田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ワンコインランチ紀行 15 札幌第一合同庁舎 喫茶「祭」

2017-12-11 19:21:46 | ワンコインランチ紀行 
 久々のワンコインランチ紀行である。第一合同庁舎の食堂と思い込んでいたのだが、食事を終えてから改めて周りを見ると、別のところに大きな食堂があった。私は食堂に併設されていた喫茶室で昼食を摂ったことを思い知ったのだった…。 

                                  

 この日(12月8日)札幌市内は激しく雪が降っていた。かでる2・7での会議を終えた私は、雪を避けて地下道を使って札幌駅の北口にある第一合同庁舎に向かった。
 第一合同庁舎は、他の国の合同庁舎(第二、第三)同様、入館するには受付で「食堂に行きたい」旨を申告して、プレートを下げて入館する方法だった。

                              

 食堂は地下一階に配置されていた。
 着いたときは12時30分前後だったため、券売機の前にはまだ食事をしようとする人たちがたくさんいた。
 券売機は4台ほどあったようだが、私は一番空いていた券売機の前に立った。するとそこには二種類のメニューだけの券売機だった。 
 「日替り弁当(500円)」と「祭弁当(500円)」の二種類だけが販売されていた。
 券売機の横のサンプルを見て、私は「日替り弁当」を頼むことにした。

               

 食堂内に入ると昼時とあってほとんどの席は埋まっていたが、なんとか空いていた席を見つけることができた。
 周りを見ると、誰もが「日替り弁当」か「祭弁当」だった。
 ほどなくオーダーした「日替り弁当」が運ばれてきたが、なかなかバラエティに富んだ内容だった。以下、「日替り弁当」の内容を記すと…。

               

 ◇鶏の唐揚げ(3塊)、◇野菜サラダ、◇麻婆那須、◇卵焼き、◇紅じゃけ、◇ウインナー、◇かまぼこ、◇スパゲッティサラダ、◇漬物、◇塩ラーメン(お椀サイズ)、◇白飯
と、文字に表すとなかなかの内容であり、これで500円はお得感満載という感じだった。
 ただし、紅じゃけなどは芸術的な薄さだったけれど…。

               

 私としては、ワンコインの昼食としては、手稲区役所食堂の「ザンタレ定食」以来かな?と思えるほどの満足感で食堂の外へ出たところ、なんと壁には「祭」と壁に表示されているではないか! そして、その対面には大きな食堂があることにその時気付いた。
 私は、第一合同庁舎の食堂ではなく、喫茶室に入っていたことをその時気付かされた。
 確かに喫茶室の昼食でワンコインランチであったことには間違いないが、私として第一合同庁舎食堂を訪れるというミッションは次への課題となった。

               

【札幌第一合同庁舎 喫茶「祭」 データー】
札幌市北区北八条西2 札幌第1合同庁舎 B1F
電  話   非公開
営業時間   11:00~15:00
定休日    土・日・祝日
座  席   40席 (全てテーブル席)
駐車場    有
入店日   ‘17/12/08


ふくしまの今を知りたいと思ったが…

2017-12-10 16:04:39 | 講演・講義・フォーラム等
 講演や講座の講師を依頼した際、主催する側が思い描いていたような内容であれば主催した側としては意味があるのだが、もし思惑と違っていた場合は思わぬ臍を噛む結果となってしまう。今回の場合もその一例のような気がするのだが…。 

 12月6日(水)午後、道立消費生活センターにおいて12月の「くらしのセミナー」が開催された。
 今回のテーマが「ふくしまからはじめよう『ふくしまの今を語る人』」というテーマに興味をもったので受講を決めた。
 テーマを見たとき、2011年3月11日のあの大震災から間もなく7年、特に原発被害に泣かされた福島は今どうなっているのだろう、その現状を少しでも知りたいと思い、福島の方から直接聞いてみたいと思ったのだ。
 
