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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北区歴史と文化の八十八選巡り №13

2022-10-07 15:49:17 | 札幌市・北区歴史と文化の八十八選巡り

 今回は屯田地区の中に設けられた「屯田開拓顕彰広場」内に建立されている「北区歴史と文化の八十八選」に選定されている五つの碑についてレポートすることにする。いずれもが地域の歴史を語る貴重な石碑であるが、建立年が違うこれらの碑がどのような経緯でこの広場に集められたのかは私の調べでは分からなかった。

   

   

51〉「屯田兵第一大隊第四中隊本部跡」の碑 

 「屯田開拓顕彰広場」の前面に大きな標柱が立っているが、これが「『屯田兵第一大隊第四中隊本部跡』の碑」である。この碑に関しては次の文章に参照いただきたい。

       

       

 屯田はかって篠路兵村といわれ、兵籍は屯田第一大隊団四中隊にあった。この碑の建立地には第四中隊本部が建ち、北側一円一万坪(3.3ヘクタール)が練兵場となっていた。屯田開基百年記念事業協賛会が昭和63(1988)年の入植百年を機に、中隊本部の建っていた地点を明確にしておくために建立した。                             

   〔住 所〕 北区屯田7条7丁目屯田開拓顕彰広場

   〔訪問日〕 10月3日

52〉篠路兵村「開拓碑」

 この碑は「屯田開拓顕彰広場」の奥の方に三本の石碑が並んで建っているいるが、その真ん中にあるのがこの「篠路兵村『開拓碑』」である。碑文はほとんど読むことができないが、当時の北大総長の佐藤昌介氏が詠んだ漢詩だという。裏面にはびっしりと人名が刻まれていたが、それも判読が難しくかろうじて上面に刻まれた「移住富時戸主人名」という文字が判読することができた。この開拓碑について北区役所が次のように説明している。

        

        

 この碑は、屯田地区の開基40年を記念して昭和3(1928)年に建立された。約500字に及ぶ漢詩調の碑文は、当時の北大総長であった佐藤昌介が寄稿したものである。玉石五段積み、この上に自然石を乗せ、高さ1.8メートルの台座に、高さ2.8メートル、幅90センチメートルの仙台石の棹石としている。

    〔住 所〕 北区屯田7条7丁目屯田開拓顕彰広場        

    〔訪問日〕  10月3日

〈53〉水田開発記念碑

 この「水田開拓記念碑」は、「篠路兵村『開拓碑』」と並び、その左側に建てられていた。

 屯田地区が入植当時は石狩川の氾濫や畑作の凶作が続いたことから、潅漑溝を造って一大水田地帯としたことについては№12でも触れたが、この地区を水田地帯へと転作したことに住民たちは大きな誇りを抱き、記念碑を建立したものと想像される。近くにあった説明板には次のように記されていた。

    

         

 屯田地区は、当初畑作主体の農業であったが、農業経済が成り立たず、これを立て直すために稲作を目指した。兵村の公有財産を売却して資金を作り、篠路兵村土功組合を大正2(1913)年に創設して、新川や創成川から水利をはかって約670ヘクタールの美田を造成した。多収穫のための研究団体を設立して札幌一の水田単作地帯となった。この碑は、土功組合が創設されてから45年後の昭和33(1958)年に建立された。                      

    〔住 所〕 北区屯田7条7丁目屯田開拓顕彰広場 

    〔訪問日〕 10月3日

〈54〉屯田兵顕彰の像

 「屯田開拓顕彰広場」の中でひときわ大きく、もっとも目立っているのがこの「屯田兵顕彰像」である。台座の中央には遠い空を指さした屯田兵の立像が置かれている。

   

   

 傍にある説明板には次のように説明が記されていた。

 屯田地区が屯田兵の開拓によって始まり発展したことから、この功績を讃えて建立されたものである。屯田兵のブロンズ像は、時の指導者であった中隊長渥味直茂大尉である。屯田開基百年記念事業の一環として昭和63(1988)年に建立された。

    〔住 所〕 北区屯田7条7丁目屯田開拓顕彰広場 

    〔訪問日〕 10月3日    

 〈55〉馬魂之像

 「屯田開拓顕彰広場」の中で正面から見て左端にブロンズ製の馬の立体像が建っている。これが「馬魂之像」である。札幌市内ばかりでなく、道内各地でも馬頭観音など馬を祀った碑は数多いが、これほど立派な馬の立像が見られるのは場産地の日高くらいではないだろうか?

   

   

 この碑の台座の側面に像を建立した思いが記されていた。その碑文を転写する。

 開拓の礎は明治二十二年、石狩平野の一望荒漠たる未開の原野に屯田兵が開拓の鍬を入れて始まり茲に風雪百年の歳月を数える。人間が馬と一体となって開墾が行われ、その馬が唯一の原動力として駆使されて緑豊かなる沃土に変貌したことにより、屯田地区住民が今日の近代的且つ文化的生活の恩恵に浴することが出来た。このことに深く鑑みその多大なる馬の労役を讃えて、ここに馬魂之像を建立して永久に祀る。

                  昭和六十三年七月十五日 屯田開基百年記念協賛会 特別事業委員会

                              ( ※ 句読点、改行など手を加えました)

〔住 所〕 北区屯田7条7丁目屯田開拓顕彰広場 

〔訪問日〕 10月3日

 ※ なお、「屯田開拓顕彰広場」には、八十八選に選ばれた以上5つの碑以外に、さらに二つの石碑が立っている。それは「戦没者顕彰碑」「忠魂碑」の二つであるが、本レポの目的とは外れるので写真と説明は省略したい。