の科学において、いつ地震が来るか、いつ火山が噴火するか、いつ大雨が降るかを予測することは困難だが、どの建物が壊れ、どの斜面が崩壊するかは予測できる可能性が大きいという。
言葉を替えると「いつ」という「時の予測」は不能だが、「どこが」という「場の予測」は可能である、ということだ。
「場の予測」が可能なら、ヒトはそこから「逃げる」ことが可能になるというわけである。
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さて、ここまで丸谷氏は解説してから、「国のかたち」について論じた。つまりこれまでの日本は、「時の予測」をすることや災害を防御することに研究も予算も注いできたが、「場を予測」する研究や開発に軸足を移すべきではないか、と主張する。
「場の予測」…、どこが崩れやすいのか、どこが噴火しやすいのか、どの建物が危ないのか、etc…。
最後に丸谷氏は、我が国では“国土強靭化”ということが叫ばれているが、それは力づくで自然災害を防ぐということではなく、真の強靭化とは“しなやかさ”ではないかと説く。自然災害列島の日本に住む我々には“逃げる”という思想が必要である、と結んだ。
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※ 東日本大震災時の津波の様子です。(ウェブ上から拝借)
丸谷氏の講義はレポした以外についても多々論じられたが、講義の大要については間違ってはないと思う。
講義を聴いて、私は傾聴に値する講義内容だったと思うのだが、はたして現実の科学の世界、あるいは国の行く末を論じる人たちの間で、このような考え方がどの程度の共鳴を得ているのだろうか、という点が気になった…。