田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

コンサドーレ再び単独首位へ

2016-07-21 21:23:28 | スポーツ & スポーツ観戦
 昨夜のコンサドーレは勝ち点同数の松本山雅FCとの首位決戦だった。疲れから足がつって途中退場者が出るほどの激闘を競り勝って、再び単独首位に躍り出た。コンササポにとってこれに優る喜びはないが、今後へ不安も垣間見せてくれた対松本戦だった。 

          
     ※ この日のMVPの都倉選手が、視察にやってきていた鈴木スポーツ庁々官から花束を渡されました。
          
 日本ハムの好調も続いているが、コンサドーレの健闘からも目が離せない。ただコンサの舞台はJ2ということで、いわばマイナーリーグのためマスメディアの扱いは小さいのだが…。

          
          ※ 相変わらず熱烈応援団のコンササポーターは熱い声援を送っていました。
          
 昨夜、今シーズン2度目となるドーム観戦に赴いた。好調コンサドーレイレブンの躍動をこの目で確かめたいと思ったからだ。
 私と同じような考えの人が多かったのだろうか?平日開催にもかかわらず、実に12,901人の入場者があったという。これは昨日開催したJ2の11試合最高の集客数である。
 小さな街(失礼!)松本市からやってきたサポーターの数も目立った。
 
          
          ※ 松本サポーターも遠路にもかかわらず大挙押し寄せ、熱心に声援を送っていました。

 午後7時のキックオフ。コンサドーレの先発イレブンは次のとおり。
 ◇GK 金山 隼樹
 ◇DF 菊地 直哉 
 ◇DF 増川 隆洋 
 ◇DF 福森 晃斗
 ◇MF マセード  
 ◇MF 深井 一希
 ◇MF 上里 一将
 ◇MF 荒馬 拓馬
 ◇MF ヘイス   
 ◇FW 都倉  賢
 ◇FW 内村 圭宏
 ベンチの控えは、GK 阿波加俊太、DF 櫛引一紀、MF 石井謙伍、MF 堀米悠斗、MF 河合竜二、MF ジュリーニョ、FW 菅大輝の7人だった。

 試合は既報のとおり、試合開始15分、荒馬からのきれいなセンタリングに都倉がここしかないというゴール左上隅に見事なヘディングを決めて先制し、その1点を守りきり勝利し、勝ち点を積み重ねた。勝ち点が同じだった松本山雅、セレッソ大阪が共に勝ち点を上げられなかったために、コンサドーレが単独首位に再び躍り出る結果となった。

          
          ※ 選手入場時、熱烈サポーター席にはビッグフラッグなどが掲げられました。

 ところが、試合内容はけっして褒められる内容ではなかった、というのが私の見方だ。
 試合は松本に押される場面が目立つ試合だった。
 松本イレブンのアグレッシブな攻勢に終始晒され続け、何度も何度もヒャッとする場面を見せつけられた。GK ク ソンユンの代役、金山が当たりに当たったことが幸いしたが、結果が逆になっても不思議でない試合展開だった。
 それでも勝ちきるところが今年の強さなのか?

          
          ※ 熱戦(苦戦?)を制し、健闘をたたえ合うコンサイレブンです。

 J2の戦いにおいて、前半を折り返して(全42試合のうち24試合を消化した)首位に立っているということは、気の早い話だがJ1が少し見えてきた感じがする。
 怪我をしている宮澤、進藤が還ってきて、小野、稲本がベンチにドカッと座ってイレブンに「喝!」を入れる体制が整ったとき、あるいは歓喜の瞬間を迎えることができるかもしれないという期待が、私の中では高まってきた。

※ ファン心理はいつも不安で、ネガティブなことを綴ろうかと思ったが、せっかく単独首位に立ったのだから、それに冷や水を浴びせるようなことは控えようとしたところ、面白味のない文章になってしまいました。

札幌グルメ紀行 25 リストランテ イル・フォーレ

2016-07-20 14:51:05 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 以前から気になっていた桑園の静かな住宅街の一角にある倉庫を改造した黄色い壁のイタリアンのお店をランチで訪れパスタを食した。 

 以前から気になっていた黄色い壁の色をしたイタリアン。なかなかの評判のお店と聞き、いつかは訪れたいと思っていたが、今回(7月19日)ようやくその思いが叶った。

          
          ※ 倉庫を改造したという外観がそのことを偲ばせますが、黄色い壁が素敵です。

 グルメ巡りについてはほとんどが妻からの提案によるものだが、今回もまた彼女から「あのイタリアンに行ってみますか?」という提案があり、断る理由などまったくない私は即座に賛成したのだった。
 我が家からそれほど遠くはないのだが、買い物のついでもあり、車で向かった。ちょうど正午ころだったのだが、意外にも駐車場はスムーズに入ることができた。

          
     ※ 入口の大きなドアが倉庫を偲ばせます。子どもではちょっと開けるのが難しいくらい重かった。

 お店の入口が面白かった。農家の倉庫を改造したということだったが、扉が大きい!大人が力を入れてようやく開けられるほど大きく重かった。
 店外の壁は可愛く黄色く塗られているが、店内は渋茶系を多用して落ち着いた雰囲気である。そして店内は吹き抜けの二階建てとなっており、1・2階とも客席があり、かなりの人が同時に食事を楽しめるようだ。
 この日は、車同様来客は少なめだった。(雨模様のため?)

