帯広市のおかれている特殊性のようなことに納得できた!釧路町(釧路市ではない)は釧路市のベッドタウンとして急速に発展し、以前とは様変わりしていることに驚きを感じた「ふるさと動画視聴会」だった。
12月9日(月)午後、シニアの生涯学習グループ「めだかの学校」の「ふるさと動画視聴会」の第3回目は帯広市と釧路町が取り上げられた。用意された動画(道立図書館所蔵のフィルム)は帯広市が1963年、釧路町が1965年制作のものだった。それに加えて担当者が現在の両市町の様子を映す動画を用意してくれ、それを会員と共に視聴した。
※ 北海道の中の十勝地方(緑色の部分)と帯広市(黄色の点)の位置を示す図です。
1963(昭和38)年というと、我が国が高度経済成長期に差し掛かった時期であり、フィルムに写された帯広の街も活気に満ちていた様子が描かれている。農業王国十勝の中心都市として“伸びゆく帯広!”という雰囲気が画面からも伝わってきた。フィルムは無声だったが、担当者が強調していたことは「街中に人が多い」ということだった。確かに街中を行き交う人が多く、活気が感じられた。
※ 現在の帯広市中心部の様子です。
続いて2015~2018年の現代の帯広市を映すPR動画を3本視聴した。帯広の街は近代的に整備され、十勝地方の中心都市として発展していた。しかし、人口は最盛期の最盛期を過ぎ漸減傾向に入っている。そうした中で帯広市がどこへ向かおうとしているのか、担当者は帯広市の総合戦略を提示したうえで「帯広市独自の戦略が見えない」と指摘した。確かにそこには「帯広市は~」という言葉で表現されていないところが目立った。そこで目に付くのは「十勝」あるいは「とかち」の文字である。つまり、帯広市は市独自での発展を企図するよりは、帯広市周辺に広がる町村の中心都市として共に発展していくことを志向していると担当者は読み解いた。
※ 帯広市をPRするポスターですが、帯広市のイメージとはやや違和感が…。
確かに、私たちが日常的に聞くフレーズは「農業王国十勝」であり、「フードバレーとかち」である。さまざまな識者が将来の食糧難時代を予測し、北海道の農業の可能性を指摘する。帯広市、そして十勝は北海道の農業をけん引していく存在として今後その重要性がますます高まっていくに違いない。帯広、そして十勝の可能性を感じた時間だった。
※ 釧路地方の各市町村の位置関係を表した図です。
道東の中心都市「釧路市」に隣接しているのが「釧路町」である。外の者にとっては紛らわしい表記である。しかし、そこには歴史的な経緯があるということだが、複雑すぎて簡単には説明できないので省略する。1965年頃の釧路町は寒村であった。フィルムではやせた土地を馬で耕す様子や、伝馬船のような小さな船で鮭を水揚げする様子が描かれており、高度経済成長期に突入していたとはいえ、道東の田舎まではその余波がまだ伝わっていなかったことが伺える。
※ 釧路市と接するセチリ太地区に出現した集合住宅と個人住宅です。
対して現在の釧路町は様変わりした感が強かった。釧路市と接する地域は住宅街へと変わり、大型ショッピングセンターが進出していた。葦原が続いていた原野が釧路市のベッドタウンへと変貌したのである。一方で古くから街の中心であった地域(遠矢地区)の衰退は激しいそうだ。典型的なベッドタウンは街づくりが難しいようだ。釧路町も一時の人口増大期を過ぎ、人口減少期に突入したそうだ。そうした時期を迎えて難しい対応に迫られているようである。
街の来し方を知り、行く末を考える今回の視聴会だったが、これも視聴会の在り方の一つかもしれない。次回は私にとって関りの深い遠軽町、置戸町とのことだ。次回を期待をもって待ちたいと思う。