goo blog サービス終了のお知らせ 

田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

キャンピングカーフェスティバル

2008-04-20 23:33:49 | 札幌(圏)探訪
※ 沖縄シリーズに終わりを告げ、今日から再びホームグランドの「札幌」を追いかけて行きたいと思います。


 「もう行くことはないかな?」と思っていたアクセスサッポロを再び訪れることになってしまいました。

 今はもうすっかりあきらめの境地なのですが、一時は真剣に購入を考えたキャンピングカーの最新モデルが一同に会するというので、アクセスサッポロまで冷やかし気分で出かけました。

 広い展示場いっぱいにキャンピングカーが並べられていました。
 小は軽自動車タイプから、大はモーターホームともいえるようなバスタイプのものまで、所狭しと並べられていました。
 キャンピングカーのように造作したり、改装するのは日本人の得意技の一つかもしれませんが、狭い空間を利用し、素晴らしく仕上げられたものがたくさんありました。
 価格もそれなりに張っていて、軽自動車でも2百数十万円、最高価格のものでは1千5百万円台のものも展示されていました。最多価格帯は4~5百万円といったところでしょうか。

 本格的なアウトドア派からは「邪道!」と一蹴されてしまいそうなキャンピングカーですが、団塊世代にはなかなかの人気のようです。
 入場料1,000円を払いながらも、本当にたくさんの人たちが詰めかけていました。

  キャンピングカーを持てる条件も、財力もない私ですが、なんだかムクムクと沸き起こってくるものがあります。 それは何かって? それは秘密です。

田舎おじさん in 沖縄 最終回 そして2冊のファイルが残った…

2008-04-19 13:49:34 | 道外の旅

 長々と沖縄シリーズを綴ってきましたが、まだテーマは残っているようにも思われます。
 例えば、レンタカーの旅、車載ナビの威力、旅の費用、DFSギャラリア、あるいは観光業者の商魂などなど…。
 しかし、いつまでも沖縄にこだわるわけにはいきません。(読んでいただいているみなさんは辟易しているのにねぇ…)ここらで打ち止めといたしましよう。

 さて、私の今回の旅で自らに次の三条件を課しました。それは、
 ①沖縄本島の全26市町村を巡り、その市町村庁舎前で記念の写真を撮ること。
 ②市町村に関する資料を1部以上収集すること。
 ③市町村に関するsomethingを収集すること。
以上を自らに課し、そのことにこだわり続けた私はなんとかその三条件をクリアすることができました。
 それらは今、各市町村毎にファイルブックに整理され、収まっています。
 ファイルブックは、写真、市町村のガイドブック、somethingなどを飲み込んでぱんぱんに膨れ上がっています。
        
     ※ 旅の思い出を閉じ込めた2冊のファイルブックです。

 ところで今回の旅は私にどのような影響を与えただろうか、ということについてちょっと真面目に振り返ってみようかな、と思います。
 限られた時間の中で最大効率を目ざした今回の旅はいつも慌しく、落ち着いてゆっくり沖縄を満喫するという旅からはかけ離れていました。
 しかし、沖縄本島の全ての市町村を巡る旅は、一般の観光旅行では見えない部分も垣間見せてくれたように思っています。
 そこで感じたことは「地方によって風俗や習慣がずいぶん違っているものだなぁ」ということに気付かされました。(北海道とは最も離れた沖縄ですから、当たり前と言えば当たり前のことなのですが…)
 その結果、私の中に「日本も面白いなぁ」という思いが湧きあがってきました。

 これまで、「本格的にリタイアした後は外国へ!」というのが私の思いの大半を占めていました。しかし、諸外国の表層の上の表層をかすめるような外国旅行よりは、日本の中をもっとじっくりと見て回るようなたびにも意味があるかな、と思い始めています。

 40年前に訪れたノルウェーのフィヨルドやプラハの古い町並みなどを再訪することにも惹かれますが、日本の各地を蟻のような目線で見て回ることにも大いに興味が湧いてきました。
 本格的なリタイアは直ぐそこに来ています。
 真剣に悩んでみたいと思います。

  沖縄5日間の旅は、充実した時を過ごしたという満足感と、2冊の膨れ上がったファイルブックを残し、さらには私の中に一つの課題を生起させてくれた旅でした。


桜、桜、桜が・・・
 ぽかぽか陽気に誘われて近所を散歩している時、札幌気象台の前庭に植わっている桜が開花しているのを目撃しました!
       