 講師は、福島で米作を営む伊藤俊彦氏という方だった。伊藤氏は米作農家というよりも農業を企業化してジェイ・ラップKKという会社を経営する社長という肩書の方だった。
 外見も農家のおやじさんというよりは、オーナー経営者といった感じの60歳のナイスシニアである。
 講師は、福島県の産物に原発の影響はもはやないことを全国にPRする県外派遣事業の一環として派遣された方のようだった。

               

 伊藤氏の話は難しい放射能の話から入っていった。曰く「生物の放射線に対する感受性は動物が最も耐性がなく、植物は耐性がある生物である」とか、チェルノブイリにおいて原発事故後70年間の推移を見ると、「事故後1~2ヵ月の間に70年間の40%の被爆線量が放出される」(この部分は私が分かった部分)等々、延々と放射能についてのいわば専門的な話が続いた。
 伊藤氏にとっては、生業である米に放射能が与える影響について、真剣に学んだのであろうことは容易に想像がつく。しかし、それはにわか仕込みの知識であり、生煮えの感は否めない。その知識を延々と聞かされる私には辛さしか感ずることができなかった。

 受講者は主婦層と私のようなシニア世代ばかりである。
 私が聞きたかったのは、福島の被災者たちがいかなる被害を被ったのか? そしてそこからどのようにして再起を図ったのか? そして今福島の人は、福島の産品は? といった話を聞きたかった。
 もちろん話が情緒的に流されることは避けなければならないが…。

               
 
 伊藤氏の話の後半は、氏の会社が福島だけではなく、遠くヴェトナムまで進出して米作をしていることを誇らしげに話された。

 果たして主催された道立消費生活センターは、今回のセミナーを成功と位置付けるのだろうか? まあ、私ほどの思いはないにせよ、思惑との違いを感じられたのではないだろうか?
 数多く講演や講座を受けていると、こうしたケースにあたることもままあることである。


改めてデスティネーション・マネジメントを考える

2017-12-09 20:16:29 | 大学公開講座
 これまで3度にわたってデスティネーション・マネジメント(DM)について講義を受けてきたが、今一つモヤモヤとしたところがあった。今回、西山教授の講義を受け、そこのところが少しは氷解した思いである。 

 12月7日(木)夜、北大観光学高等教育センター(CATS)が主催する「デスティネーション・マネジメントと地域のこれから」と題する公開講座の第4講があった。
 今回の講師は、観光学高等教育センターのセンター長を務める西山徳明教授「北海道大学の観光創造学とデスティネーション・マネジメント・オーガニゼーション(DMO)」と題して講義された。

                  

 実は、このシリーズの最初の講義をする予定だったのが西山教授だった。というのも、西山教授の講義が、センター長としてこのシリーズ全体の趣旨を説明することになっていたようなのだ。ところが、西山教授の都合により、第4回目での講義となったしまったということだ。
 
 西山教授の講義は明解だった。
 これまでの日本では、「旅行は観光業界(旅行業・運輸業・宿泊業)つくるもの」という常識がまかり通り、観光業界と観光地域は支配・被支配の関係にあったと断じた。
 典型的な例としては、旅行会社がコースを設定し、他社とダンピング競争を展開するが、その際に旅行会社は観光地域にあるホテル・旅館、あるいは観光施設に対して、徹底的にダンピングを強いていたのが実態だった。(観光業界の宿泊業とは大手のホテルを指し、観光地域にある地元資本のホテル・旅館を指すのではない)