          
          ※ 2階の店内の様子です。外観と違い、落ち着いた雰囲気です。

 スタッフからメニューが提示されたが、ランチとしてはA・B・Cの三タイプのランチがあった。私たちは背伸びせずに(?)Aランチ(1,166円)をオーダーすることにした。

 Aランチの内容は、チョイスパスタ、サラダ&フォカッチャ、チョイスドリンクという内容だった。

 チョイスパスタは、◇真イカのカラブレーゼ、◇真ダコと海老と生生姜のパスタ、◇ワタリガニのトマトソースパスタ、◇黒豚のスモークと小カブのトマトソースパスタ、◇冷静カルボナーラ、◇ベーコンと小海老、ホーレン草のクリームパスタ、の中からチョイスするシステムだった。
 私は「黒豚のスモークと小カブのトマトソースパスタ」を、妻は「ワタリガニのトマトソースパスタ」を選んだ。チョイスドリンクは二人とも「アイスコーヒー」にした。

          
          ※ まず出てきたのが、サラダ&フォカッチャでした。

          
          ※ メインの「黒豚のスモークと小カブのトマトソースパスタ」です。
           食べ物の写真がいつも美味しそうに写らないチャチなカメラが恨めしいです。

 オーダーして直ぐに、サラダとフォカッチャが運ばれてきた。サラダには特別印象はないが、フォカッチャは意外にしっかりとしたつくりで食べ応えがあった。できれば出来立ての温かいものを食したいと思ったが、それは贅沢な願いか?
 ほどなく、メインのパスタが運ばれてきた。
 パスタは硬すぎず、軟らかすぎず、適度な茹で具合でトマトソースもよく絡み美味しかった。黒豚のスモークもカブもトマトソースと良く合った。
 私の舌にはややトマトの酸味が強いかなとの印象もあったが、見方を変えればパンチの効いた酸味ということもいえるパスタだった。
 次に来店したときは、評判のホーレン草のクリームパスタを食してみようと、妻と話しながら店を出た。

          
          ※ 階段から1階のテーブル席を撮ったものです。

【リストランテ イル・フォーレ データー】
〒060-0000 北海道札幌市中央区北六条西15丁目3-9
電  話  011-633-4333
営業時間  ランチ (11:30~15:00)
      ディナー(17:00~22:00)
定休日   水曜日
駐車場   有(8台駐車可能)
座 席   不明だが、1・2階合わせるとかなりの席数有
入店日   ‘16/07/19

農業用ロボットの今

2016-07-19 18:46:15 | 大学公開講座
 農業従事者の減少、そして高齢化という背景の中、農作業機械の自動化の動きが加速化しているという。農業用ロボットの開発に携わる研究者から、農業用ロボットの今を聞いた。 

          
          ※ 北大校内の農場で行われた農業用ロボットの実証実験のときの様子です。
           左から、水田用のボート、小回りの効くトラクター、ヘリコプター、大型トラクターなど。

 北大全学企画公開講座「『国のかたち』を案ずる時代の知恵」もこの日(7月18日)は祝日とあって、一挙に第5講、第6講と二講座が開講された。
 まずは第5講座の「IT・ロボット技術が支える新しい農業の姿」と題して北大大学院農学研究院の野口伸教授の講義についてレポすることにする。

 野口教授はまず、日本農業の現状について触れた。日本農業は農業従事者の減少が続き一戸あたりの耕作面積が拡大傾向にあり、耕作放棄地も増大しているという。その上、従事者自体の高齢化も深刻な問題となっているとした。
 北海道では1990年から20年間で一戸当たりの経営耕作地は1.9倍まで増大し、今後さらに増える傾向にあり家族での経営では限界を迎え、労働者不足が深刻な状況にあるという。

 そうした背景の中、農業の世界においても農作業機械の自動化・ロボット化が加速しているという。
 その一例として、野口氏が関わる農業用トラクターの自動化の動きについて説明があった。

               
               ※ 講師の野口伸(のぐち のぼる)教授です。

 農業用トラクターについて現在、「オートステアリングシステム」は実用化の段階に入っているそうだ。
次の段階は「有人-無人協調作業システム」がここ1~2年を目途に開発が進んでいるらしい。このシステムは一人で2台のトラクターを操ることができるシステムだという。
 続いて、人間がトラクターには乗らない「無人作業システム」の段階を経て、4年後には「マルチロボット(遠隔監視による無人作業システム)」の開発を目ざしているとのことだった。
 つまり究極は、圃場から離れたロボット管制室から指令を出し、無人トラクターが作業の全てを行うことを目ざしているということである。

          
          ※ 良く見てください。手前のトラクターは無人です。「有人-無人協調作業システム」の実験です。

 その他、農業におけるさまざまな分野でロボット化の試みが増大しているようだが、一方でIT技術の活用により、プロ農家の「匠の技」を集積し、営農のノウハウをより多くの農業に携わる人たちが共有し、効率の良い農業を目指す取り組みも進められているという。