       ※ 札幌気象台の前庭で開花した桜です!

 素人の目からはすでに「五分咲き」といった感じです。
 休日でしたが気象台に電話をして尋ねたところ、気象台前庭に植わっている桜の木は標本木ではなく、あくまでも開花宣言の対象となる標本木は北海道神宮に植わっている「ソメイヨシノ」だということでした。

 それにしても、桜前線はもう直ぐそこにあるという感じです!


田舎おじさん in 沖縄 26 南風原町

2008-04-18 16:31:30 | 道外の旅

 最終日の第5日目に、沖縄本島26市町村の最後となった南風原町(はえばるちょう)を訪れました。
       
   ※ 大きな円形が特徴の南風原町の役場庁舎です。

 先のレポートにも書きましたが、当日が土曜日のために役場庁舎に入れないということに南風原町役場まで行って気付きました。
 南風原町では守衛の方の親切でガイドブックを入手することができましたが、私の事前の計画ではこの日も5市町村くらい巡る予定でしたから、予定通りに行動していたら、私の計画は水泡に帰する恐れがあったということです。(ホッ)

 南風原町も豊見城市と同様に那覇市のベットタウンという感じで、人口密度が3,200人強と大都市並の人口密度です。(札幌市の人口密度が1,677人ということからも、南風原町の人口密度がいかに高いかがお分かりいただけると思います)
 沖縄唯一のスケートセンターが南風原町にあるということからも那覇市のベットタウンであることがうかがわれます。

 南風原町では親切な守衛さんに紹介されて、役場近くの南風原町文化センターを訪れました。
 ここを訪れることができたことは私にとっては幸運でした。ここで入手した【沖縄陸軍 南風原壕群】という冊子を南風原町の記念の品としました。


沖縄観光「南風原町文化センター」
 観光というには少し趣きが違いますが、先にも記したようにここを訪れることができたのは幸運でした。
 センター自体は地味な建物で、昔の公民館のようなものでしたが、展示内容に心を動かされました。その展示とは・・・、
 ① 南風原と戦争
 ② 南風原と移民
 ③ 南風原の民俗
 ④ 南風原の民俗芸能
の4つで構成されていました。
 その中で私の目を捉えたのは、やはり「南風原と戦争」でした。
 戦争に関してはあまり免疫力のない道産子にとっては当然の反応かと思います。
 特に文化センター内に再現されていた陸軍病院壕は当時の悲惨な光景を彷彿とさせる展示に息を飲みました。

 実はここを訪れた後に知ったことですが、文化センター近くにある「沖縄陸軍 南風原壕群20号」跡が最近になって復元され、一般公開されていたのです。
 知っていれば必ずや訪れていたであろう、と思うと残念ですが後の祭りです。

  たくさんの沖縄に触れ、多くのことを知ることができた今回の沖縄の旅でした。しかしたった5日間くらいでは、沖縄の表面をなぞっただけの5日間に過ぎないこともまた事実です。


田舎おじさん in 沖縄 25 那覇市

2008-04-17 21:50:12 | 道外の旅

 第四日目の最後の訪問地は、沖縄の最後の宿泊地でもある那覇市でした。
 県都那覇市(なはし)は、沖縄本島南端に位置していますが、あらゆる意味で沖縄の中心です。
 沖縄全体を見ても、やはり南部を中心に発展しているように感じました。

 その那覇市役所は、那覇市の繁華街の国際通り近くに沖縄県庁と並ぶように建っていました。
       
       ※ 沖縄県庁の側に建つ那覇市役所の庁舎です。

 施設が狭隘化していると聞きましたが、そのせいでしょうか、それとも退庁時間が近かったせいでしょうか、なんとなく庁内全体がざわついていた感じがありました。
 市役所には新庁舎準備室が設置され、近い将来には県庁と並ぶ立派な庁舎が出現するのかも知れません。

 那覇市では、クーポンの関係で貝細工教室「匠」というところで貝細工の体験をすることになっていましたが、お店の人の勧めもあって完成品の【貝細工のストラップ】をいただいて、それを那覇市の記念の品としました。

