世界的に評価の高い小津映画であるが、小津映画に北海道はほとんど登場していない。ストーリーの中に北海道が登場することはなく、ロケ地となったこともない。それなのになぜ「小津安二郎と北海道」なのか?それは偏に講師である中澤千磨夫氏が北海道在住でありながら小津研究の第一人者だからと私は理解したのだが…。
7月1日(土)午後、北海道立文学館において現在開催中の特別展「小津安二郎」展の関連イベントとして中澤千磨夫氏が「小津安二郎と北海道」と題して講演された。
中澤氏は北海道生まれで、現在も北海道在住、武蔵女子短大の教授をされている方である。つまり北海道に居住しながら小津研究をされ「小津安二郎・生きる哀しみ」、「精読 小津安二郎」という二冊の著書をものにし、現在は「全国小津安二郎ネットワーク」の3代目会長も務められているという。
その中澤氏は講演の冒頭、「映画は映画館での一回的体験としてあるべきものだったが、今やさまざまなメディア(DVD、ユーチューブ、ネットフリックス、等々)の登場によって個人の掌に収まり、書物と同様のメディアになった」と語った。つまり今や映画は本を読むように何度も繰り返して観ることが可能となり、そのことで北海道においても小津研究が可能になったと中澤氏は話された。
さて主題である「小津安二郎と北海道」であるが、小津映画の中で僅かに北海道が登場するのは、出演者のセリフなどで北海道が登場する映画があるという。
その一つは「出来ごころ」(1933年)において、父親の喜八(阪本武)が息子の入院費をねん出するために北海道根室の漁場へ向かうシーンがあるという。(実際に根室の様子が映画に登場することはない)
二つ目は「東京暮色」(1957年)において、娘に死なれ、尾羽打ち枯らした母親(山田五十鈴)が人生のやり直しを目ざし、上野駅から夜汽車で北海道の室蘭に向かうというシーン。
そして三つ目として「お早よう」(1959年)の中で子どもたちが近所の家でNHKテレビで大相撲中継を見ている時に、NHKの名物アナの北出清五郎アナが、名調子で北葉山(大関まで昇進)を室蘭出身と紹介する場面があるという。
いずれもが、“掠る(かする)” 程度の北海道である。残念ながら、小津安二郎にとって(小津が生きた時代)は、北海道はまだまだ “外地” という意識だったのかもしれない…。
そう考えると、今回の北海道立文学館における特別展「小津安二郎」展は、道立文学館を受託管理している「(公財)北海道文学館」の副理事長をされている中澤千磨夫氏の力によるところが大きい特別展なのかもしれない…。