 そうしたこれまでの関係を、これからの日本では、観光地域は自らをDestination=観光目的地と据える戦略的視点からDMOを経営の中心とするように整備すべき、というのがDMOを推進する側の主張である。
 そのDMOの役割であるが、西山氏によると次の3点があるという。
 ① 官民協働・相互尊重の理念に基づき、地域における観光開発の公益性を宣言する将来ビジョンを描き、経営の継続性を担保するマスタープランをつくる。
 ② コミュニティ・行政とともに自律的な観光開発を実践する。
 ③ 観光に関する地域の利益を代表し、外部のステークホルダー(外部資本や観光業界)との関係を調整する。
 誤解を恐れずに私流に翻訳すれば、これまでの観光地域は、観光業界の要求に応えることに精一杯だったが、これからは地域自らが地域の発展のために、官民が協働して組織する自律的な組織づくりを図っていくべきである、という主張と受け止めた。

 ここまで聞いていて、私は最近道内の市町村において、観光協会などが事務局長職を公募している例を聞くことが多くなっていることに気が付いた。あるいは、この例もDMOを意識した人選なのかな?と思ったのだが…。

            

 西山氏は現在の日本においてDMO的な動きを見せる観光地として「白川郷合掌造り保存財団」の名を挙げた。白川郷では、自らの地域の魅力を発信するだけでなく、その保存・維持のために財政的な裏付けも含めて官民挙げて取り組んでいるということだ。
 また、沖縄・竹富島においても地域住民の中にそうした芽が芽生えつつあるとした。

 さらに、北大においては地域にDMOの動きを加速させるために「デスティネーション・マネージャー育成のための履修証明プログラム」を今年度スタートさせたそうだ。
 これまでの講義で旅の姿が変わりつつあることについて各講師が触れてくれたが、そうした旅人を受け入れる地域も少しずつ変わっていくのかもしれない…。

映画 201 探偵はBARにいる 3

2017-12-08 22:22:35 | 映画観賞・感想

 久しぶりのエンターテイメント映画である。大泉洋と松田龍平の名コンビが放つ第3弾であるが、ハードボイルドで、コミカルで…、今回も十分に楽しめた。際立ったのは北川景子の美しさであり、カッコ良さだった。 

                    
                    ※ 本日使用の写真はすべてウェブ上から拝借した。

 今日(12月8日)午後、シネマフロンティアに足を運んだ。12月1日に封切ということでできるだけ早く、と思っていたのだが今日ようやく叶った。
 平日の午後であったにもかかわらず、客は8割くらいの入りで、札幌での大泉の人気をうかがわせた。

 ストーリーは、YAHOO映画のものを拝借すると「ある日、高田(松田龍平)が探偵(大泉洋)に、行方不明になった大学生の麗子(前田敦子)の捜索話を持ってくる。調査を進めていくと、彼らはモデル事務所の美人オーナー・マリ(北川景子)にたどり着く。探偵と高田はミステリアスなマリに振り回されるうちに、やがて大きな事件に巻き込まれ……」ということなのだが、これまで同様ススキノを舞台として大泉洋と松田龍平が暴れまわるといったストーリー展開である。

                         

 大泉洋のコミカルさと、カッコ良さを相交えたような演技と、松田龍平の一見ボーッとしたような天然さが何ともいえない味を出している。
 そしてそこに絡む北川景子である。彼女は今や女優として当代随一といってよいほどの存在ではないだろうか?本作においてもその美しさと妖艶さが際立っていた。特に、ストーリー後半(サッポロファクトリーのアトリウムで)で拳銃をぶっ放すシーンは圧巻である。
 この作品は前作でも感じたが女優のキャスティングが素晴らしいと思う。前作の尾野真知子もとてもいい味を出していた。

                              

 ところで、私は前作のときも、前々作のときも、その感想で大泉洋とハードボイルドには違和感を抱くと記したのだが、どうやら前言を撤回しなくてはならないようだ。
 ここまでシリーズ化されるということは、ファンの方たちが彼のハードボイルドぶりも支持しているということの証だと思われるからだ。
 私からその思いが払しょくされたかと問われると、やっぱり本作を観終えた後でもその思いを完全に拭い去れたとは言い難いのも事実である。