 翌日は、最後の訪問市町村となる南風原町と首里城公園を訪れて、私の沖縄の旅は完成となります。


沖縄観光「ゆいレール」
 私は当初、那覇市の「ゆいレール」に乗車する予定はありませんでした。
 ところが同行者(妻)がぜひ「DFSギャラリア・沖縄」に行きたい!ということでゆいレールを利用することになりました。
 ゆいレール駅の「県庁前」駅から、DFSギャラリアのある「おもろまち」駅(おもしろい駅名ですね)まで5駅ほど乗車しました。
       
 ※ 頭上にあるレールを写したところです。車両が通過するところを撮ることができませんでした。

 ゆいレールとは、ご承知のとおりモノレールなのですが、ちょうど道路の中央分離帯のところを利用して設置されています。
 少しオーバーに言えば、幅2メートルくらいの分離帯があればモノレールの設置は可能のように思えました。走行帯や駅は空中にあり、それらを支える柱の幅は2メートル程度に見えたからです。
  モノレールは今後の都市における交通機関としての可能性が大きいように思えました。(建設費用が地下鉄に比べて格段に安い!?)

 車両はわずか2両連結と積載人数は少ないのですが、人口30数万人の那覇市では適当なのかも知れません。
 速度は、以前乗った神戸市の新交通システム「ポートライナー」よりは速く、那覇市の街並みを眼下に眺めながらの十数分間はなかなか快適でした。


田舎おじさん in 沖縄 24 豊見城市

2008-04-16 19:39:51 | 道外の旅

 那覇市とはまるで街続きのような豊見城市(とみぐすくし)の市役所は、繁華街の真ん中にあり、駐車場も階上にありました。
 中には入ると、どうも私がイメージする市役所の庁舎とは違うのです。なんとなくデパートに入ったような感じがしたのです。
 観光課でガイドブックをいただき、その印象を職員に話したところ、もともと家具店だったところを転用しているとのことでした。
       
 ※ 家具店の店舗を転用した豊見城市の市庁舎です。(3階にある駐車場から撮ったものです)

 豊見城市(とみぐすくし)の名は、甲子園で活躍した豊見城高校(とみしろこうこう)のことがありましたから、すっかり「とみしろし」と呼ぶものと思っていましたが、市名と高校名は使い分けているようです。

 豊見城市ではこれもまたクーポンチケットの関係で、アウトレットモール「あしびなー」に立ち寄りましたが、輸入品やブランド品を求めに沖縄に来たわけではありませんでしたから、素通りに近い立ち寄り方でした。
 ちなみに「あしびなー」とは、老若男女が集い交流する神前の場という意味だそうです。

 豊見城市のsomethingは適当なものが見つからず、ある店で見つけた【ハイビスカスの苗木】を記念の品とすることにしました。


沖縄観光「ライブハウス『島唄』」
 今回の旅では沖縄民謡にぜひ触れてみたいと思っていました。
 沖縄市で宿泊したホテルでは、毎日夕方に地元の歌手がロビーで民謡を披露してくれましたが、どうも落ち着いて聴くことができませんでした。

 ゆっくり、食事を摂りながら楽しみたいと思い、沖縄最後の夜となった那覇市でライブハウス「島唄」に行ってきました。
 ライブハウス「島唄」は、ちょうど那覇市の国際通りの中央部付近のビルに入居していました。

 ガイドブックによると、「島唄」は一時全国的にブレイクした「ネーネーズ」という女性4人のグループが出演しているということで、ぜひ訪れてみようと思ったのです。
 沖縄料理と泡盛をオーダーして一息ついた頃、一回目のステージが始まりました。
       
       ※ 「島唄」でのネーネーズのステージです。              

 伸びのある艶やかな歌声は、沖縄民謡と今風の音楽をミックスしたような味付けで、とても心地良く耳に届きました。(それが沖縄民謡界でどのように評価されているかは知りませんが・・・)
 MC(曲間のおしゃべり)も手馴れたもので、お客を飽きさせません。