 私にとっても非常に興味深い内容ではあったが、農業の自動化・IT化を進めていくということは、一方で資本投資ということにもなってくる。となると、一農家が自動化・IT化を進めていくほど資金が潤沢だろうか、という問題が横たわっているように思える。
 そこで私としては珍しくも講師に質問させていただいた。
 「自動化・IT化となると、それなりに資金も必要となってくるが、一農家が負担できるような金額とは思えない。将来の農業の姿として株式会社の参入などということが現実化してくるのではないだろうか?しかし、そこには株式会社などの農業参入には法的な規制もあるとも聞くが、そのあたりはどうなのだろうか?」と…。

 それに対して講師は「専門外の問題ではあるが、当然将来は株式会社などの参入はあり得ることだ」という答えであった。
 TPP問題など、農業分野においてもグローバル化は避けられない状況であるが、はたして日本農業、そして北海道の農業はどこへ向かっていくのだろうか?
 道産子として心配でもあり、注視していかねばならない問題でもある。

映画 168 シチズンフォー/スノーデンの暴露

2016-07-18 20:50:07 | 映画観賞・感想

 エドワード・スノーデン…、2013年アメリカの二大情報機関であるCIA(中央情報局)とNSA(国家安全保障局)に属した男が、国家の秘密情報を内部資料と共に暴露し、全世界に衝撃を与えた張本人である。その暴露の様子をドキュメンタリーで追った迫真の記録映画である。 

               

 昨日(7月17日)午後、以前から気になっていたドキュメンタリー映画「シチズンフォー/スノーデンの暴露」を観るためシアターキノに赴いた。
 シアターキノは小さな劇場であるが、この映画はそれなりに注目を集めている映画と見え、満席の盛況だった。

 スノーデンの経歴を見ると特別のエリートではないが、若いにも関わらず(暴露当時30歳)紆余曲折を経て、アメリカの情報収集の中心であるCIA、およびNSAの情報収集活動に関わることになった。
 そこで見たCIAやNSAの実態にスノーデンは落胆したのだった。CIAやNSAの悪辣な行為や、一般市民の情報を国家レベルで収集していることに怒りを覚え、命を賭して告発する決心をしたのだ。

          

 スノーデンは告発を依頼する相手として、当時イラク戦争のドキュメンタリー映画をアメリカに批判的な立場で制作し、当局から睨まれていた映画監督コーラ・ポイトラスに委ねることにした。(コーラ監督は女性監督である)
 映画はスノーデンがコーラに電話をかけるところから始まる。つまり映画は、スノーデンの告発が世界を驚かせる前から始まっていたのだ。その電話をかけたときのスノーデンのコードネームがタイトルの「シチズンフォー」である。

 コーラ監督は、旧知のジャーナリストのグレン・グリーンウォルドを伴い、スノーデンを香港のホテルに呼び寄せ、そこでグレンを聴き手として彼の告発を聴くのだった。
 映画のほとんどは、香港のホテルでスノーデンが必死の決意で告発する様子に肉迫する。
 告発の内容は、NSA(国家安全保障局)が米国民の膨大な通信データを秘密裏に収集しているという衝撃的な事実だった。
 画面はスノーデンの神経質そうな表情を、拘束される恐れの表情を、そしてひしひしと迫る米国官憲の雰囲気を余すところなく映し出し、迫真のドキュメンタリーとなっている。

         
         ※ スノーデンの告発を聞くグレン・グリーンウォルド(中央)です。

 その後、危険が迫った香港のホテルを後にするのだが、カメラはそこから先へは追うことができなかった。
 香港を出たスノーデンは紆余曲折の末、ロシアへの入国を許可され、米国から恋人を呼び寄せ、静かに暮らしているところを遠景で映し出しているところでTHE ENDとなる。

 スノーデンはいまだにアメリカからは追われる身である。
 スノーデンの行為は、一人の人間としての義憤から出た行為だと理解できる面も確かにある。しかし、その行為は緊張関係が続く国際間において米国の威信を大きく傷つけることになったことも事実である。
 私がスノーデンの立場だったらどうしただろうか?
 映画を観た一人ひとりに鋭く問いかけてくる映画でもあった。


PMF2016 オープニング・コンサート

2016-07-17 22:07:05 | ステージ & エンターテイメント
 札幌の夏の風物詩としてすっかり定着した感のあるPacific Music Festival 2016がスタートした。昨日(16日)、スカッと晴れ上がった夏空の下でオープニング・コンサートが札幌芸術の森・野外ステージであった。ホールで聴くクラシックも良いが、野外もまた別の趣があって良いものだ。

          
            
 私にとって3度目となるが、PMFのオープニング・コンサートを友人と共に聴く機会を得た。実は、このオープニング・コンサートは無料で開放されているという嬉しいコンサートなのだ。
 この日は、大きく3部構成からなっていた。(プログラムに部構成では載っていなかったが…)

          
          ※ 会場に入場前にはアカデミー生のファンファーレによって開会が告げられました。

 最初がPMFの指導を担当するウィーンフィルの弦楽奏者で構成する弦楽四重奏(アンコールではコントラバスを加えて五重奏で)でハイドン作曲の「弦楽四重奏曲 へ長調 作品77-2『雲がゆくまで待とう』」が演奏された。

          
          ※ PMFウィーンと名付けられた弦楽四重奏の演奏です。

 続いて、やはりPMFの指導を担当するベルリンフィルの現役奏者を中心にベルリンからやってきた木管奏者が、木管五重奏によってモーツァルト作曲の歌劇「『コジ・ファン・トゥッテ』によるハルモニームジークから」をはじめ、計3曲を演奏した。