 しかし、エンターテイメント性の高い映画は、映画を観ながら楽しむことができればOKである。その点では、今回も十分に楽しませてもらった映画だった。


やせ細る日本人の魚食文化

2017-12-07 16:36:30 | 講演・講義・フォーラム等
 日本人の食の変化についてはいろいろ論じられているが、その中でも顕著なのが魚離れだという。特に鮮魚販売の低迷が深刻であると講師はいう。豊かな生活とは、豊かな食生活にあるのではないか、と講師は主張するのだが…。 

 12月5日(火)午後、道民カレッジが直接主催する「ほっかいどう学 かでる講座」の今年度第10回講座が開催された。
 今年度最終回となる今回は「現代の魚食と日本社会」と題して、北海学園大学の濱田武士教授が講師を務めた。
 濱田氏は、地域経済学が専門とのことだが、もともと北大水産学部の出身で、東京水産大学、東京海洋大学などで教鞭をとられたかたで、海に関心が高い方のようである。

               

 日本人の食生活における素材別摂取の推移(食費支出)を見てみると、1963(昭和38)年から1975(昭和50)年にかけて、穀類の支出が激減している。一方魚介類は1975(昭和50)年から1985(昭和60)年をピークに減少し続けている。肉類には大きな変化はないようだが、外食は1963(昭和38)年以降上がり続けている、というのが大きな流れである。

 こうした傾向の背景について、濱田氏は生活様式の変化を挙げている。
 つまり、核家族化が進んだこと。そのことが個食、孤食に繋がっていること。さらには生活の時間的規律がなくってきたこと。それに対応する小売業界の簡便性食品、レトルト食品、調理済み食品などの多様化などしてきているという。
 そして、人々が料理をしなくなる ⇒ したくなくなる ⇒ 身につかない ⇒ 興味がなくなる のスパイラルに陥り、料理が伝承されなくなってきていると指摘する。

 濱田氏はこの傾向を嘆き、魚食においては生活様式の変化によってさらに顕著であると嘆いた。
 つまり、魚を尾頭付きで販売する鮮魚店などは衰退と一途を辿っているという。魚を捌けば生ゴミがでる、焼けば煙が出る、など都市生活者にとっては面倒であること。忙しい暮らしが、調理済み食品を多用するなど、食の簡便化、簡素化が進み、楽な食へと流れる傾向があり、魚の魅力は鮮魚にあったものが忘れ去られようとしていると嘆いた。
 そして濱田氏は、豊かな食生活を見直そうと訴えた。

               

 しかし、と私は考える。
 濱田氏の嘆きはごもっともと思う。確かに現代の日本人の食生活はけっして褒められたものとは言えないかもしれない。
 しかし、時計の針を反対に進めることはできない。時代は人々の生活を確実に快適なものへと進展させてきている。人々は手に入れた快適な生活を手放すだろうか?そんなことはあり得ない。濱田氏もそのことは重々承知のうえで、現代人に警鐘を鳴らしたのだろうと私は理解した。

 濱田氏が面白い統計を示してくれた。
 寿司店での消費支出の推移である。1992(平成4)年以降、右肩下がりで下がり続けているのだ。私は少し意外な気がした。回転寿司などの普及で、寿司食の庶民化が一気に進み、支出は増大していると思っていたが、そうではなかったという統計である。
 業界の努力(時代の進展)によって、高級食品と言われていた寿司店の庶民化が進んだが、全体としては消費支出が減少しているということらしい。

 ことほど左様に、どの業界においても以前とは様変わりの様相を呈していると思われるが、それはある意味選択肢が増えたということを意味していないだろうか?
 その増えた選択肢の中で、私たちがどう選択するかという問題である。そのことに対する濱田教授の警鐘だったと受け止めたい。

グループホームの実態を学ぶ

2017-12-06 22:17:49 | 大学公開講座
 グループホーム…、という名は聞いたことがあったが、その実態についてはほとんど無知だった。あるいはいつの日かお世話になるかもしれないグループホームの実態についてお話を聴いた。 