 結局私たちは2ステージを楽しんだのですが、ステージの合間に彼女たちは客席まで降りてきて記念写真に収まってくれました。
 その時私は「あのブレイクしたネーネーズですか?」と聞いたところ、「あれは一代目で、現在は三代目です」と教えてくれました。
 「島唄」のHPを見ると、彼女らも「BS日本の歌」などTVでも活躍しているようです。

  私たちは心地良い歌を聴きながら、心地良く沖縄の夜に酔ったのでした。


田舎おじさん in 沖縄 23 糸満市

2008-04-15 20:55:35 | 道外の旅

 糸満市(いとまんし)は、第二次大戦の沖縄戦最大の激戦地として知られ、たくさんの戦跡や平和関連の施設も多くありましたが、私たちは時間の関係もあってひめゆりの塔(ひめゆり平和祈念資料館)しか見学できませんでした。(ひめゆりの塔については前回の投稿で取り上げました)

 現在の糸満市は、県都那覇市に近いこともあって産業が盛んで、ベットタウンとしても人口がどんどん増えているようです。
 街の勢いを表すように市の庁舎も5階建ての豪華な造りでした。
       
       ※ 豪華な造りの糸満市の市役所庁舎です。

 糸満市では、琉球の館というところを訪れ、伝統工芸である紅型(びんがた)染めのコースター】制作を体験しました。
 なかなか楽しい体験で、私はシーサーをかたどった模様の色付けをしましたが、これを糸満市の記念の品としました。


沖縄観光「首里城公園」
 沖縄観光の三大スポットというと、美ら海水族館、ひめゆりの塔、それにこの首里城公園になるのではと思われます。
 私の今回の旅にはたくさんのクーポンが付いていましたが、この三ヶ所の入場券はものの見事に付いていませんでした。(クーポンなどでサービスしなくとも観光客は来てくれるという自信でしょうね)

 首里城公園は、那覇市の中心からやや外れた那覇市内を見渡すことの出来る小高い丘の上に位置していました。古代の築城の定石を踏襲したものでしょう。

 首里城そのものは消失したり、戦火に遭ったりして何度も建て直されたものです。
 ですから、建物そのものは世界遺産の対象ではないとのことです。しかし、史実に忠実に再現された首里城は沖縄の青い空の下で見事な朱色の輝きを放っていました。
       
       ※ 朱色に輝く首里城内の正殿です。

 規模そのものはそれほど大きなものではありませんが、日本の古城がどちらかといえばモノトーンに近い色彩に比べると、その違いが際立っているように見えました。

 城内では琉球舞踊も披露されていましたが、その優雅な舞いも往時の豊かな琉球文化を偲ばせるものでした。


田舎おじさん in 沖縄 22 八重瀬町

2008-04-14 21:26:11 | 道外の旅

 沖縄は隣の南城市がそうであったように最近になって合併した市町村がたくさんありましたが、八重瀬町(やえせちょう)も旧東風町と旧具志頭村が平成18年に合併して誕生した町です。

 これまで沖縄の市町村の庁舎には立派なものが多いと述べてきましたが、八重瀬町の役場庁舎は旧中学校々舎を改装したものだということでした。中にはこのように工夫して経費り削減を図っている町村もあるようです。(この後に訪れた豊見城市も同様でした)
       
       ※ 中学校々舎を改装した八重瀬町の役場庁舎です。


 八重瀬町役場を訪れたのはちょうど昼食時でしたが、企画財政課で町のガイドマップをいただき、名産品を扱っているところを尋ねたところ、多くの職員が親切にアドバイスしてくれました。
 そのアドバイスに従い、役場の近くの手作りの土産品を販売している店で、【粘土づくりのシーサー】【ちんすこう】(沖縄特有のお菓子)を八重瀬町の記念の品としました。


沖縄観光「ひめゆりの塔」
 沖縄には戦争に関してたくさんの慰霊碑が存在しますが、「ひめゆりの塔」が特に人々に知られることになったのは、戦後いち早く小説となり、それが戯曲化されたり、映画化されたことによって全国的に知られることになったためのようです。

 私たちもその名に寄せられて立ち寄ったのですが、実際の塔は小さくひっそりという感じでした。しかし、観光客がびっしりでとても静かに当時に思いを馳せる、という雰囲気ではありませんでした。
       
