鈴なりのさくらんぼを目の前にすると、私の理性はどこかへ飛んでしまった。目の前のさくらんぼを摘まんでは、口の中に次々と放り込むという贅沢に夢中になった。果物や農産物の「○○狩り」と称するレクリェーションはヒトを童心に帰らせる作用があるようだ。
昨日、息子から突然電話が入った。「娘が学校から帰ったらさくらんぼ狩りにいかないか?」と…。息子は職場の創立記念日で休みだったようだ。
午後2時半過ぎ、孫娘が学校から帰るのを待って、私たち夫婦に、息子、そして孫娘の4人で西野にある「阿部さくらんぼ園」に向かった。(息子の奥さんは勤務で参加できず)
「阿部さくらんぼ園」は西野地区の坂道の多い住宅地の奥の、小山の中腹といったところに駐車場があり、その先の小山の上がさくらんぼ畑だった。駐車場から受け付けのある入口まではけっこうな急坂である。
※ 平日午後3時過ぎだったのに、けっこうな数の車が駐車していた。
※ 駐車場から坂道を案内に従って進みます。
※ こうした階段状の急坂を上ってさくらんぼ園の入口を目ざします。
入園料は平日のため大人500円、子ども(小学生)300円と格安である。これで園内では食べ放題だという。(ちなみに土日祝日は大人800円であった)
平日だったが、若いママたちを中心にけっこうな入園者で賑わっていた。
※ ようやくさくらんぼ園の受付に到着です。下の写真のように料金や注意書きが書かれていました。
さっそく小さなカゴを手にさくらんぼ畑に入った。かなり規模の大きなさくらんぼ園である。
それぞれの木にはさくらんぼの実がたわわに実っている。全体としての色づきはまだ黄色っぽいものが多く、完熟期はもう少し先かな?と思われた。それでも摘まんで頬張るさくらんぼは甘く美味しかった。
※ 私たちも写真のように脚立を使い、少しでも光が当たって熟している実を探しました。
次から次へと、摘まんでは頬張っていた。さくらんぼ狩りに夢中になる私の様子はもう幼児と変わらぬ姿だったのではないか?(変なおじいさん?)
私はこうした類いの経験はあまり多くはない私だが、それでもその度に感ずるのは、ついつい夢中になってしまう自分の姿である。きっとヒトの中に眠る本性のようなものが刺激されるのだろうか?
毎年春になると、タケノコ採りの老人が山中で行方不明になる事件が多発するが、あの方たちもついつい夢中になってしまった末に起こった事件のように思われる。
飽きるほどにさくらんぼを頬張った私たちは、さくらんぼ園で「種飛ばし競争」に興じた。これが孫娘の心をキャッチした。鬼ごっこのように周りを駆けまわりながらひと時を興じた。
さくらんぼを食べ飽きた私たちは、お持ち帰り用のさくらんぼをカゴに入れて受付のところへ帰ってきた。
お持ち帰り用は、100g100円ということで、我が家は1,300gを持ち帰ることになり、あまりに多かったので知人におすそ分けすることにした。
※ 園の入口には札幌市内を見渡せる展望台がありました。
○○狩りはヒトの本性が刺激されるようで面白い。妻とは、次に「えだまめ狩りに出かけようか?」と話しをしているところである。