 12月5日(火)午前、札幌大公開講座「地域創生入門」の後期11回目の講座が行われた。
 講師は(有)ライフアート会長であり、グループホーム福寿荘の総合施設長である武田純子氏「グループホームでの看取り」と題されたお話しされた。

                    

 まず、私の場合、そもそのグループホームとは何ぞやという、そもそも論から始めねばならない。ごく粗くまとめると、グループホームとは「認知症(痴呆症)の症状を持ち、病気や障害で生活に困難を抱えた高齢者が、専門スタッフの援助を受けながら1ユニット(5~9人)で共同生活する介護福祉施設」ということになる。

 武田氏は、そのグループホーム「福寿荘」を2000年に開設し、次々と施設を増やし、現在三棟(福寿荘Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)運営しているということだ。「福寿荘」は優良グループホームとしてメディアでも取り上げられたことがあるようだ。そうしたこともあってか、武田氏は自信たっぷりと舌はなめらかで、多弁だった。

 そうした武田氏のお話の中で、印象的だったことを記してみたい。
 まず、20年前くらいの認知症などの方々の高齢者介護というと、2000ccもの点滴をし、四肢・体幹を拘束したり、手指をミトンで覆ったり、定時におむつを交換したりと、悲惨な状態だったという。
 ところが、武田氏のところでは認知症の人も普通の人と変わらぬ感情を持っているということに気づき、可能なかぎり最後まで自分で食べる支援をし、入居者のQOLの維持に努めているという。

 認知症は、誰もがなりうる病気で、90歳以上では実に60パーセントの人が罹患するという統計もあるというが、武田氏は「認知症は死につながる病」であると強調された。つまり、認知症は死を迎えるまで病が回復することはない、死と向き合う病であるというのだ。だからこそ、今を大切に精いっぱい生きることを支援したいとも語った。

               

 武田氏のグループホームでは、「できることは自分で、できないことは支援し、最後まで無理強いしない」ことをモットーとしてお世話をしているということだった。
 しかし、死は必ずやってくる。その際、延命治療はホームではできるだけ避けるようにしているという。それは一番苦しむのは患者当人だからという。医療的な治療より、穏やかにゆっくりと生活してもらいたいからと…。
 ただし、そのためには当人や家族の合意ができているかどうかが欠かせないという。
 確かめなかったが、延命治療を望む場合は病院等へ転院するということだと理解した。
 こうして武田氏のところではこれまで66名の人たちを看取ってきたという。

 最近、高齢者の療養施設での虐待などがクローズアップされることが多い。それは大規模な施設などでスタッフの目が届きにくいところで起こっているのではないだろうか?グループホームのように5~9人という小規模な施設では家庭的なサービスが受けられるということだろうか?
 ただ、質疑コーナーにおいて、現在はグループホームへの入居を希望しても、施設が足りずに希望にそえない状況が続いているということだ。
 さて、私がそうした施設が必要となる時代には、どのような状況になっているのだろうか?ちょっぴり不安である。
 

人権教育指導者研修会

2017-12-05 23:31:17 | 講演・講義・フォーラム等
 “人権”について考える機会を持つことができた研修会だった。“人権”……改めて考えてみると、難しい概念である。世界中の全ての人の“人権”を保障し、護るということは、人間の理性を最も求められることではないのだろうか? 