          
          ※ こちらはPMFベルリンと称された木管五重奏の演奏です。

 最後は総勢90名にもなる今回のPMFアカデミー生によるPMFオーケストラが、PMF
アカデミーの卒業生でもある原田慶太楼指揮で4曲演奏した。その4曲とは、
 (1)バーンスタイン作曲「『キャンデード』序曲」
 (2)ドビュッシー作曲「交響詩『海』から第2楽章『波の戯れ』」
 (3)ワーグナー作曲「歌劇『さまよえるオランダ人』序曲」
 (4)ヴェルディ作曲「歌劇『運命の力』序曲」
の4曲だった。

          
          ※ アカデミー生90名のオーケストラが奏でる音は迫力がありました。

 教授陣たちの演奏はさすがに安定した演奏ぶりが光った。本場ヨーロッパでも名門と呼ばれる交響楽団に在籍している奏者たちの演奏で贅沢なひと時だった。
 私が知るかぎり、ヴァイオリンのライナー・キュッヒル、ホルンのサラ・ウィルスなどは3年連続して来札し、指導されていると思う。札幌が気に入った?あるいはPMFのステータスが本場でも評価されている証拠だろうか?

 PMFオーケストラは、若さが前面に出た勢いのある演奏だった。まだところどころに綻びはみせるものの、まだ始まったばかりである。この一ヶ月半くらいで彼らはそれぞれ大きく成長してそれぞれの本国へ帰っていくのだろう。
 このPMFオーケストラで最も印象的だったのは、原田慶太楼の指揮だった。彼は現在、アメリカ・シンシナティフィルを中心に指揮活動をしているということだ。既成にとらわれないダイナミックな指揮ぶりが印象的だった。服装からしてアメリカナイズされていたが、その指揮ぶりはヨーロッパの指揮者では考えられないほど指揮台の上で躍動していた。

          
          ※ 司会からインタビューを受ける指揮の原田慶太楼氏です。服装がアメリカン?

          
          ※ 原田氏の躍動的な指揮をカメラに切り取るのは難しいですね。

 PMF2016は始まったばかりである。私はこの後二つのステージのチケットを購入している。さらにはこの後、市内各所で行われる無料のコンサートにもスケジュールが合うかぎり参加したいと思っている。
 札幌の夏の風物詩ともなったPMFをしっかり楽しもうと思っている。



戦後民主主義とは?

2016-07-16 23:53:22 | 大学公開講座
 国の行く末を巡り、その舵取りを担おうと権謀術数がうごめく政治の世界を読み解くことは、かくも難しいことなのかということを実感させられた。戦後70年とされる今、日本の民主主義はどこへ向かおうとしているのか?研究者の話を聞いた…。 

 北大全学企画公開講座「『国のかたち』を案ずる時代の知恵」第4回講座は、法学研究科の権左武志教授「戦後民主主義の思想と冷戦終焉後の変容」と題しての講義だった。
 そのタイトルからは“「国のかたち」を案ずる”という今回のシリーズの本丸ともいえる講義だったのだが、いかんせん私には難解を極めた。

          
          ※ この日も法学部の一年生が権左教授を、そして講義内容をレクチャしてくれました。

 ブログ作成でこれほど呻吟を極めたことも珍しい。何時間もパソコンの前に座ってあれこれと巡らせたが、つい匙を投げた。そこで恥かしながら、今回は権左教授が講義前に提示されたテキストを転写することでお茶を濁すことにする。少し長いですが一読していただけたらと思います。
 なお、権左教授は思想家であり、政治学者としても著名だった丸山眞男に深く傾注され、丸山眞男の著書を通して、戦後日本の民主主義を読み解かれたようです。

