今年は札幌市が市制を敷いてから100周年の年だという。その100年の歴史の中には市史などでは触れられない数々のエピソードが眠っているという。講師はそうしたエピソードの数々を興味深く紹介してくれた。
8月27日(土)午後、札幌市資料館において市制100周年記念講演と銘打ってある講演会が開催され参加した。その講演は「札幌できごと史 ~歴史の脇道にはまる~」と題して街歩き研究家を標榜する和田哲氏が講師を務めた。
※ 開会前、講演の準備をする講師の和田哲氏です。
和田氏はNHKのテレビ番組「ブラタモリ」の札幌版に登場し、札幌の歴史に関する蘊蓄を披露したことにちなみ「ブラサトル」と自ら名乗り、札幌の街に関するあれこれをメディアや講演を通して市民に伝えている方である。
※ 「ブラタモリ」に出演した時の和田哲氏です。アシスタントが今やNHKの顔ともなった桑子真帆アナですね。
今回はリード文でも触れたように、市史などでは触れられない出来事を12のトピックにして伝えてくれた。その12のトピックとは…。
① 屯田兵 vs 警察 「戦争でも始まるか」と、人々は恐れ門を固く閉ざした。
② 厚別はいずこ ちょっとした読み間違いから始まった。
③ 花魁淵 元遊女はどうやって この崖までたどり着いたかを想像する。
④ 石川啄木の札幌滞在 2週間に満たない滞在で、ちゃっかりと彼女ができる。
⑤ 最初の自動車事故 大通で自分の車にひかれる。
※ 札幌に初めて登場したベンツの乗用車だそうです。
⑥ スミスの飛行ショー 札幌っ子の話題を独占。失敗してもますます人気者に。
※ ライト兄弟の発明から13年後にアメリカ人のスミス氏が札幌にやってきて飛行ショーをした時の写真です。
⑦ 盤渓 結城先生の悲劇 なぜ、行きと帰り違う道を歩いたのか。
⑧ 終戦直後の出版ブーム 札幌が日本の出版文化の中心地だった数年間。
⑨ 男子スピードスケート世界選手権 戦後の日本のスポーツ界は、札幌から本格始動した。
⑩ 大通ビアガーデン始まる 「祭りにはお神酒がなければ」という発想から。
⑪ シュランツ事件 札幌オリンピック開会式直前に立ち込めた暗雲
⑫ 運動会の歌 なぜか札幌周辺だけで80年以上歌い継がれている。「忘れられた文部省唱歌」
どうでしょうか?札幌市民の方なら12のトピックとコメントを読んだだけで、どれも聞いてみたくなる話題ではありませんか?
私がお聴きした全てを紹介するのはとても無理なことなので、ここではその中から2つをチョイスしてレポすることにします。
一つは②の「厚別はいずこ」という話題ですが、「厚別」とはもともと「あしりべつ」と称され、現在の厚別川上流の平岡周辺のことを指す地名だったそうです。ですから現在でも当地の神社は「厚別神社(あしりべつじんじゃ)」と呼んでいる。ところが当地の近くに鉄道が通った時(現在のJRとは違ったようだが)駅名は当然「厚別駅」としたのだが、その呼び名を「あつべつえき」と読み間違えたことから、現在の「厚別駅」周辺の地名が「厚別(あつべつ)」となったそうだ。面白いのは、現在でも「厚別川」は平岡辺りの上流では「あしりべつがわ」と呼び、下流の現在の厚別辺りでは「あつべつがわ」と住民の方々は読んでいるということだ。
札幌に住んでいなかった私でも思い出の片隅に残っている出来事がある。それは⑪の「シュランツ事件」である。札幌冬季オリンピックの開会を控え、オーストリアのスキーの花形選手シュランツ選手のプロ問題が沸き起こった。当時のIOCのブランデージ会長はことのほか出場選手がアマチュアであることを要求した(当時、ブランデージ会長のことを「ミスター・アマチュア」と呼ばれていたのを記憶している)。ところがシュランツ選手は花形選手故に企業などから金銭を得ているのではと問題となり、IOCはシュランツ選手の出場停止を通告した。それに激怒したオーストリア選手団が大会をボイコットするという事態に発展し、大会の開会が危ぶまれた。その騒ぎについては、私も新聞を通して記憶している。ところがシュランツ選手はその裁定に対して「若い選手たちの夢を奪うことはできない。私は独りで帰国する」と述べて札幌を去り、札幌オリンピックは無事に開催されたという経緯があった。その後、IOCも時代の流れの中でプロ化容認に踏み切ったことは諸兄もご存じのとおりであり、シュランツ選手の名誉も回復された。それを受けてシュランツ選手は「もし、アマチュア以外を締め出すなら、オリンピックにはお金持ちしか参加できない。僕の失格が、若者たちの未来を開いたならうれしく思う」とコメントしたそうだ。
※ インタビューに答えるカール・シュランツ選手の様子です。
私は当時のことを想い出すと、失格となったシュランツ選手についてネガティブな印象を持っていた。しかし、今回和田氏からその時の騒動の顛末を聞いて50年の時を経て、シュランツ選手の素晴らしい人間性に触れることができたことを嬉しく思っている。
ことほど左様に、和田氏のお話の一つ一つが興味深い内容だった。機会があったら別のエピソードも紹介したい思いである。来年3月に、私は再び和田氏のお話を伺う機会が予定されているが楽しみである。(テーマはもちろん別なのだが)