 12月4日(月)午後、かでる2・7において北海道心の教育推進会議が主催する表記研修会が開催され、門外漢ながら勧められたので参加した。
 今回の研修会のテーマは「子どもの人権を考える~学校・家庭・地域でできること~」と題して、講演とワークショップからなる二部構成だった。
 参加者のほとんどは人権擁護委員をされている方や学校の教員などであった。
 
 講演は筑波大名誉教授で(公財)人権教育啓発推進センターの上級特別研究員である福田弘氏「子どもの人権といじめ問題」と題されて講演された。
 福田氏は、世界が戦争によって著しく“人権”がないがしろにされたという事実の上に立って各種の宣言、条約(世界人権宣言、子どもの権利宣言、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、etc.)、発布、発効され、それに日本も追随していった歴史をまとめられた。
 つまり人間の“人権”が声高に語られ始めてせいぜい60~70年程度しか経っていないということに改めて気づかされた。
 その“人権”が、世界において、そして日本でもないがしろにされる状況が生まれつつあることに危機感を募らせたのが印象的だった。

 福田氏の話は、子どもの人権、そしていじめの問題に論及していった。
 子どもの人権は今さまざまな社会的な状況の中で危機的状況にあり、そのことが起因となっていじめが蔓延する状況にあり、さらに多様化・陰湿化の一途を辿っているとした。だからこそ「人権教育」の重要性があると述べられた。
 そして人権教育の指導原理は、自分で「考え、感じ、行動する」という主体的で実践的な学習が不可欠であるとした。

               

 続いてのワークショップが興味深かった。私は、石狩市から参加された二人の人権擁護委員の方と話し合いを持った。お二人ともに、年間を通じて各学校を回って人権教育を進められている方で、非常に問題意識の高い方だった。
 そして、教育現場で直接子どもたちと接触するからこその悩みも抱えられているようだった。そうした方々に対してコメンテーターとして道教育大札幌校の平野直己准教授のアドバイスが私にはとても説得力あるアドバイスとして聞こえてきた。
 曰く「判断する大人になるな」
 曰く「割り切れない思い、モヤモヤする思いを共に悩み、抱える大人でいたい」
 曰く「子ども同士が仲良くできないことがあっても、いかに排除せず、共に生きていく方法を考え続けることを、考えていくことが大切だと諭したい」
 曰く「人は、迷惑をかけたり、迷惑を受けたりせずに生きていくことができないものだとしたら、どう皆で生きていく工夫をしていくかを考えることでもあります」

 今、世界的に民族を排除したり、“人権”を制限したりしようとする動きが顕著になってきている。そのことに私たちの思考や言動は影響されていないだろうか? そして、子どものいじめがそうした世相にも敏感に反応しているとしたら恐ろしいことである。
 「先ず、隗より始めよ」という言葉を思い出した…。

これからはサスティナブルツーリズムが主流に?

2017-12-04 22:10:16 | 大学公開講座
 講師の下休場教授は、これからはサスティナブルな旅行が主流になっていくということではなく、主流にしていかねばならない、と強調された。サスティナブルな旅行とは、そしてなぜ主流にならねばならないのか?下休場教授の話を聴いた。 

 11月30日(木)夜、北大観光学高等研究センターの公開講座「ディスティネーション・マネジメントと地域のこれから」の第3講が開講された。
 この回は「エコツーリズムの視点からディスティネーション・マネジメントの意味を問い直す」と題して、同研究センターの下休場千秋教授が担当された。下休場教授は、エコツーリズム論、観光芸術論などを専門とされている方のようだ。

                   

 氏はまず現行の観光地域の課題について指摘した。
 その課題とは、①オーバーツーリズム(観光公害、地域社会文化の変容など)、②地域資源(自然・文化・歴史)の変容・損失、③人口減少、過疎化、高齢化、④空き家の増加、⑤地域創生の困難さ、などを挙げた。
 特に人気観光地におけるオーバーツーリズム(観光客が殺到することで引き起こされるさまざまな問題)の問題は深刻であるとした。

 下休場教授は、観光地域の課題を解決するには、これまでの旅行の型(スタイル)から変容を遂げていくことが重要だと強調された。
 これまでの旅行のスタイルは、◇発地型観光、◇周遊型観光、◇マスツーリズムであったという。このスタイルを◇着地型観光、◇滞在型交流観光に変えていく必要があるという。それはサスティナブルツーリズム(持続可能な観光)に通ずるという。
 具体的には、エコツーリズムであり、ウェルネスツーリズムであり、グリーンツーリズムであるという。そしてそうした旅行の典型が「フットパス」ではないかと主張された。