          
          ※ 講義をする権左武志教授です。

 昨年戦後70年を迎えた日本では、日米戦争の敗戦体験が様々に語られました。70年余り前に敗戦を経験した日本で、明治以来の近代化の歴史を振り返り、東西冷戦下に今後進むべき進路氏方向性を示そうとしたのが、丸山眞男(1914-1996)を始めとする知識人の戦後思想でした。この講義では、最初に、丸山眞男に代表される戦後民主主義の思想を振り返り、歴史的文脈の中で相対化して捉えるよう努めたいと思います。その上で、26年前の冷戦終焉が戦後思想をいかに大きく変容させたか、また冷戦終焉後の思想変容をいかに評価できるか、考えてみたいと思います。
 戦後思想は戦争体験を思想化したものだと言われています。戦後丸山の思想も、軍隊体験を踏まえ、日本国民を戦争に駆り立てた超ナショナリズムやファシズムの思想を分析し、その特質を欧州ナショナリズムやドイツ・ファシズムと対比して解明する作業から始まりました。そこで、日本の超ナショナリズムが欧州ナショナリズムと異なるのは、天皇中心の価値体系が対外膨張の推進力をなした点に求められ(「超国家主義の論理と心理」)、日本の戦争指導者が日米開戦の決定を果たした役割は、「神輿」「役人」「無法者」からなる無責任の体系と説明され(「軍国支配者の精神形態」)、日本のファシズム運動は、下からのファッショ化を抑圧して上からの国家統制を進めた「上からのファシズム」と特徴づけられます(「日本ファシズムの思想と運動」)。そして、日本ナショナリズムの発生は、西欧の衝撃に反応する外発的性格を持つ点で東アジアと共通する一方で、衝撃に対する反応の仕方から、上からの近代化に成功しつつ帝国主義と癒着した日本独自の発展が説明されます。(「日本におけるナショナリズム」)。そこには、(1)天皇制を支える前近代的神話・象徴体系がまだ解明されていない点、(2)明治ナショナリズムの健全性を評価し、ナショナリズムと民主革命の結合に期待する点、(3)フランスの内発型ナショナリズムをモデルとし、外発型ナショナリズムが敗戦体験を経てファシズムと結合する可能性を見逃している点を指摘できます。
 まもなく朝鮮戦争が始まり、東西冷戦が激化すると、丸山は、(1)東西二つの陣営が平和共存する可能性を説き、二つの世界に対する非武装中立の立場を唱えます(「三たび平和について」)。そして、(2)日本再軍備と共に始まった改憲論議では、憲法九条の平和主義を「政策決定の方向付け」を示す規定として擁護します。(「憲法九条をめぐる若干の考察」)。(3)とりわけ1960年の日米安保条約改定問題では、岸内閣による新安保条約の強行採決に対し、議会を翼賛体制化する議会制民主主義の危機として抗議します。(「この事態の政治学的問題点」)。そこには、東西冷戦が拡大する現実に対し、対米従属とは異なる戦後日本の別の可能性、自主独立の進路を指し示そうとする丸山の基本姿勢がうかがわれます。
 こうした戦後民主主義の思想は、30年後に東欧自由化とドイツ再統一で東西冷戦が終焉し、冷戦で封印されていたナショナリズムの力が解放されると、次第に、しかも着実に変容していきます。(1)湾岸戦争下の国際貢献論議は、「普通の国」として戦勝国と対等の地位へ復帰する敗戦国の新ナショナリズムを目覚めさせ、憲法九条と日米安保条約が共存する「九条=安保体制」の終焉が説かれました。(2)「戦争を知らない」68年世代からは、米軍占領下に新憲法が制定された「ねじれ」を解消する全面的憲法改正論が主張され、民主主義を愛国心と結合するという「愛国」論議が解禁されました。そして、(3)保守与党と革新野党が並存し続ける「55年体制」の戦後政を克服するため、小選挙区制を導入し、首相権限を強化し、政権交代可能な二大政党制を目指す「政治改革」の実験が、1993年の選挙制度改革以来続けられました。冷戦終焉後のこうした戦後思想の変容は、20年後の日本に何をもたらしたでしょうか、2012年以降、岸内閣を継承し、日米同盟の相互防衛化と全面的憲法改正を目指す政権が登場したことと何か関係があるのでしょうか、考えてみたいと思います。


          

 特に政治の世界とか、思想の分野は、それを説く立場によって主張が大きく食い違ってくる場合が多い。したがって、この権左教授の論もまた、一つの考え方ということもできる。
 権左教授のお話を聴きながら、戦後の日本が欧米の民主主義に倣いながらも、日本においては独特の「天皇制」が大きく横たわっているのかなぁ、という思いを強くした。
 現憲法においては、国民の「象徴」として政治的影響力を排除しているが、そのことが憲法改正論議の中でどう推移していくのか、注意深く見守りたい点の一つであると、この講義を受講して思った点の一つである。

北海道札幌視覚支援学校 見学

2016-07-15 23:36:09 | 札幌(圏)探訪
 昨年4月に、新たに統合開校した「北海道札幌視覚支援学校」を見学する機会を得た。理想的とも思える施設・設備の中で幼児から高校年代までの視覚障碍者が学ぶ一貫教育の現場を垣間見ることができた。 

          
          ※ 「北海道札幌視覚支援学校」の前景です。

 私が所属する退職組織の○○支部は、年に一度「会員研修会」を実施している。その内容は、市内の学校見学と施設見学を行うものである。
 本日(7月15日)午後、その研修会が実施されたのだが、今年の研修先は「北海道札幌視覚支援学校」と「山鼻屯田会館」だった。
 その中から「北海道札幌視覚支援学校」についてレポしたい。

          
          ※ この廊下の長さが100m超あるそうです。壁のところにガイドのための木枠があります。

          
          ※ 階段の手すりは多年齢の子が在籍するため二段になっています。

 「北海道札幌視覚支援学校」は、「北海道札幌盲学校」と「北海道高等盲学校」が統合して、昨年4月に現在地(中央区南14西12)に開校した新しい学校である。
 児童生徒は幼稚部、小学部、中学部、高等部普通部、高等部専攻科に合せて100名が在籍しているという。
 幼稚部は3歳以上から入学可能だそうだ。また、高等部専攻科とは、高等部普通部を卒業し、あん摩・マッサージ・指圧、はり、きゅうの専門知識と技術を3年間で学んで国家試験の受験資格を取得できる学科だそうだ。

          
          ※ この教室は高等部普通部の教室だったと思います。
         
 学校の概要の説明を受けた後、学校内を巡って見学した。
 その印象を一言で表現すると「ひじょ~に広い」という印象だった。3階建ての校舎・宿舎が敷地内に縦横に建てられている。学校のHPによると、廊下の直線は114mもあるそうだ。
 そこには一般の小・中・高等学校の施設・設備に、視覚障碍者の教育のための各種教室・設備が完備されていた。