       ※ ひめゆりの塔は写真の中でははっきりしません。

 塔の横に建つ「ひめゆり平和祈念資料館」にも立ち寄り、少しだけゆっくり見て回り、当時の悲惨さを感じることができました。
 館内では、おそらく「ひめゆり部隊」の中で生き延びることができた人でしょう、語り部として館を訪れた人に悲惨さを伝えていました。

 それにしても「ひめゆりの塔」の周りは完全に観光地化していました。
 土産物屋さんがずらりと並び、無料駐車場を謳って自らの駐車場に招き入れようとしているのです。
 沖縄に限らず、全国どこでもそうですが観光地のこうした業者の商魂には恐れ入ります。


田舎おじさん in 沖縄 21 南城市

2008-04-13 17:02:29 | 道外の旅

 南城市(なんじょうし)は、2006年に佐敷村、知念村、玉城村、大里村が合併して誕生した新しい市です。
       
     ※ 旧玉城村役場の庁舎を転用した南城市の市庁舎です。

 新しい市名をなぜ「南城」と名付けたのか、はっきりしたことは分かりませんでした。私が調べたことと想像したことをもとに推察すると、沖縄本島の南部に位置し、過去にたくさんのグスク(城)が存在した歴史ある町であることを市の名として表したかったのではないか、というのが私の推察です。
 私が調べたかぎりにおいて、南城市下には四つのグスク跡が史跡として整備されています。

 南城市では文化王国・玉泉洞おきなわワールドというなんだか沖縄のいろいろなものを詰め込んだようなテーマパークを訪れました。(これもクーポンがあったからなのですが)
 つまりここは、玉泉洞という鍾乳洞、ハブのショー、黒糖や薬草酒の工場、伝統工芸の工房、その他さまざまな沖縄を体験できる施設でした。
 その中でも、エイサーの舞いを見ることができましたが、なかなか見応えがありました。(後述します)

 南城市のsomethingは、玉泉洞の入り口で、【琉球王朝の正装をした女性と撮られた記念写真】を出口のところで買わされてしまい、それを記念の品としました。


沖縄観光「エイサーの舞い」
 エイサーとは、沖縄のお盆の時期に先祖の霊を供養するために踊られる伝統的な沖縄芸能の一つだそうです。
 主に青年たちが主体で、太鼓を抱えながら飛んだり、跳ねたり、回転したりと、ダイナミックで勇壮な踊りです。
       
       ※ ダイナミックで勇壮なエイサーの舞いです。

 私は上記したように、おきなわワールド内の観光客のために施設内の広場で披露するいわばプロのエイサーの舞いを見物しました。
 以前に経験ある妻が「すごいよ~」と言っていましたが、その言葉に違わずなかなか迫力のある舞いでした。
 太鼓の音が鳴り響く中、観光客用とはいえ踊り子たちは全身汗びっしょりになってエイサーの舞いを披露してくれました。

 沖縄では全島の各地で地域ごとのエイサーの催しがあり、それぞれの地域が特色ある舞いに進化し、またそれを競っているとも聞きました。

  歴史あるエイサーの舞いはダイナミックで勇壮なことが沖縄の若者に支持され、さらには地域ごとに進化発展することで、今や沖縄中を熱狂させる夏の風物詩となったようです。


田舎おじさん in 沖縄 20 与那原町

2008-04-12 17:53:45 | 道外の旅

 第四日目(3月14日)の行程は、沖縄本島南部の市町村を巡り、那覇市を目ざします。
 昨日北上した国道329号線を反対に南下して与那原町(よなばるちょう)が最初の訪問先となります。
       
       ※ 与那原町の役場庁舎前です。

 与那原町は太平洋岸に面した中城湾を埋め立て、東浜マリンタウンというニュータウンづくりを進めています。
 というのも、与那原町から那覇市の中心部までわずか10数キロという近さにあって、十分に通勤圏となる条件を備えているからでしょう。
 これからの発展が期待される町なのだと思われます。

 与那原町でのsomethingは、役場の方からアドバイスをいただいて、与那原海岸で収穫される天然の【与那原ひじき】をJA与那原の特産品売り場で買い求めることができました。