 下休場教授は、そう主張する背景や理由、現状などについてまだまだ詳しく話されたが、それは割愛して大要上記のように話されたと理解した。
 そして私も下休場教授の主張には概ね賛成である。
 私のこれまでの数々の旅(主として沖縄など南の島への旅)は、いつも個の旅であり、現地で何をするかという旅だった。また、熊野古道やSea to Summit、あるいは北根室ランチウェイなどのロングトレイルもウェルネスツーリズムの一つではないかと思っている。

 ただ、そうした旅をしながらいつも感じていたことは…。
 「まだまだ、私のような旅は主流とはいえないなぁ…」ということだった。
 沖縄の島々を旅していた時、いつもそこには大型バスで大挙して押し寄せてくる観光客の姿があった。ロングトレイルの歩き旅をしているとき、行きかう人の姿が極端に少なかった。やや人の姿が目立った熊野古道の歩き旅も、外国の方たちのほうが目立つありさまだった。

 つまり、現状はまだまだ従来の旅行の型(スタイル)から脱却していないのではないか、あるいは固執しているのではないか、との疑問が消えないのである。
 ただ、全体の大きな流れとしては下休場教授の言われるようにゆっくりと移行しつつあることは感じられる。
 そうした動きを加速させ、人々の間に定着していくことによって、サスティナブル(持続可能な)な旅行が主流となっていくことに繋がると考えたとき、デスティネーション・マネジメントの動きを加速化させることの重要性を認識した私だった…。

さっぽろホワイトイルミネーション2017

2017-12-03 21:52:51 | イベント
 何年かぶりにホワイトイルミネーション会場に足を運んでみた。以前と比べると規模も大きくなり、イルミネーションも様変わりした感じがした。しかし、それを写し取るには私のカメラの腕があまりにも未熟だった…。 

 久しくホワイトイルミネーションを楽しみに出かけることはなかった。以前に出かけたのは4~5年前だったろうか?
 イルミネーションがずいぶん変わったという報道を受けて、「それじゃ、一度行っておかなくちゃ」と思い、今夜出かけてみた。カメラを一応「夜景モード」にセットして…。
 
 イルミネーションは大通公園の西1丁目から西8丁目にかけてさまざまなテーマでデコレーショなされていた。
 それぞれのテーマについてはあまり意識することなく、ともかく次々と写真を撮っていった。しかし、やはり光量が少ないせいだろうか、撮った写真は見た目より暗い感じのものになってしまった。絞りとか、シャッター速度などの調整が必要なのだろうが、そんな高等な技術は持ち合わせていないし、追求する意欲もない。
 つまらない写真かもしれないが羅列してお茶を濁すことにする。

 ◎日本新三大夜景の一つ、札幌市のイメージであるWHITE TUNNELです。

          

          

 ◎続いて、長崎市のイメージ RED TUNNELです。

          

          

 ◎最後は、神戸市のイメージ BLUE TUNNELです。
 
          

          

  ここからはテーマについては、特に意識せずに撮り続けました。
 
          

          

          

          

          

          

          

          
 
          


《ミュンヘンクリスマス市》~西2丁目広場 
 恒例のミュンヘンクリスマス市も覗いてみた。以前購入して美味しかった「ロースト・アーモンド」をまた買おうと思ったのだが、カップ一杯が2,500円と聞いて断念した。
 そこで、あまり得意ではないのだが「ホットワイン」(600円)を一杯飲んで帰路についた。

          

          

          

