「れきぶん」とは、「歴史と文化」を短縮した言葉である。どうやら札幌市が有する歴史や文化を見直し、活用することで地域の活性化に結び付けようというねらいをもったフェスティバルということのようだ。
昨日(3月17日)午後、札幌市芸術文化交流センターにおいて「札幌市歴史文化のまちづくり推進協議会」という官主導(?)のもと任された(?)運営会社が主催する「さっぽろれきぶんフェス2024」に参加してきた。というのも、以前に私はこの団体が主催するワークショップにちょこっとだけ参加したことがあったので「どんなものか?」という興味から参加してみた。
フェスは午前中から体験プログラムを実施していたが、「子ども向け」のようだったので、午後の講演、パネルディスカッションのみ参加した。
講演は二つあり、その講演1は「遺跡から現在までつながる札幌の歴史文化」と題して越田賢一郎札幌国際大教授が、講演2は「札幌おもしろ歴史雑学」と称して街歩き評論家ほ自称する和田哲氏がそれぞれ講演した。本日はこの二つの講演に絞ってレポートし、明日パネルディスカッションの部についてレポートすることにする。
※ 講演をする越田札幌国際大学教授です。
越田氏は遺跡など古代を研究する学者らしく、札幌の成り立ちから話に入った。まず、札幌の地層から900万年前のサッポロクジラが、そして800万年前のサッポロカイギュウの化石が発見されている。ということは現在の札幌の地は遠い昔は海の底だったことが考えられるとした。
※ サッポロカイギュウの想像図です。
さらに、縄文前期(概ね紀元前1万年から5 or 6,000年前くらい)の頃には温暖化が進み海進現象により、現在の札幌の中心部付近まで海が近づいていたと考えられるということだ。その証拠に石狩湾に近い札幌(北区の方向)では数多くの竪穴住居跡が発掘されているそうだ。(ex. 北大構内の遺跡保存庭園)
越田氏はそれら遺跡の発掘状況から当時の海進の状況、竪穴住居跡の状況などを地図の落とし込んだ図を提示してくれた。
さらに縄文時代が終わり、擦文文化時代の遺跡としては江別古墳群の後藤遺跡において東北地方が主産地である特徴のある「蕨手刀(わらびてとう)」が発見されたことから、当時から本州各地との交流が行われていたことが証明されるとした。
そして越田氏は人間が営む歴史においては「水」が大いに関わっているとして、縄文、擦文時代は海辺や水辺、あるいはワッカに集落が出来、江戸、明治の時代になると大友堀、創成川が街づくりの重要に位置を占め、さらには小樽港が物流の重要な位置を占めるなど…。こうしたことから、札幌の歴史文化を語る時、歴史の連続性に着目して理解を図る必要があるのではないか、と強調されたのだと私は解釈した。
※ 講演をする街歩き研究家の和田哲氏です。
一方、講演2の街歩き研究家の和田哲氏は豊富な氏の知識の中から二つの話題を提供してくれた。その一つは、札幌独特の住所名の表記「条・丁目」についての面白知識を披露された。札幌の「条・丁目」は一つの碁盤の目を表すもので、その表記の仕方が独特だということだ。つまり「条・丁目」が他の都市では「通り」を表すのに対して、札幌では碁盤の目の「地域」を表すということなのだ。
だから札幌で最小の面積の「条・丁目」は「南10条西2丁目」だそうだ。そこは札幌パークホテルの敷地の角の道路に囲まれた三角の緑地帯で、面積が1,402㎡で人口はゼロだそうだ。一方、面積が最大の「条・丁目」は「北16条西16丁目」だそうだ。そこは「札幌競馬場」を指すという。面積を調べてみたが、残念ながら分からなかった。
その他、「北1条通りになぜ放送局が集まっているのか?」とか、「百貨店の丸井と三越の位置の違和感」などといった話題に話が及んだが割愛したい。
もう一つの話題が札幌の「冬とスポーツ」についてだった。札幌は低温、降雪量、中心街から近いところに山があるといったスキースポーツに適した大都市ということでは世界的にも稀な存在であることは良く知られている。しかし、札幌においてはスキーよりスケートが早く市民に浸透したそうだ。それはスキーに比べてより安価に、より簡単に取り組むことができたことがその原因だったと和田氏は話された。
スキーが札幌に紹介されたのは、明治41(1908)年に札幌農学校にドイツ語教師として赴任したH.コラー氏が自国から取り寄せたことが始まりとされている。ただし、コラー氏自身はスキーで滑ることはできなかったそうだ。したがって札幌にスキー技術を伝えたのは伝えられている通り明治45(1912)年にオーストリアのレルヒ少佐がその技術を伝えたのが札幌のスキー事始めとされているという。
※ 昭和時代の三角山スキー場の様子です。
その後の札幌では三角山がスキーの中心地だったようだ。その時の様子を写す写真を見せていただいたが、昔日の感を感じさせる一枚だった。
お二人の話は異質な感じがするが、それがある意味狙いどころなのかな?と感ずるところだ。つまり、私たち市民が知らなかったこと、隠れた魅力を知ることによって、そうしたことを市民が外部に発信し、魅力を伝えていくことによって札幌市の活性化に繋げようということなのだろう。
明日はパネルディスカッションの様子についてレポすることにしたい。