          
          ※ 実習室の一つですね。

 特徴的だったのは、体育館の壁が衝突しても安全なように柔らかな素材でできていたこと。さらに体育館2階にはランニングスペースがあったが、そこには一人でも安全にランニングができるような装置(ガイドレール?)が取り付けられていた。

          
          ※ 体育館の壁は柔らかな素材で覆われていました。

          
          ※ ランニングスペースのガイドレール(?)です。

 さらには図書館である。視覚障碍者の図書館であるから、点字図書がたくさん並べられていたが、これらは点字翻訳のボランティアの方々の協力によって充実が図られているとのことだった。

          
          ※ 点字を打つ機械です。(名称は何というのでしょうか?)

 専攻科の生徒があん摩・マッサージなどの実習をする教室や設備も充実しているようだった。

          
          ※ 児童生徒の寄宿舎の廊下です。寄宿生は64名だそうです。
          
 私が今回の見学で最も驚き、そして納得したのが職員数の多さだった。資料によると、132名とあった。中には学校医のように非常勤の方もいるが、児童・生徒100人に対して132名である。寄宿舎を併設しているためその職員も含まれるが、子ども一人に職員一人以上である。
 この職員数の多さに、視覚障碍者を教育することの大変さが表れていると思った。
 視覚障害という大変なハンディを抱えた児童生徒を社会人として巣立たたせるために、関係者が努力されている現場を垣間見せていただいた思いだった。

子育てと貧困問題

2016-07-14 14:49:59 | 大学公開講座
 学校給食費とか、高校授業料の滞納という問題は収入が低いほど滞納傾向があると講師は指摘する。一見、当たり前のようにも思えるのだが、そこに問題が存在するという。講師はそこに社会的制度が問題として存在するというのだが…。 

 7月11日(月)夜、北大公開講座「『国のかたち』を案ずる時代の知恵」の第三講は、教育研究院の鳥山まどか准教授「現代日本における子育てとお金」 と題して講義された。

          
          ※ 講義中の鳥山氏です。写真が不鮮明なのは鳥山氏には申し訳ない。

 鳥山氏は次のように問題提起する。
 「滞納」問題は、「だらしがないから」、「やりくりが下手だから」滞納する。あるいは優先すべき・支払うべきものを支払う意思に欠ける人の問題、つまり滞納は家計管理能力の欠如や個人のモラルの問題だとする新聞報道などが多いようだが、はたしてそうだろうか?というのが鳥山氏の問題提起である。

 鳥山氏たち関係者が子育て世代を対象としたいくつかの調査結果からは、収入が低い世帯ほど滞納体験が多い傾向が見られる結果が出たという。つまり、滞納問題は単に家計管理能力の欠如とか、モラルの問題だけではなく、その背景には低収入の問題があるという。

 ここで鳥山氏は「社会的固定費」という言葉を提示した。この言葉は必ずしも広く認知された言葉ではないようで、鳥山氏の造語だという。
 鳥山氏は「社会的固定費」を次のように定義する。社会的固定費とは、家計管理者の自由裁量がほとんどないもの、その代表的にものとして水道光熱費、電話代、社会保険料などがあるという。さらには、住居費や教育費もここに含まれるとした。

 つまり、収入の多寡に関わらず家庭における「社会的固定費」には家庭のよる差は大きくなく、そのため低収入家庭ほど自由裁量の金額が低くなるとした。しかし、このこと自体については私も漠然としてはいたが認識していたつもりである。
 鳥山氏は、家庭における「社会的固定費」が過去と比べると、その割合が大きくなったと言いたかったのか?(その点は不明確)

 さらに鳥山氏は、家計の支出における「時間の硬直性」に言及した。
 社会的固定費の支払いの多くは、口座引き落としが主流となっているという。このこと自体は利便性が増したのだが、このことが支払日・支払期限の明確化・固定化・厳格化を招いているとした。
 こうした現状の中、固定的な収入のある家庭においては、毎月口座に補てんすることによって格別困難は生じない。しかし、雇用が不安定な家庭においては収入に変動があると金額と期限が固定的な支払いに対応することが難しい現状があるとした。

 非正規雇用が拡大している社会の現状に対して、滞納問題の背景にはこうした社会的制度にも問題が潜んでいると鳥山氏は指摘した。

 鳥山氏の分析と考察を伺いながら、私は半分納得しながら、半分は首を捻る思いで聞いていた。というのも、私の体験で給食費の未納問題でとても苦労した経験があった。その時感じたのは、明らかに支払える能力を有しながら、罰則のない仕組みの中で逃れようとする存在の方々が少なからずいたという事実である。
 だから、このような考察や主張が、そうした人たちを利することに繋がらねばよいのだが、という思いを一方では持ちながら拝聴していた。
            
          

 今回の全学企画講座「『国かたち』を案ずる時代の知恵」では、面白い企画を実施している。それは、今年度の北大新入生が事前に講師にインタビューをして、講師の人となり、講義の内容などについて、講義前に私たちにレクチャーしてくれるという取り組みを行っている。これがなかなか良いのだ。
 新入生にとって、インタビュー能力やそれをまとめる力を養う良い機会となっている。聞く方の私たちは、彼らがどのように講師を紹介し、講義内容をレクチャーしてくれるのか、非常興味深い時間となっている。
 企画者のグッジョブてある。