先住民国際シンポジウム

2017-12-02 22:51:29 | 講演・講義・フォーラム等
  大切なレポートを失念していた。私が知るかぎり(乏しい知識だが)世界中で最も先住民を敬い、先住民に対する施策が充実している国はニュージーランドではないだろうか?ニュージーランドの先住民マオリの人たちのお話を聴いた。

               

 11月25日(土)午後、参加申し込みをしていた「先住民国際シンポジウム」の入場券がなんと前日になって届いた。他に予定していたことがあったが、急遽変更して参加することにした。主催は、内閣官房アイヌ総合政策室、会場はSTVホールだった。

 シンポジウムのテーマは、「アイヌ文化復興に向けて ~ニュージーランドから学ぶこと~」というテーマで、2020年に白老町にオープンが予定されている「民族共生象徴空間」の開館に合わせてアイヌ文化の復興を図るために開催されたようだ。

 プログラムは、第1部がマオリの方とアイヌの方が登壇したパネルディスカッション、第2部が「先住民族文化の相互交流」という構成だった。
 パネルディスカッションはなかなか興味深いものだった。話題になったのは「言葉」である。マオリの登壇者の一人が語った「言葉を失うことは、文化を失うことだ」という言葉に象徴されるように、先住民の言葉をどう「復興」させるのかが話題となった。
 ニュージーランドにおいてもけっして理想的な状況にあるのではなく、現在マオリ語の話者は5%だという。(これは全マリオ族に対しての割合?)そこで、マオリ語で教育できる学校を増やそうとしていること、そしてマオリ族がマリオ語で日常生活ができるようにする社会を目指しているという。

               

 私の体験で恐縮だが、3年前ニュージーランドを旅した時、ホテルでテレビをつけるとマリオ語オンリーのチャンネルがあったことを記憶している。
 また、その旅の際、私は積極的に現地の博物館に足を運んだのだが、どの博物館でも入館した直後にマオリに関する展示が占めていたことである。さらには、博物館スタッフのユニフォームが伝統的なマオリの文様をデザインしたものだったことが印象的だった。
 さらには、ラグビーのニュージーランド代表のオールブラックスが試合前にマオリ族の伝統的なダンスで自分たちを鼓舞するシーンは有名である。
 ことほど左様に、ニュージーランドでは先住民族マオリに対する施策を充実させているが、現実にはまだまだ問題も抱えているようだ。
 パネルディスカッションでは触れられなかったが、やはりマオリの人たちの多くは低所得階層に属しているという。事実、私が旅した時にもオークランドの街でホームレスのような風体をしていたのはマオリの方がほとんどのように見えた。
 まだまだ、ニュージーランドにおいてもマオリに対する教育や保護政策が必要ということかもしれない。

 一方、アイヌの方はどうだろう?
 自らアイヌ民族であり、北大でアイヌ文化を研究する北原准教授がアイヌの現状を語った。
 北原氏は、アイヌから意図的にアイヌ語が奪われていった歴史に触れ、アイヌ語が消滅する危機を訴えた。そして、アイヌ語をまだ記憶している年長者から教授を受けて、それを維持・普及するための研究者の育成が急務であると訴えた。
 さらには、公用語、公教育への導入、公的機関での使用、文化の商業利用に対する配慮が必要とした。

 先住民に対する施策が最も進んでいると思われるニュージーランドにおいてもさまざまな課題を抱えながら理想に向かっているということだから、北海道の先住民族であるアイヌの人たちへの施策も一朝一夕にというわけにはいかないかもしれない。しかし、アイフ文化復興に関するナショナルセンターとしての「民族共生象徴空間」のオープンは一つの大きなキッカケとなることは間違いないように思う。

               
               ※ シンポの最後に、マオリとアイヌの人たちが民族に伝わる文化をそれぞれ披露した。

 それにしても国際会議における同時通訳は慣れない者にとっては、なかなか話される内容を理解するのに苦労を伴うものである。今回もマオリの方々が話された内容のどの程度理解できたのか、少々不安である。