沖縄観光「美ら海水族館」
 「沖縄観光」というと、人によってさまざまにイメージするでしょうが、私にとってまず最初にイメージしたのは、この美ら海水族館でした。
 巨大水槽の中を悠々と泳ぐジンベイザメやマンタの映像は私に強烈な印象を与え、実際に行ってみたい!という欲求に駆られました。

 その美ら海水族館は、沖縄本島の北部、本部半島の突端にある沖縄海洋博記念公園の中の一つの施設としてあります。
 記念公園は広大で、私が計算したところ東京ドームのおよそ16個分という広さです。
 その中に、歴史・文化エリア、海のエリア、花・緑のエリアと配置されていて、数多くの施設が点在しています。
 とても短時間に巡ることができる公園ではありません。

 その中で私たちがただ一つ訪れた美ら海水族館でしたが、期待どおりの素晴らしい水族館でした。
 巨大水槽は本当にため息がでるほど大きなものでした。
 やや飼育している魚の数が多いかな?とも思いましたが、沖縄の海の一番良いところを切りとって、私たちが海底から見上げているという構図です。
       
 ※ ジンベイザメを見上げる人間と比較するとその大きさがお分かりになると思います。

 ちょうどジンベイザメに餌を与えているところでしたが、豪快な食事風景もまた見ものでした。
 美ら海水族館の素晴らしいところは、巨大水槽だけではなく、その他の水槽や展示物も充実していることでした。

  巨大水槽の中を悠々と泳ぐジンベイザメやマンタを飼育している美ら海水族館は一見の価値ありです。


※ 「負けても、負けても私はコンサを見放さない!」というようなブログタイトル名を想定しながら、今日ドームに向かいました。コンサイレブンには失礼ですが勝利することなどそれほど期待してはいませんでした。だって「腐っても磐田ですよ」せめてドローで勝ち点1でもというささやかな願いでした。それがどうでしょう。2対1の堂々の勝利です!私の目からは内容でも磐田を上回っているように映りました。チームが着実に前進してくれていることを感じます。これからも一進二退、いや一進三退くらいの試合が続くでしょうが、ドームに通い続け、コンサを支えます。


田舎おじさん in 沖縄 19 北中城村

2008-04-11 16:40:15 | 道外の旅

 北中城村(きたなかぐすくそん)の役場庁舎は、海沿いを走る国道329号線を一時外れて内陸に向かい、沖縄高速道と交差する近くにありました。
       
       ※ 北中城村の役場庁舎です。

 資料によると、村としては人口密度が1,380人ということで日本一だそうです。
 ちなみに札幌市の人口密度は1,677人ということですから、人口密度だけからみると札幌市並みということになります。

 また、北中城村は隣の中城村と合併して中城市となることを予定していたようですがご破算になったということです。
 北中城村のsomethingは役場の中で販売していた地元有志の方々が制作した【廃油を利用した石けん】としました。


大きな沖縄のお墓
 沖縄を車で走っていると、道路沿いに目に付くのが家のような形をした石(石灰岩)やコンクリートの塊です。
       
       ※ 沖縄の道路沿いでどこでも見られるお墓です。

 伺うとそれは沖縄のお墓だということなのです。
 お墓にしては私たちの常識からすると、ずいぶん大きな面積がありました。
 それが道路のところどころに見られるものですから、予備知識のなかった私は驚きました。

 帰宅してからいろいろ調べてみると、沖縄ではお墓に対する独特の文化が先祖代々伝わっているようです。
 お墓に大きな面積を取るのは、時期になると一族がそろってお墓の前で先祖の霊を弔うためにそうした広い場所が必要とも聞きました。

 ともかく、私にとっては珍しくも驚いた経験でしたが、一口にお墓といってもさまざまな大きさ、形があるようです。
 たくさんの沖縄のお墓を写真で紹介したHPがありますので、こちらを(⇒)クリックしてみてください。
 
 地域によるこうした風習のちがいというのは、私が知らないだけで多々あるのだと思います。そう考えると、国内を旅することへの興味がわいてきます。


※ 今日、私は初めての経験をしています。今日は早番の勤務で退勤したのですが、夜の会合があるために帰宅せず、このブログを某カフェに設置されているPCから投稿しています。自分のPCと異なり、苦労しながら原稿を作成しています。残念ながら写真は私の腕では投稿できませんので、帰宅してからアップしたいと思います。