映画 167 男はつらいよ 翔んでる寅次郎

2016-07-13 17:12:37 | 映画観賞・感想

 ご存じ渥美清演ずる「男はつらいよ」シリーズの第23作である。1970年末“翔んでる女”という言葉が流行していたが、その代表格でもあった桃井かおりをマドンナに迎え、翔んでる女ならぬ“翔んでる寅次郎”と洒落た映画であるが、山田洋二の脚本が冴えわたっていた映画でもあった。 

               

 7月11日(月)午後、「めだかの学校」の「映画の中の北海道~昭和編」で取り上げられたのは、タイトルのように「男はつらいよ 翔んでる寅次郎」だった。
 
 この作品は1979(昭和54)年、シリーズ全48作の中の23作目として制作された。脚本の山田監督も、主演の渥美清も脂の乗り切った時期の作品の一つで、観客動員も172万人を数えたという。
 北海道との関係では、寅さんがテキヤを開業する白老町・虎杖浜、寅さんがマドンナのひとみ(桃井かおり)と出会う支笏湖が映画に登場する。

          

 ストーリーは、例によって例のごとく…。寅さんが一人かん違いからひとみに恋心を抱くが、ひとみは自らの幸せを見つけて寅さんから去って行く…。男はつらいのだ!

          

 映画の見どころはたくさんあるが、この作品の一番の見所はなんと言っても寅とさくら(倍賞千恵子)がマドンナであるひとみの結婚式の仲人を勤めるシーンである。自分の結婚もできない男が仲人をするまでの顛末が山あり谷ありのストーリーが楽しかった。
 その仲人を務めた結婚式は、わけありのため新婚夫妻の両親は出席していない。新郎・邦夫(布施明)の妹の京子(戸川京子)がただ一人血縁者として出席し、親族代表の挨拶をするのだが、このセリフに飾りがなくて実にいい。山田洋二は次のように京子に語らせた。
「本当は私の父がご挨拶をしなければいけないんですけど、兄は勘当されているので両親とも来ないんです。私も…、行っちゃいけないと父は言いましたが、それは私の自由だと思うんです。お兄さんとひとみさんは、一度結婚しておいて、また今度結婚するなんて、ちょっとおかしいみたいだけど、私はそう思いません。とっても素敵だなあって思ってます。お兄ちゃん、ひとみさん、おめでとう」

          

 良家の子女同士だった邦夫とひとみの結婚式は、その結婚に疑問を抱いたひとみが式場から逃げ出し、両親を激怒させる。それでもひとみに思いを寄せる邦夫にひとみは考えを改め、再び結婚するというところが、この映画の核である。
 終始笑わせながらも、ホロッとさせる終末を用意している寅さん映画らしい構成である。
 そして、またも振られた(?)寅さんは北海道・支笏湖に赴き、遠くから邦夫・ひとみ夫妻を案ずるところでTHE ENDとなった。

             

 ギネスブックにも登録になったという48作ものシリーズ映画がはたして今後誕生することがあるのだろうか?


北海道低山紀行 63 砥石山〈中ノ沢コース〉(826.3m)

2016-07-12 22:33:53 | 北海道低山紀行 & Other
 キツネか、タヌキに騙されたのでは、と思いながら登り続けた50分間だった。目ざした〔T4分岐〕にいくら登っても達しない。不安な気持ちを持ちながらの登山だったが、結局は私のミスが起こした珍事件(?)だった。
 

 スカッと晴れた青空が私を山に招いた。
 当初はニセコ連峰をと思っていたのだが、現地の天気予報がイマイチだったため、過去に一度登ったことのある砥石山に変えた。ただし、前回は〔小林峠コース〕だったが、今回は初めての〔中ノ沢コース〕から登ることにした。
 いつも初めてのところは、登山口に到るまでが一苦労である。今回もスムーズに登山口には至らず行ったり来たりした末、なんとか登山口に辿り着いた。

          
          ※ 登山口の駐車場はご覧のように広々としていました。

          
          ※ 登山口に登山届の記帳所などはなく、直ぐにスタートです。

 登山口には滑滝(なめたき)と言われる小さな「八垂別ノ滝(はったりべつのたき)」がある。それを撮影していざ出発である。

          
          ※ 登山口横にあった「八垂別ノ滝」です。

 登りはじめは沢の流れを聞きながらの沢コースが続く。樹間を行くコースは陽射しを遮り、斜度も緩やかで快適なトレッキングコースが続く。
 登り始めて30分、徐々に斜度がついてきた。コースは沢から尾根に向かうが、急坂のためジグを切りながらの登りが続く。

          
          ※ 最初は沢沿いを流れの音を耳にしながらのトレッキングが続きます。

          
          ※ 写真のような立派な木橋を5~6回渡ったでしょうか?

