札幌に転居して今日で一年となりました。
一年前の今日が懐かしく思い出されます。(一年前のブログはこちら⇒)
それから一年、私にとっては楽しく充実した一年だったと振り返っています。
一年が経ち、いろいろな意味でリニューアルし再出発をと思いますが、当面は今取り組んでいる沖縄レポートを完遂させることに力を注ぎたいと思います。
まだ半月以上かかりそうですが、沖縄レポートを完成させた後で改めて考えてみたいと思います。今しばらく沖縄レポートにお付き合いください。
沖縄本島の中部、東シナ海に面したリゾート地にあるのが恩納村(おんなそん)です。
村とはいえ、海岸線を走ると次から次へとリゾートホテルが林立しています。道路標識にそれぞれのホテルのプライベートビーチの名が表示されています。
さらにはリゾート客をあてこんだ飲食店や土産物屋などが村という寂しいイメージとは正反対の賑わいを見せています。
そんなリゾート街からは少し離れたところに恩納村役場はありました。
※ 写真は恩納村の役場庁舎です。
恩納村役場でガイドブックを入手した後、隣村(読谷村)との境界に近い農産物販売センター「なかゆくい」に立ち寄りました。ここで【恩納村に伝わる民謡を染め抜いた手ぬぐい】を恩納村の記念の品としました。
※ 「なかゆくい」とは、沖縄の方言で「ひとやすみ」という意味がだそうです。
立派な庁舎が多い沖縄の市町村
今回の沖縄レポートでも何度か触れていますが、沖縄の市町村の庁舎を巡っていて「立派な庁舎が多いなぁ」と率直に感じました。
「何故だろう?」と考え、私は一つの仮説を立てました。
それは「沖縄の人たちは、市町村の庁舎を現代のお城に見立てているのではないだろうか」というものです。
というのは、沖縄には琉球時代に自治制が発達し、各地にそれぞれグスクといわれる城が建てられていたからです。
そんな思いから調べてみると、世界遺産の「琉球王国のグスクおよび関連遺跡群」に登録されている五つの城跡をはじめとして、実に多くのグスク(城)跡が存在していることが分かりました。その数は私が調べたところ19に上ります。(実際にはもっと多くのグスクが存在していたのではないでしょうか)
つまり沖縄の人々は、古来からグスク(城)を中心にした生活が根付いていて、そうした発想が現代にも受け継がれているのではないかと思われるのです。
城跡などほとんどない北海道人にはけっしてできない発想でしょう。
さらに、私が仮説を立てたもう一つの理由は、次回の報告になりますが、読谷村役場を訪ねて触れた一つの宣言も重要なファクターとなっています。
少し長いレポートになりますが、私が調べることができた沖縄に存在する城(グスク)跡を列挙しておくことにします。( )内は現在の市町村名です。市町村の合併などによって名前がそぐわなくなっている城跡もあります。
◇今帰仁城跡(今帰仁村) ◇座気味城跡(読谷村)
◇勝連城跡(うるま市) ◇中城城跡(中城村)
◇首里城跡(那覇市) ※以上五つが世界遺産に登録されている城跡
◇伊祖城跡(浦添市) ◇浦添城跡(浦添市)
◇屋良城跡(嘉手納町) ◇安慶応名城跡(うるま市)
◇具志川城跡(糸満市) ◇喜屋武城跡(うるま市)
◇知花城跡(南城市) ◇知念城跡(南城市)
◇伊波城跡(うるま市) ◇名護城跡(名護市)
◇垣花城跡(南城市) ◇玉城城跡(南城市)
◇糸数城跡(南城市) ◇伊是名城跡(伊是名村)