          
          ※ 沢コースと別れ、本格的な上りが始まりました。前方に女性が二人見えます。

 急坂を上りきったのが登山を開始して60分前後だった。
 ガイドブックでは、60分程度で〔小林峠コース〕との合流点〔T4分岐〕があるはずである。私の足では標準時間より多少遅めだろう、と予想しながらT4分岐を目ざした。
 ところがコースが急激に下り始めた。せっかく急坂を上ったのに、と思いながら先を急いだ。行けども、行けどもT4分岐に到達しない。
 90分を過ぎてもまだ至らない。これはキツネか、タヌキに騙されたのでは?と半ば本気で思い始めた。
 時間は早く、天気も上々、コースには踏み跡もしっかり残っているため、ともかく行けるところまで行ってみよう、と登り続けた。

          
          ※ これはもうT4分岐を過ぎて、本格的な登りに入ったところです。

 不安もMAXになりかけた50分後、突然目の前に「三角山」の標識が目に入った。三角山は、この日の登山で私が第二の目標地点にしたところである。ということは、正規の登山道を踏み外しているわけではないことがこの時点で分かり、ホッとした私だった。となると、T4分岐はどうしたのだ?

          
          ※ 不安な気持ちを抱きながら50分、この案内板を見た時は正直ホッとしました。

          
          ※ ホッとして上を見上げると、見事な青空が広がっていました。

          
          ※ 三角山々頂の小さな山頂標識です。

          
          ※ 三角山々頂のほうが砥石山より眺望が良かったようです。写真は藤野方面を写したものです。

 正規の登山道だったことが判明し、安心して砥石山々頂を目ざした。
 山頂近くになって、一人の男性が山を下りてきた。その男性に話しかけた。「T4分岐を見かけなかったのですが…」と。すると彼の男性は砥石山を何度も登っている方だったが、彼も「初めの時、私も気付きませんでした」という。「T4分岐は急激に下る前のところにありますよ。下山の時には必ず気付きます」とアドバイスをいただいた。

          
          ※ 砥石山々頂を目ざした最後の登りです。

 途中の不安な50分間を含め、登山口から130分(2時間10分)後に無事砥石山々頂に立った。
 この日は男性3人、女性2人の計5人の登山者と出会ったが、私のスタートが遅かったため、皆下山していて山頂は私の独り占めだった。風もなく、快晴の山頂でゆったり40分寛いだ後、下山した。

          
          ※ 登り始めて130分後、砥石山々頂に立ちました。

          
     ※ 砥石山々頂はご覧のようにちょっとした広場になっていました。しかし、木が眺望を邪魔しています。

          
          ※ 樹間から藤野のフッズスキー場が見えます。

 下山時、問題の〔T4分岐〕を検証したが、なるほど〔中ノ沢コース〕からは気付きにくい構造になっていた。分岐はT字型ではなく、Y字型であり前方に注意を払っていると気付かない構造だった。それにしても登山道脇には立派な案内板が立っていたのに、それを見逃してしまったのは、よほど前だけを見つめて登っていたのだろうか?

          
          ※ T4分岐です。前方の上りが小林峠コース。右側に細く見えるのが北ノ沢コースです。
 これを北ノ沢コースから登ってきたら、小林峠コースは目に入りませんねぇ…。

          
          ※ それにしてもコース脇の案内板が目に入らなかったとは…。(トホホッ…)

 砥石山の中ノ沢コースは、登山コースとしてはある意味理想的なコースの一つと言えるかもしれない。
 それは私の足で登り始めから30分間はとても緩やかな沢伝いのトレッキングコースが続いた。そこで足慣らしができた後、徐々に斜度が付き、そして急坂に取り付きジグを切る上りが30分間続いてT4分岐に到る。
 T4分岐に到った後は、尾根コースなのであるがこのコースは、上り下りがあったり、急登があったりと変化に富みながら頂上へ導かれるという。コースが大きく三分割され、徐々に難しくなっている構成になっていて、これは登山コースとしては理想の一つではないだろうか?

 また、登山道は〔小林峠コース〕よりも整備されている印象だった。どうやら砥石山はこちらがメインのコースのようだ。
 面白いというか、むしろ当然なのであるが興味深い現象に出合った。コース全体は樹間コースなのだが、ところどころで樹が生えていなく青空が望めるところもあった。そうしたところでは、コースを草が塞ぐように覆ってしまっているところがある。これはコースを管理する山岳会や関係者が春に草刈りをしたにも関わらず、陽があたるため雑草が勢いよく伸びた結果だと思われた。樹間は草もなく快適なのだが、樹の無いところでは雑草が勢いよく繁茂し、草をかき分けながら進まねばならなかった。

          
          ※ ご覧のようにコースが完全に雑草に覆われているところもありました。
 
 この日の私は、前回の登山の反省もあり、登りでMAXまで力を使わないように慎重に登ることに徹した。したがって、全身汗まみれにはなったものの、辛さを感ずることなく登山を楽しむことができた。
 登山後はいつものように膝に疲れは残っているものの、自分をコントロールしながら登ることができたことに満足している。さあ、次はどこを目ざそうか?

【砥石山〈中ノ沢コース〉 登山データ】
標 高  826.3m (標高差  616m)
駐車場  登山口のところに20台以上駐車できる駐車場有
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     登山口→(1時間50分)→三角山→(20分)→砥石山々頂→(25分)→三角山→(25分)→T4分岐→(45分)→登山口
時 間  上り(2時間10分) 下り(1時間55分)
天 候  晴、無風
登山日  ‘16/07/12